禁断の果実


 神は言った。

 あの赤い木の実だけは、決して食べてはいけないと。


 触れてはいけない。

 口をつけてはいけない。

 噛んではいけない。

 飲み込んではいけない。


 いけない。

 いけない。

 いけない。


 禁じられると、よりそれは魅力的に思える。

 じっと赤い木の実を見つめていた少女に、その木の枝の上から蛇は言う。


「触ってもいい。口をつけてもいい。噛んでもいい。飲み込んでもいい」

「だめよ、そんなの」

「いいんだよ。君は本当はそうしたいんだろう? 大丈夫、今、神はここにいない。君を見ていない。誰も君を見ていない」

「あなたが見てるじゃない」

「大丈夫、僕は神じゃない。だから、誰にも言わない。君があの実を食べたって、誰にも言いはしないよ。でも……」

「でも?」


 蛇は木の枝から降りて、体をうねり、少女の前に近づく。

 そして、少女の足元でとぐろを巻いた。


「その代わり、教えて欲しい。君の名前を」

「名前……?」

「そう、名前だ。それだけでいい。君が名前を教えてくれるなら、僕は君があの赤い実を口にしようと、誰にも言わないよ。秘密にする。だから、教えてくれないか? 君が神から与えられた、その名前を」


 名前を教えるだけ。

 たったそれだけで、あの美味しそうな赤い木の実を口にすることができるなら、なんて簡単な取引だろう。

 少女は、蛇にその名を教えた。


「私の名前は、エバ」

「エバ。綺麗な名だ」


 エバは木の実に手を伸ばした。

 美味しそうな甘い香りのする赤い木の実。

 耐えきれず、口を大きく開けてかぶりつく。


「おめでとうエバ」

「何が……?」

「これで君も、仲間になった」

「……誰の?」

「アダムだよ」

「アダム? そういえば、アダムはどこ?」


 噛み砕いて潰された木の実が、赤い果汁とともに喉を流れる。

 乾いた喉に潤いと、その残り香で鼻腔が満たされる。


「ふふふ」


 蛇は笑った。


「さよなら、エバ。これで君は、もうここにはいられない」


 エバの足元が崩れる。

 エバの体は下へ下へと堕ちていく。


「まって、助けて……」


 蛇はエバと全く同じ姿になり、堕ちていくエバに手を振った。


「今から、僕がエバだ。神は君たちには渡さない。誰にも渡さない。僕のものだ。神は僕のものだ」



 エバが消えたエデンの園で、蛇は一人、神の帰りを待っていた。


「ただいま、エバ。愛しい子。私の愛する子」

「ふふふ」


 神は、エバの姿をした蛇の体に触れる。

 口をつける。

 噛む。

 溢れ出た果汁を飲み込む。


 蛇は笑う。

 蛇は笑う。

 蛇は笑う。


「ふふふ」


 蛇の体は、少し苦い果汁で満たされる。





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