第二十話 舞いこんだ手がかり


 璃莉りり南梓なんしが華月堂にやってきたのは、かなり陽が高くなってからだった。


「花音ちゃん!」

「こんにちは、璃莉さん、南梓さん。って、どうしたんです? そんなに慌てて」


 女官は礼儀作法を厳しく叩きこまれるので、後宮の中で走るということはめったにないのだが。

 二人はかなり息をきらしている。走らなくとも早足で来たのだろう。


「花音ちゃん、今、ちょっと時間ある?」


 切羽詰まった璃莉と、困惑顔の南梓。

 なにか事情がありそうだ。


 璃莉が花音の耳元で声を低くした。

「ちょっと気になることがあって。もしかしたら……蘇奈の死に関係あるかもしれないことなの」

「えっ」


 花音はちら、と隣に座る伯言を見る。

 伯言は扇子の下で軽く息を吐いた。

「昼までには戻るのよ」

「は、はい!」


(伯言様、いつになく優しい!)


 伯言なりに今回の事件で花音が容疑者になっていることを気にしてくれているのかもしれない。

 と思いきや。


「で、戻ったらすぐに後宮厨に走ること。今日はアツアツの海老焼売が食べたいわねえ」

 ぴき、と花音の額に青スジが走る。

(それは暗に走れと? 走れと言ってますよね??)

「それと胡麻団子も忘れずにね。ではいってらっしゃい」


 長い睫毛がまたたく。

 はたから見れば妖艶な流し目。伯言を推す女官たちは瞬殺だろうが、花音には魔王の目配せにしか見えない。


「ま、いっか」

 華月堂は今日も混んでいるのに行かせてくれるあたり、鬼上司もそれなりに花音のことを心配してくれているようだ。



 階段を下りると、璃莉と南梓は瑞香ずいこうの垣根を周り、華月堂の裏手へ花音をいざなった。


「いったいどうしたの?」

「花音ちゃん、これ見てくれる?」


 そう言って璃莉は、小さな紙片を花音に渡した。


「その紙片、『宝玉真贋図譜』の中に挟まっていたの」

「えっ……どういうことですか?」

「私たち、ちょっと前に宝物庫に忍びこんだことがあったの。蘇奈も一緒に」


 璃莉が言うと、南梓が言い訳するように付け足した。


「べ、べつに何か宝物を盗もうとか、そんなんじゃないわよ!」

「わかってますよ。璃莉さんと南梓さんと蘇奈さんが盗みを働くとか、思いませんから」


 花音が笑うと、璃莉と南梓は頷き合う。


「欣明近侍次官のことは知ってる?」

「ああ……」


 蛇頭の、と言おうとして、花音は咳払いした。


「ええと、あの個性的な髪の結い方をなさった御方ですよね」

 個性的。物は言いようだ。


「欣明近侍次官が夜中、宝物庫で異国渡りの珍しいお菓子をこっそり食べているらしい、って噂があってさ。その真相を確かめようって蘇奈が言い出したもんで、宝物庫に行ったのよ。ああ、今思い出してもドキドキしちゃう。ヘンなお面とかあって、怖かったなあ」

 南梓が顔をしかめる。

 璃莉が後を継いだ。

「そのとき、宝物庫に『宝玉真贋図譜』があったの」

「なんで『宝玉真贋図譜』が凛冬殿の宝物庫に……」


 花音は頭を抱える。

 どおりで華月堂の中を必死に探してもないはずだ。

 おまけに、その後で蘇奈の遺体と共に見つかったのだから。


「わからないの、それが」

「蘇奈が見つけて、これはみんなが好きな本だよねって言って見ようとしたら、本からこの紙が落ちたの」

 璃莉と南梓が言った。

「そのときは急いでいたし、懐にすぐに入れてしまってそのまま忘れていたの。でも昨日、ふと思い出してよくよく見たら、それって、その……」

「燐灰って、燐灰石りんはいせきのことじゃないですか?」


 花音がすかさず言うと、璃莉が頷いた。


「やっぱり、そうかしら」

「たぶん。この碧雷へきらい、っていうのはわからないけど、これもたぶん石だとすると、これも燐灰石と同じく宝玉になる石の名前かもしれませんね。この数字はなんでしょう」


 花音がいくつもかかれた数字を目で追っていると、璃莉がぽつりと言った。


「凛冬殿には、玉柱と一緒に屑玉が運ばれてくるって言ったでしょ?」

「ええ、袁鵬様から女官たちへの褒美なんですよね?」

「燐灰石は、この頃よく屑玉の中に入っているんです」


 思いつめたような璃莉の視線に気圧されて、花音はもう一度紙片をよく見た。


「燐灰と碧雷、その横に数字と、双方向の矢印か……」

 数字は燐灰のすぐ横の方が小さく、碧雷の方が大きい。

「斜線と『貫』の文字があるから、一貫あたりの……値段かしら」

「やっぱり花音ちゃん、気付くのが早いわ」

 璃莉がずい、と花音に迫ったので、花音は思わずあとじさる。

「ど、どうしたんですか」

「花音ちゃん。もし、もしも、後宮の中で密かに玉を売り買いしている人がいたとしたら、それってどうなるかしら」


 思いもよらない璃莉の発言に、花音は目をみはる。


「売り買い? でも袁鵬様は褒美として女官に屑玉を下賜なさっているのでは」

「そうよ。それを誰にも内緒で売り買いしている人がいたら、どうなると思う?」


 後宮は帝をはじめとする皇族の私的空間。

 そこで勝手に物の売り買いなど、言語道断だろう。


「玉の密売ってことですよね。それはやっぱり、罪に問われるのでは」

「ああ、そんな……!」


 璃莉は泣きそうに顔を歪める。


「ねえ、急にどうしたのよ璃莉。なんで急にそんなこと思ったの? 蘇奈が玉を売り買いしてたってこと? 蘇奈がそんなことするわけないじゃない! 殺されたって噂があるからって、そんな」


 南梓は困惑して璃莉の肩を揺さぶるが、璃莉は唇をかみしめたまま答えない。


「あの、璃莉さん――」

「花音ちゃん」

 璃莉が花音の手を取った。

「この紙は『宝玉真贋図譜』に挟まっていたわ。きっとあの本を借りた誰かがこの紙を挟んだのよ。ここ一年くらい、誰があの本を借りたか調べることはできる?」

「それはもちろん、できますけど」

 貸出記録を調べればいいのだから、そう難しいことではない。

「でも、なんで急にそんな」

「ごめんなさい。今は詳しく話せないわ。私にもよくわからないの。もっと詳しくわかったら必ず花音ちゃんにも話すから、お願いします」


 璃莉は頭を下げると、そのまま踵を返した。南梓があわててその後を追っていった。


「どういうことかしら」

 なぜ璃莉があんなに思いつめた表情をしているのか、花音にはわからない。急に言われて驚いてもいる。


 蘇奈が玉の密売をしていた?

 それで蘇奈は殺されたのだろうか?


「そんなこと蘇奈さんがするはずないわ」

 花音は思う。璃莉も、蘇奈が密売をしているとは思ってないのでは?

 それに、璃莉の物言いには、どこか違和感があった。


「璃莉さんは、何か隠してるわ」

 何かはわからないが、璃莉はすべてを話していない気がする。

 今は詳しく話せないと言ったことと関係あるのかもしれない。



「とにかく貸出記録を調べてみなくちゃ。これはきっと、あたしの冤罪を晴らすことにもつながるわ!」

 冥渠に容疑者扱いされているこの状況をどうにかしたかった花音にとっては、渡りに舟だ。

 花音は急いで華月堂へ戻った。


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