第二十八話 暗赫の呪いなんかに負けません!!


 花音は璃莉の背中を呆然と見送るしかなかった。


「璃莉さん……」


 冥渠はおそらく、凛冬殿の人々に「白花音が犯人だ」と明言したのだろう。

 璃莉だけでも花音を信じてくれるのはうれしかった。

 だが、璃莉の思いつめた表情が気になる。

 涼霞をかばっていた璃莉のことだから、万が一涼霞が犯人だったとしてもかばい続けるだろう。


 華月堂で、南梓にからかわれて頬を赤らめていた蘇奈と璃莉の姿が思い出される。


「璃莉さん、涼霞様のことを……」



 きっと、本気で想っているのだろう。

 だからこそ、宝物庫で涼霞に会ったことをずっと隠していたのだ。

 好きな人を信じたい。

 その気持ちは、痛いほどよくわかる。



「でもそれはきっと、璃莉さんも涼霞様を疑っているからこそ、よね」

 信じたい。

 でも、涼霞を疑わずにいられない事実が何かあるのだろう。

「璃莉さんにそれを聞き出せたらよかったけど……」


 花音は唇をかむ。凛冬殿へ出入り禁止扱いになってしまった今の状況では、今すぐに行動を起こせない 。




 溜息ばかりをついて華月堂に戻ると、珍しく伯言が外に出ているのが見えた。


「伯言様、なにしてるのかしら」

 見れば、伯言の手には紙の束が握られている。

 そして何やら悪態をつきながら伯言は紙を剥がしていた。

 壁に、何枚もの紙が貼られているのだ。


「きーっ、ゆるせないっ。誰がこんなナメた真似をっ」

 地団太を踏んでいる伯言は、背後から花音が近付いたことにも気付いていない。

「……伯言様?」

「か、かのん!!」


 珍しく動揺する伯言の手から、はらり、と一枚が落ちた。

 伯言が拾うより先に花音がそれを拾い上げた。

「花音っ、見てはダメよっ」

 と伯言が叫んだときには、花音の目には黒々とした文字が飛びこんできている。


『白花音は人殺し。極刑に処すべし』


「極刑……」

 自分の心配をしたほうがいい、と璃莉が言った意味がわかった。


「あ、あたし、殺されますか?!」

「花音、落ち着いてっ。気を強く持つのよっ。だいじょうぶだからっ」


 伯言は努めて笑みをつくろうとしているが、形のいい口元が引きつっているのは隠せない。


「冥渠様はなんとしてもあたしに仕返しがしたいんだわ……!」

「冥渠ですって? 誰よそれ」

「元・暗赫で、蠟蜂様の部下だった人で……蘇奈さんが亡くなった直後の取り調べで言われたんです。蠟蜂様を追放に追いやった罪を、必ず償わせてやるって」


 花音は大きく息をつく。伯言は目をむいた。


「呪い! 暗赫の呪いよ!! どこまでめんどくさくて執念深くて陰気臭い奴らなのかしらっ!!」

「あたしが一連の事件の犯人だと凛冬殿に広めたのも、たぶん冥渠様だと思います」

「どういうことよ?」

「凛冬殿の方々が、事件の犯人はあたしだと急に言い出したんです。それで、涼霞様に会うどころか、凛冬殿の玄関で閉め出されちゃって」

「……なるほど。周囲の状況から固めて、既成事実にしてしまおうというわけね。やられたわね」

「うぅ極刑なんて……死にたくない……華月堂の本、まだほとんど読んでないのにぃ……」

「ここで本が読めなくなる心配ってどんだけ本の虫なのよ?!」


 伯言のツッコミにも応える気力もなく花音はがっくり肩を落とす。それを見て、伯言も空を仰いだ。


「むむむぅ……このままだと花音が後宮追放になってせっかく手に入れた労働力がフイにっ……」

「なっ、なんの心配ですか伯言様?! あたし死にそうなんですよ?!」

「そうよ労働力が死にそう……いやいやもとい、これは大事な部下の危機だわ!!」

「……ほんとうに大事な部下と思ってます?」

「あ、当たり前でしょうがっ!」


 花音がジト目で見ると、伯言は大きく咳払いした。


「とにかく! 大事な部下の危機ですもの、あっちがその気ならこっちも切り札を出すわよっ」

「切り札?」

「最強の切り札よ」


 得意げな伯言の衣の裾を花音はわしっとつかんでゆっさゆっさ揺らした。


「そんなもん持っているなら早く出してくださいっ!!!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて花音! その切り札は物は諸刃の剣なのよ……って暴力反対! ていうか上司に暴力とかあり得ないでしょうが!!」

「あたしの命がかかってるんですよ?! 早くしなくちゃあたし処刑されちゃいます!! 剣でも刀でもいいからその切り札を早く出してください!!!」

「わかった! わかったから落ち着くのよっ」


 伯言は花音の手を衣からむしり取ると、ふう、と息を整えた。


「その切り札で極刑のほうはなんとかしてみるから」

「う、はい……」

「とりあえず、今日は蔵書整理よ。来堂者はとぉっても少なそうだから」


 伯言は紙の束を持って肩をすくめる。

 後宮の中で噂が伝わるのは早い。凛冬殿の女官たちが冥渠から聞いたことは、少なくとも四季殿の中には広まっているだろう。

 この紙を貼りに来たのも、四季殿の女官たちに違いない。


「すみません、伯言様。華月堂に、せっかく人がたくさん来てくれるようになったのに……」


 花音がうつむくと、ぴし、と扇子が肩を打つ。

 けれど、その当たりはいつもより数倍柔らかい。


「なにをシケた顔してんの! しょげてるヒマがあったら、あんたもあんたにできることをやるのよ!」


 ぴしっと言われて、しゃきっと背筋が伸びる。

「そ、そうですよね! 暗赫の呪いなんかに負けません!!」

「その調子よ」

 伯言がにやっと笑む。

 そして花音は、ぴんと思いついた。


「あたし、南梓さんのお見舞いに行ってきます!」


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