第13話 ウルド砂漠

「えっ!?」


 砂漠に不慣れなリリーはときおり砂に足を取られた。転びそうになるたびにレインの腕を強くつかむ。レインの体幹はしっかりとしていて揺るがなかった。しかし、その顔は真っ赤で、動揺を隠しきれていない。


「リリー殿下、みんなが見ております……」

「え?」


 レインは二人を周囲を気にしていた。遠巻きに大軍が二人を見守っている。レインが気にするのも理解できた。ただ、やはりリリーはレインの心を甘い言葉でくすぐるのを忘れなかった。


「未来の夫婦が腕を組んで歩く。いけませんか? レインは嫌なのですか?」

「いえ、嫌ではありませんが……」


 切なげな表情を作ってレインを見上げると、案の定レインは顔を赤らめて黙りこんでしまった。 


──本当に、わかりやすいひと


 リリーは女に不慣れな男に対する優越感を感じていた。沈黙が続くと話題を変えるように砂丘の合間を指さした。そこには巨大な軍船が停泊している。帆や船体には大きく『狼』の紋章が印されていた。


「あれはウルドの砂船すなぶねですか?」

「はい。戦列艦せんれつかんと言いまして砂の上を帆走はんそうすることができます。船首についているのは巨大ないしゆみで、弩砲どほうと言います。石や槍、または炸裂弾を放つことができます」

「まさに砂漠の帝国海軍ですね。とても勇壮な姿です」


 リリーが褒めるとレインの表情が明るくなる。レインは嬉しそうに説明を続けた。


「ありがとうございます。あの艦は『キースリング』という船名で、我がキースリング家の家名を冠しております」

「そうなのですね」

「リリー殿下には『キースリング』に座乗ざじょうしていただき、藩都はんとウルディードまで向かいます」

「なるほど……わっ!?」


 再び、リリーは転びそうになった。態勢を崩すとすぐにレインの腕をつかむ。


「リ、リリー殿下、お気をつけください」

「……はい。わかりました」


 リリーは赤面するレインを見上げながら微笑んだ。レインの腕は緊張で強張こわばっている。リリーはレインの動揺を見透かして手を放した。二~三歩進んでしゃがみこみ、両手で砂をすくう。



「本当に綺麗」



 白い砂は陽射しを浴びてキラキラと輝いている。リリーは感動した様子で砂を大地へこぼした。指の合間からこぼれ落ちた砂は風になびいて斜めに落ちる。リリーは砂の感触を確かめるように何度も砂をすくった。そして、ぽつりと口を開く。


「砂に含まれる石英せきえいが光に反射して、白く輝いて見えるのですよね?」

「さようです……リリー殿下はウルド砂漠についてお詳しいのですね」 


 リリーが尋ねると後ろからレインの声が聞こえてくる。声色が少し驚いていた。リリーは背中にレインの視線を感じながら静かに続けた。


「詳しくもなります。ウルド砂漠を見てみたいと、ずっと願っていました。だって、あなたの故郷なのですから」

「……」


 ふと、口ついて出た言葉だった。レインが書いた天体観測図には何度もウルド砂漠が出てくる。何度も読むうちにいつの間にか『レインがいるウルド砂漠を見てみたい』と願うようになっていた。



「やっと願いが叶いました」



 リリーはゆっくりと立ち上がり、レインへ振り向いた。風に流れる銀色の髪を耳へかけながら口元に微笑を浮かべる。



「ねぇ、レイン……先ほどから『リリー殿下』と呼んでいます。『リリー』ですよ」

「で、ですが……」



 やはり、レインは動揺を隠せない。困り顔で目を伏せている。リリーは切なげに目を潤ませてレインの顔を見上げた



「呼んでみてください。ほら、早く……」



 リリーが催促するとレインは顔を赤らめるばかりで戸惑っている。少したつと震えるような声が聞こえてきた。

 


「……リ、リリー」



 レインの声は砂漠を吹き抜ける風に乗って優しく響く。名前を呼ばれた瞬間、リリーは胸がトクンと高く脈打つのを感じた。思わずはにかみながら目を伏せる。



「頼んでおいて言うのもおかしいですけれど……なんだか……照れますね」



 リリーのささやきが聞こえたのか、レインも気恥ずかしそうに眉をよせている。やがて、レインは話をらすように乗馬をうながしてきた。気づけば、二人はレインが乗ってきた馬のところまできていた。


「リリー殿下、この馬にお乗りください。手綱たづなを持っていただけたら、僕がくつわを引きます。あの……えっと……」


 レインはリリーを馬に乗せたいらしいが言葉に詰まっている。どうやら、『一人で馬にのれるのか?』と、気になっている様子だった。そのことに気づくとリリーは自分から馬へ近づいた。



「馬くらい一人で乗れます」



 リリーは鞍へ手をかけると身軽な動作で横乗りをする。その瞬間、ドレススカートの裾が乱れ、青色のスカートから白い太ももが露わになった。



「リ、リリー殿下。あ、あの……」

「え?」



 レインが慌てて目を伏せている。リリーはすぐに自分の態勢に気がついた。


──太ももを見たくらいで狼狽ろうばいするなんて……。


 レインの反応は常に卑猥な目で見てくる帝都の貴族たちとは違う。新鮮で可愛くさえ思えた。


──本当に純粋なのね……。


 リリーは少しだけレインをからかいたくなった。見せつけるように太もも動かしてスカートの裾を直す。


「このドレスは軍服に似せて作らせたのですが、乗馬には適していませんね。それと……」


 リリーは眉をよせて少し困ったような表情をつくった。


「さっきからリリー殿下と呼んでいます。リリーですよ……」

「申し訳ございません、リリー殿……リ、リリー」


 レインは困惑するばかりで会話にならない。リリーはもどかしさを感じながら続けた。


「レイン、わたしたちにはもっと親しくなる必要があるようです。一緒に乗ってください」

「で、できません!! 僕なんかがリリー殿下と一緒に乗馬するなど……」

?」


 レインの口ぶりは自分を卑下ひげしているかのようだった。リリーは強い苛立ちを覚えながら言葉を繰り返した。口元からは笑みが消えている。


「レイン・ウォルフ・キースリング。わたしは従者に会いに来たのではありません。婚約者に会いに来たのです。帝国軍が見ているのですよ……何度も言わせないで」


 リリーは目を細め、威儀を正して告げる。とたんに、レインの背筋がぴんと伸びた。


「畏まりました!!」


 レインは鞍に手をかけると軽快な動作でリリーの後ろへ飛び乗った。リリーを抱きかかえるようにして手綱たづなを持つ。そのあまりの素早さにリリーは目を丸くし、腕のなかでレインを見上げる。


「さすがはウルドの戦士。乗馬には慣なれているのですね」

「はい。一応は……」


 レインの表情を見ているとまだ緊張しているのがわかる。リリーはレインの邪魔をしないようにバラスをとりながら尋ねた。


「こうやって誰かと一緒に乗ったことはありますか?」

「そ、そんなことはありません!!」

「そうですか……」


 リリーは何故かレインの答えが嬉しかった。満足そうに目を細めるとレインの胸へよりかかって身体をあずける。甲冑越しにレインの緊張が伝わってくる気がした。少し視線を上げるとレインの強張こわばった顔が見える。


「それでは、参ります」

「はい、お願いいたします……」


 レインが鞍を蹴ると馬はゆっくりと歩き始める。すると、二人を見守っていた軍勢に動きがあった。



「リリー殿下、万歳!! レイン・ウォルフ・キースリング万歳!!」 



 白い砂漠に陣太鼓の音が響き渡る。兵士たちの祝福はときの声のように大地を震わせた。

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