06 このさきもふたりで音を奏でよう







 小学生の終わり頃から、違和感いわかんを感じるようになった。

 ボールをうまくれなくなり、よく人や壁にぶつかるようになった。


「たいしたことないと思って、一人で眼科がんか行ってさ」


 どうせパソコンのモニターの見すぎだろう、と思った。

 コンタクトレンズを作るために眼科に行った時に、なんとなく先生に相談した。


「そしたら、『親は来てるか』って先生に言われて。

 そんなヤバいの俺?って」


 両親は仕事で来られないと伝えると、渋々しぶしぶといった様子で検査をしてくれた。


 そして、次回は必ず親と来るように前置きされ、検査結果をげられた。


「病名と、どんなふうに進行するか言われて。

 何年もかけて進行するけど、数年後にはほとんど見えなくなって……

 いずれ、失明しつめいするって」


 治療法もなく、進行を遅らせることしかできない。

 このさき一生、だれかをたよって生きなければならないことを、理解した。


「ほんと、どん底だった。

 このまま生きててもしょうがねぇな、死んでもいいなとか思うくらいに」


 親に連絡する気力もなく、電車に乗った。

 検査のせいでまぶしさが続いて、歩きづらかった。


「そんで、ふらふら駅のホーム歩いてたら線路に落ちかけて……

 寸前すんぜんで、女の子が『ダメ!』ってさけんで、助けてくれた」


 それが、萌だった。


 萌も、あの日のことを思い出す。


 雨のせいで、駅のホームはんでいた。

 そんな中、ホームをふらふらと歩く男の子が気になった。


 バランスをくずし、ホームから落ちると思った瞬間、思わずさけんで腕をつかんだのだ。


 声をかけながら人の少ない場所まで誘導ゆうどうし、ベンチに座らせた。


「あの時、ほっとしたんだ、俺。『落ちなくてよかった』って」


 死にたいほど絶望的な気持ちだったのに、「生きててよかった」と思ったのだ。


 不安げに律を見つめる女の子は、貝がらのアクセサリーがついたピンで横髪をまとめていた。


 安堵あんどのせいか、女の子のやさしい声のせいか。

 直前までの絶望的だった気持ちが少し、やわらいでいた。


「いつか目が見えなくなるってわかったって、俺は生きていきたいんだって気付いた。

 そしたらなんか、涙が止まんなくなった」


 萌は、あまりにも悲痛ひつうな声をあげて泣く男の子を、ほうっておくこともできず。

 ベンチに並んで座り、ただだまって付きっていた。


「人生で一番泣いた日だった。

 あの時、萌が助けてくれて、そばにいてくれて……本当に救われたんだ」


 まさかあの時の男の子が律で、そんなにも重たい理由で泣いていたなんて。


 なにか言えればよかったのに、萌はあの時本当にただ付き添っていただけだった。

 そして今だって、気のいた言葉ひとつ掛けられない。


 気付けば萌は、また泣き出していた。


「ふふっ。なんで、萌が泣くの」

「ほんとに……つらかった、だろうなって、思って……

 ごめん、私が泣いてもしょうがないのに……」


 もどかしくて、胸が痛い。

 律は自分に歌う場所をくれたのに、自分は律になにも返せない。


 律はひかえめに手を差し出し、萌の頭をでた。


「萌、俺はもう、大丈夫だよ。

 萌のおかげで、なにがあっても生きるって決めたんだ」


 萌がすくいあげてくれた、律の命。律の心。


 あれから少しして、萌が同じ学校の生徒だと気付いた。

 目で追うようになり、やさしく甘い声にかれていった。


「萌の歌を聴いてから、ほんとに……もう一度話せたらって思ってた。

 だからこんなふうに会えるなんて、俺には夢みたいだ」


 萌が律を助けた、あの時から。


「あの時からずっと、萌のことが好きだよ」


 律にとって萌は、暗闇に光る一等星いっとうせいのような、たしかな生きる指針ししんとなっていたのだ。


「でも、困らせたくないから、返事はいらない」

「困るって、なんで?」


 で聞き返した萌に、律はふっと笑う。


「俺、一応しょうがい者だし。好きなやつのこと、苦労させたくないもん」


 やさしい律の笑顔に、萌はまた胸がズキンと痛んだ。










 門限まで、図書館のベンチに座って時間をつぶした。互いの手はつないだままで。


 お互いに踏み込まない、無難ぶなんな、なんでもない会話。

 それぞれのやりたいことと環境を理解し合い、尊重しているからこそ、2人でいることが心地ここちよかった。


「え、ヤマセ?

 ってか、結城ゆうきさん?!」


 図書館前を通りがかったのは、中学の同級生だった。


 顔に見覚えはあるが、名前は知らない。相手は律と萌のことを知っているようだ。


 もう1人の同級生は、あからさまにいやなものを見たかのような、反応をする。


「ヤマセ、生きてたの?

 学校来ないからお前と遊べなくてつまんないんだけど」

遊びたいんじゃなく、遊びたいんだろ」


 律はあきれたように息をき、答える。


 聞いているだけで、萌は嫌な気持ちになった。


「てか、何? 2人付き合ってんの?!」

「え、うそ。えぐっ」

「付き合ってない。ちがうから」


 律はすぐに否定し、指をゆるめて萌の手を離そうとした。


 それを引き止めるかのように、萌は律の手をぎゅっとにぎった。


「付き合ってたら、わるい?」


 萌の大きな声に、律も、同級生の男子も驚いていた。


「律は、わたしの彼氏。

 2人のことなんだから、ほっといて!」


 そう言って萌は立ち上がり、律の手を引いた。


「行こっ」


 ポカンと口を開ける同級生2人を残して、萌は早足に立ち去った。




 図書館の駐輪場で、2人はようやく立ち止まる。


「あー、スッキリした! 言いたいこと言うのって、大事だね」

「ほんとに、俺でいいの?」


 戸惑とまどった様子で、律は言う。


いいの。いいわけじゃない」


 萌の言葉に、律は胸が苦しくなった。


「……俺と付き合ったら、いっつも手つないでなきゃいけないよ?」

「そしたらきっと、ずっと仲良しでいられるね」


 律は泣きそうになるのをぐっとこらえる。


 まさか、こんな日が来るなんて。

 こんなにもいとおしい相手が、自分を選んでくれるなんて。


 律は決意を固め、顔を上げた。


「……萌と俺、いま同じクラスなんだよな?」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、俺、学校行く」


 律の言葉に、萌は目をまん丸に開いた。


「萌に会えるなら、行ける気がする」

「うれしい!!」


 思わず萌は、律にきついた。

 律に毎日会えるかもしれない。そう思うだけで、うれしかった。


「でも、大丈夫? 無理はしないで、絶対」

「大丈夫。萌と一緒にいたいのに、俺だけ甘えていたくない」


 本当は律も、前に進みたかった。

 萌は律の命を助けただけでなく、立ち止まったままの律の背中まで押してくれた。


 2人の出会いは、互いにとって奇跡的なものだった。

 すべての運命が動き出すような、そんな出会い。







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