◎4

 密室に閉ざされたソルトラ神殿。幅102メートル、奥行き53メートルの大列柱室には高さ20メートルはある巨大な円柱が143本立ち並んでいた。

 恐竜の着ぐるみを目深に被ったドラのすけは対戦者のホコリに問いかける。


「戦うだいな?」

「……はあ」


 ホコリのため息ひとつ。


「貴重な史料である神殿内で戦うわけにもいかないのです。提案ですけど一時休戦するのです」

「じゃあホコリはここに何しに来たんだいな?」

「知りに来たのです」


 あっけらかんと答えたかと思えば、ホコリは大きな黒い石碑に近づいて刻まれた文字に手を当てる。戦意はないと言いたげだった。

 そればかりか。


「ちょっとそこの人、ロゼッタストーンを解読したいので肩車してもらっていいのです?」


 と、ホコリからドラのすけはねだられる始末。


「あんたの水色のペットを使えばいいだいな?」

「わたしの粘菌ちゃんはなんだか調子悪そうなのです」

「まあ別にいいけど。おいら、顔見られるとアーカーシュに怒られるんだいな」

「心配ないのです。わたし、目は見えませんから」

「そうだいな? それなら好都合だい」


 ドラのすけは悪びれもせずにポンと手を打った。それからふと首をかしげる。


「ん? でも見えないならホコリはどうやって文字を読むんだいな?」

「ヒエログリフ菌がロゼッタストーンに刻み込んだ文字なら目が見えずとも触れれば読めますから」

「なるほど。まあそれは合点いくとして目の見えないホコリがそもそもどうやってここまでたどり着いたんだいな?」

「それは簡単なこと。この粘菌たちが導いてくれたのです」


 ホコリの足下に行儀よく伏せている水色の粘体があった。


「ミズタマホコリカビという粘菌です」

「ふうん。盲導犬ならぬ盲導菌ってわけだいな」


 いろいろと謎が解けてスッキリしてからドラのすけはしゃがみ込み、ホコリの股下に首を通してから一気に立ち上がる。


「アイヤー!?」


 ホコリはドラのすけの着ぐるみの恐竜頭に掴まり悲鳴を上げた。


「掛け声くらいかけてなのです!」

「あーそういうもんだいな?」

「当然なのです」


 そしてホコリはアンバランスな小さな恐竜に立て続けに注意する。


「ドラのすけさん、ちょっと揺れ過ぎなのです」

「だって網タイツがくすぐったいんだいな。噛みちぎっていいだい?」

「だめなのです!」


 そんなこんなで一時休戦した二人は力を合わせてロゼッタストーンの解読に挑んだ。


「えーっと」


 ホコリはヒエログリフ菌の削った文字に指を這わせてから読み上げる。


「菌と和解せよ。原始の菌とは日の下に生まれる――これから先は損傷が激しく解読不可能なのです」

「菌と和解せよって、どういう意味だいな?」

「わたしにもわかりません。ただ……いえ、やっぱり何でもないのです」


 ホコリは口をつぐむとそこで指は止まり、ヒエログリフ菌から離れた。


「おいらにベラベラ喋っていいんだいな?」

「古代遺跡はみんなの共有財産なのです。それに肩車してもらったささやかなお礼なのです」

「肩車なんてお安いご用だい」

「重かったのです……わたし?」

「ぜーんぜん。むしろ軽すぎるだいな。もっと食え」


 状況もあいまって頬を赤らめながら照れるホコリであった。


「なーんか自分で言ってて腹減ってきただいな」


 そんなホコリを尻目というか肩車目に、ドラのすけは目の前のロゼッタストーンに目が留まった。そしてなんとおもむろにロゼッタストーンにガシッガシッと齧り付いてしまった。


「しっ! どこかから変な音がするのです?」


 聞き耳をそばだてるホコリの下でなおもドラのすけはロゼッタストーンに牙を立てる。その次の瞬間、ドラのすけは目をカッと見開いた。


「しょっぺえ!」


 ドラのすけはロゼッタストーンの破片をペッと吐き出した。


「アイヤー!? な、何をしてるのです!?」

「なにって腹減ったから食べてるだけだいな」


 嫌な予感がして急激に顔が青ざめるホコリ。


「食べてるってもしかして……」

「ロゼッタストーンだい」

「ダメ、ぜったいー!」

「なんでだいな? もうホコリが解読したから食べても大丈夫だいな」

「どういう理屈なのです!?」

「そういうお菓子もあるだいな」

「お菓子と遺跡を一緒にしないでなのです!」


 ホコリは激昂するがドラのすけはいまいちピンときていない様子。


「それにホコリもさっき遺跡はみんなのものって言ってただいな」

「みんなのものだから食べたらダメなのです!」


 ホコリのあまりの怒りっぷりに「そういうもんだいなぁー」と、やっとドラのすけは理解を示してくれる。まるで幼稚園児を相手にしているような気分になるホコリだった。


「わたしはなぜ国際指名手配犯に真面目に説教しているのです……」

「その前に肩車してもらってる時点でおかしいだいな」

「それを言われたら困るのです」


 とそこで、先ほどの遺跡の味の感想を思い出すホコリ。


「というかドラのすけ、しょっぱいって言ったのです?」

「うん。しょっぱかっただいな」

「そうか。……つまりはそういうことなのです」

「どういうことなのですだいな?」


 ドラのすけは首をかしげた。

 それを無視してホコリは考えを巡らせる。そしてホコリには思い当たる節があった。だから粘菌が調子悪そうにしていたのだ。ミズタマホコリカビは乾燥に弱く、そして塩にも弱い。そしてこのシアワセは塩産業でも有名なのである。


「繋がったのです」


 ホコリ探偵はたどり着いた解答を述べる。


「つまり、このソルトラ神殿は塩で造られているのです」

「ソルト?」

「ホントみたいに言わないで欲しいのです」

「あらよっと。そらしょっぱいだいな」


 ドラのすけのせいで考古学の醍醐味である謎解きの緊張感が台無しだった。これは古い考えかもしれないが古くていいじゃないか。だって考古学者なのだから。ホコリは自己擁護した。

 唐突にドラのすけは謎めいた口調で言う。


「ところで、オレはいつまでホコリを肩車すればいいんだいな?」

「……も、もう降ろして結構なのです」


 ホコリは顔を真っ赤にして穴があったら入りたい気分だった。すでに地下神殿に閉じ込められているわけなのだが……。


「とどのつまりこのソルトラ神殿は誰が何のために造ったのかと言うことなのです。さしずめ言葉を選ばずにとりもなおさずに言うところのそれすなわちですね」


 ホコリが前置きのトートロジーを交えながら考えをまとめて目を離している隙に(そもそも目が見えないのだから目を離しているも何もないのだが)、空腹のドラのすけは柱に立てかけていた松明を手に取りあたりを探索した。するとスフィンクスの後ろにとある白い長方形の箱を見つけた。その蓋の部分にはロゼッタストーンと同じようにヒエログリフ菌の掘った文字が刻まれている。


「この中に食べ物が入ってるかもしれないだいな」


 そう言って、ドラのすけは塩製の白箱を持ち前の怪力でこじ開けると、中には宝石のようにカラフルなスカラベが冬眠していた。といっても標本らしく生きてはいない。色鉛筆のように十二色十二匹それぞれパレットに収まっていたのである。そしてドラのすけは壁画の太陽に当たる部分の外縁に十二個の窪みがあることを発見した。それからのドラのすけの行動は迅速だった。こともあろうにその窪みにカラフルなスカラベを太陽の外周に放射状に次々とはめ込んでいったのだ。


「ふぅー完成だいな!」

「はい? 何が完成したのです?」


 ホコリが呑気に質問した、その次の瞬間――ゴゴゴゴゴォーッグラグラ! と地下神殿が揺れた。そしてさらに地下深くから鈍重な地響きが鳴り、神殿の天井から塩分濃度の高い砂ぼこりがサーッと注ぎ落ちた。


「何なのです!?」


 慌てふためきながらホコリはドラのすけのほうを睨む。


「さてはドラのすけさん、何かしましたね!」

「さ、さあおいらは何もしてないだいな」

「正直におっしゃいなのです!」


 ホコリのあまりの剣幕に気圧されてドラのすけはあっさり白状すると、ホコリは呆れたようにその凶行を口に出して繰り返した。


「箱の中の綺麗なスカラベを壁画にはめ込んだですなの!?」

「だいな」

「どうしてそんなことするなのです!」


 ホコリがドラのすけにお説教をかましていると神殿の天井付近の四角い石が引っ込む。続けてそこからおびただしい数のスカラベが這い出した。そしてあっという間に地下神殿の壁一面をスカラベが埋め尽くし黒い神殿へと模様替えしてしまった。


「ドラのすけさん、その箱はどこにあるのです?」


 スカラベの這い回るなか、ホコリは粘菌の絶対防御に守られながらドラのすけにその箱の元へ案内させた。蓋に掘られたヒエログリフ菌をホコリは「どれどれ、なになに」と必死に解読する。


「スカラベは復活の象徴であり、昔はこのプトラプテスは不死の国と呼ばれていた。猫は病原菌を媒介するネズミなどを退治するために疫病退散の神として奉られたが、猫とスカラベは犬猿の仲とされていた」

「動物大集合だいな」

「そうなのですけど違うのですの」


 ツッコんでからホコリはもっと有益な情報を探して「これだ」と見つけた。


「これはある種の棺のようなのです」

「棺って誰のだいな?」

「いい質問なのですね」

「おいらわかった。ひょっとしてスカラベだいな?」

「ぜんぜん違うなのです」


 冷たくバッサリ切り捨ててからホコリは言う。


「スカラベはあくまで触媒に過ぎず、これは菌の棺のようなのです」

「菌の棺なんて聞いたことないだいな」

「わたしもなのです。しかもその菌というのは――木乃伊ミイラ菌。つまり封印されし木乃伊菌をドラのすけさんが図らずも解いてしまったようなのです」

「マジだいな?」

「マジなのです」


 しばしの沈黙が神殿内を包むとケラケラケラとスカラベの大行進の音が笑い声のように不気味に聞こえた。

 ホコリは沈黙を破るように続けた。


「そして木乃伊菌およびそれを媒介するスカラベを退治するためには大量の水が有効だそうです」

「要するにツバを吐きかければいいだいな?」

「そんなんじゃ砂漠に打ち水なのですよ」


 ホコリが閉口した――その次の瞬間、先ほどよりも大きな揺れが発生した。ほとんど地震である。ホコリはたまらずその場に尻餅をつきそうになったが足下の粘菌がポヨンと受け止めた。

 その横でスカラベに覆われた壁面からのぞく巨大な二つの複眼とドラのすけは目が合った。さらに威嚇するように揺れが大きくなると、天井から大きな岩が崩落してドラのすけとホコリの二人めがけて落下した。その気配を感じたホコリだったが激しい揺れに咄嗟に動くことができずに見えない目で崩落した岩を見つめることしかできない。


 とそこで、ドラのすけはホコリを庇うように前に出た。それから左手の指を曲げて爪を立てると刹那ジュウジュウと菌が溢れた。かと思えばドラのすけの左腕が肥大化した。ゴツゴツとした緑色の皮膚に変わり鋭利な爪へと変貌していた。左腕でエルボーをかますと岩は粉砕されて散らばり周辺のスカラベを圧殺した。


「ドラのすけ……さん?」


 状況をいまいち飲み込めていないホコリだった。

 それに構わずドラのすけは天井を睨むと、誘うようにその二つの複眼はフッと消えた。それからドラのすけは犬歯をのぞかせて笑う。


「スカラベ退治なんて簡単だい。生き物なんてだいたい潰せば死ぬだいな」

「……ずいぶんマッチョな考え方なのです」


 そうなのですけど……ねえ?

 内心ホコリは戸惑った。あまりにも思考回路が違い過ぎる。

 しかしながら、ドラのすけはその言葉通りスカラベを踏み潰し、握り潰し、噛み潰した。それはまるで親の敵のように。あるいは子供遊びのように。


「じゃあおいら、そろそろ行くだいな」

「え? 行くってどこになのです?」

「もちろん地上だいな」


 ドラのすけは左手で天井を指さしながら言った。するとおもむろにギザギザの歯を光らせながら笑って、ドラのすけは自らを抱きしめるように両腕をクロスさせた。そののち指を折り曲げ爪を立て自身の胸部を引っ掻くと傷跡からよだれが垂れるようにジュウジュウと菌が溢れだした。


恐竜ダイナ菌――《ヘンシンカ・T・レックス》」


 目の前の空間を引き裂いてそう唱えた瞬間、恐竜菌は酸素を餌としてムクムクとドラのすけの体は急激に膨張を始めた。恐竜の着ぐるみを突き破って立て続けに地下神殿の天井に頭をぶつけたかと思えばドンガラガッドーンと突き崩した。崩落する岩から粘菌がホコリを守るなか、さらにどんどん巨大化していってしまう。

 最終的には全長50メートル。体表は黒地に緑のまだら模様をしており、軽く前傾姿勢をとっている。口は長く耳まで裂けており牙は大きく本数も多い。巨躯のわりには手は短く、その代わりゴツゴツした脚部の筋肉は発達しているのが見て取れた。三本の足指が前を向き、残りの一本が後ろを向く三前趾足さんぜんしそく。後頭部から背骨、尻尾にかけて暗い緑と黒のクジャクのような長い羽毛のたてがみが交互に生えていた。


 ホコリは見えずとも肌感覚や風圧や音や粘菌を通じて、目の前の男が貴重な遺跡にとてつもないことをしでかしているのはおおよそ見当がついた。


「アジャパー!?」


 ホコリはあんぐりと開いた口が塞がらなかった。

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