第2章 おきなさい、わたしのかわいいむすこよ

 明けていよいよ新学期の登校日。

 と言っても、下級生にあたる一年の入学式は昨日終わったらしい。

 今日から俺も二年生だ。

 なんとなく後輩が出来るってだけでエラソーに浮かれてソワソワしてしまう。

 といっても俺は帰宅部なんだけど。


「早く起きなさい! ご飯が冷めちゃうわよ!」

 階段の下から俺の母さんが呼ぶ声がする。

 もちろんちゃんと起きてる。ベタに寝坊なんかしない。

 スマホのアラームもキチンと鳴ったんだから。


 だが、俺はパジャマ姿のまま学生服を前に腕組みをしていた。

 どうしてもこれを着る事ができない。

 袖を通したり頭を入れたりボタンを止めたりといった行為は当たり前に理解しているのだけど、何故か着られないんだ。

 そう、着られない。

 しゃがんで服を掴むのだが、それ以上は何か不思議な力に拒まれたようで、いったいどうしたらいいのか、俺にも皆目見当がつかない。


 どうにもままならず、髪を搔き乱してると、ふと叔父さんのレトロゲームが視界に入って来た。

 ゆうべこの部屋に現れた叔父さんの幽霊の話を思い出す。

 だったら、もういっそ本物の勇者みたいにゲーム世界にでも転生させてくれよ。

 そしたらなんでも装備できるのに。


 するとどうしたことか。

 俺の服は一瞬でスウェットから学生服に代わっていた。

 ちゃんとパンツも履いてるしシャツも着ている。ネクタイだって曲がらずにピシッと決まってる。

 装備できた。

 着たと言うよりも、まさに装備。

『いったいなんだってんだよ、まったく……気持ち悪いな』


 とにかく俺は階段を降りてリビングに向かった。

「あんたねぇ、始業式の日から遅刻したら一年生の子の前で恥かくわよ」

 わかってるよ。

 と言おうとしたのだが、声が出ない。

 俺は口をパクパクさせながら、焦って母さんの顔を見る。

 全く喉が震えない。音が口から出てこない。

 慌てて首元や口回りを撫でる俺に、パートに出る支度の時間が迫る母さんはイライラしながら言った。

「いいから、早くご飯食べなさい」

「はい」

「お味噌汁もちゃんと飲むのよ」

「はい」

「何よ。急に素直じゃない。あんた熱でもあるんじゃないの?」

「いいえ」

「ヘンな子ね。とにかく食べ終わった食器は食洗器に入れといてよ」

「はい」



 はい、といいえ、は言える。

 言うというよりも、その二択を迫られている錯覚をおぼえる。

 そしたら、そのどちらかは言える。

 でもどうしろっていうんだ、それだけで。


 どうにかこうにか母さんをやり過ごして家を出る。

 その前に念のためマスクをしていこう。

 いざとなったら喉風邪の振りでもできるからな。

 あんまり喋らないようにしておきたいけど。


 少し離れた小さな公園の入口では同じ高校の女子が待っていた。

「おはよ。始業式からギリギリじゃない。遅刻しちゃうからすぐに行こう」

 いわゆる俺の幼馴染でご近所さん。

 幼稚園の頃からずっと同じ学校に通う桃花ももかだ。


「やだ、どうしたのそのマスク。風邪ひいたの? 気をつけてよね」

「はい」

「そう言えばしゅうちゃんさ、こないだ亡くなった叔父さんの法事に行った帰りにすごい数の段ボールを運んでたの見たけど、いろいろ大変だったね」

「はい」

「それであの中身って、やっぱり遺品とか?」

「はい」

「そうなんだ。でも叔父さんもきっと喜んでるよ。秀ちゃんが形見の品を持っててくれてたら」

「いいえ」

「えっ? そうなの? なんか悪い事聞いちゃってごめんね」

「いいえ」


 なんでこいつは俺の違和感を疑わないんだ。

 さっきからはい、かいいえ、しか喋ってないのに。

 毎回ふざけて馬鹿なことして茶化してたから、きっと今は『心を持たないヒューマノイドごっこ』でもしてると思われてるのかもしれない。


 しかも何故か今の俺は斜め歩きができない。

 曲がり角を歩く時も直進してから、左右を向いてまた直進するしかない。

「秀ちゃん。学校そっちじゃないよ、こっちだよ」

「はい」

 通りの角を丸くコーナーを描いて曲がれる桃花に対し、おれは目星を付けたあたりでカクっと直角に向きをかえなちゃならない。

 当然ながらそんな俺の様子を怪しむ桃花。

「ちょっと秀ちゃん。熱あるんじゃないの? まっすぐ歩けてないじゃない」

「いいえ」

「無理しない方がいいよ。マスクもしてるんだしさ」

「はい」

 頼むからもっと怪しんでくれ!

 俺への違和感を全身で受け止めてくれよ!



 いずれにせよ、懐かしい男友達の連中に会って声を掛けられたりもしたが、咳をして喉を押さえながら首を振ると、割とスルーしてくれる。

 校長が話をしている間も、俺は小声でずっとはい、いいえ以外の会話ができないかを試していた。

 生徒手帳のメモ欄を生まれて初めて使ったが、文字が書けない。

 ペンを握る指先の力が抜けるっていうか、別に手が震える訳じゃないけど、どうしても文字が綴れない。

 それに加えて、やっぱり声は出せなかった。


 どう考えたって叔父さんの幽霊が言ってたレトロゲームの呪いだというのは学校に着いてしばらくしてから確信したことだ。

 そのくせステータスオープンもできないし、自分のレベルもヒットポイントも能力値もわからない。とんでもない呪いだ。

 ちなみにクラス分けはまた今年も桃花と同じだった。

 運の良さというステータスがあるのか知らんが、なんとなくあいつが目の届く範囲に居るということだけが俺の安心だったりもする。

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