第四話 伝説の女傑と朝廷の大妖


「ば、バカね南梓、何言ってるのよ!」

「そ、そうよ、涼霞様はみんなの涼霞様なんだから!」


 どうやら、女官たちの憧れの的らしい。

 花音は後宮事情に疎いため、初めて聞く名前だが。

(そういえば……)

 七夕のときは、禁軍十五衛の衛兵たちが、女官たちの間で人気のようだったことを花音は思い出した。


「その方は、禁軍十五衛の衛兵ですか?」

 焦る二人に聞けば、「まさか!」という答えが返ってくる。

「禁軍は禁軍でも、涼霞様――姜涼霞きょうりょうか様は、18歳にして騎兵将軍を勤めたこともある、女性なのよ!」

「え?! 18歳で?! ていうか……女の人?!」


 龍昇国では、男女問わず、採用試験に合格すれば禁軍の兵になれる。

 けれどもやはり体格差などから、女性で役職の地位まで昇ることはほとんどない。もちろん、いるにはいるが、そういう女性は伝説になるほどである。

 姜涼霞きょうりょうかは、どうやらそういう伝説の女傑らしい。


「ほら、少し前に、西虎国への遠征があったでしょ?」

「ああ、そういえば、ありましたね。邪教の乱を平定するために、今上帝が禁軍を派遣されたのだとか」


 その話は、花音も故郷・鹿河村にいたとき、大人たちが話しているのを聞いたことがあった。


「涼霞様はその遠征でお怪我をされて、一線を退いていたんですって。そこへ、袁鵬様がお声を掛けられたのよ。後宮に届ける荷の護衛をしてほしい、って」

「荷の護衛、ですか?」


 禁軍で騎兵将軍までにもなった人物に荷の護衛をさせるなんて、もったいない話では……などと花音が思っていると、


「ほら、なにしろ袁家から後宮へ運ばれてくる荷って、たくさんだし高価な品ばかりでしょう? 北方から運ばれてくる玉柱だけでも、御殿が立つお値段だから」

「たしかに……」


 凛冬殿に運ばれてくる玉柱は、木材のような巨大さだ。

 あれほどの玉柱はおそらく、龍昇国でも良質な鉱物の産出地・函谷県から運ばれる物だろうし、そうだとすればその価値も、龍泉の都までの道のりも、並大抵のものではない。


「道中の盗賊対策とかもあるし、荷が高価だから、その辺の荒れくれ者や万屋を雇うわけにもいかない。それに、運び入れる場所が後宮でしょう? 女性しか中に入れないから、涼霞様ほど適任な方はいなってわけ」

「なるほど!」


 花音はやっと納得できた。


 南梓は、ふっくらした頬にえくぼを浮かべてにんまりと笑う。

「涼霞様は、玉の運搬をお手伝いしたときは、しばらく凛冬殿に滞在されるのよ。そうするともう、たいへん。凛冬殿の女官たちは少しでも涼霞様の御姿を拝見しよう、お言葉を交わそうと、昼も夜もそわそわしているの。ちょうど今もご滞在されているんだけどね。蘇奈と璃莉が勉強するのは、そういう下心からってわけ」

「ひどいわ南梓!下心なんて!」

「そ、そうよ! 私たち、そんなやましいこと考えてないわ!」


 二人が必死の言い訳をしかけたとき、凛冬殿の年嵩の女官が「もう帰りますよ」と声を上げた。


「「「はーい、ただいま参ります」」」

 三人はパッと切り替えて、女官らしく返事をした。


「じゃあ、またね、白司書」

 凛冬殿の女官たちは、それぞれ宝玉関連の本を手に、去っていった。

 その姿を見送っていた花音の背後から、

「……袁鵬えんほうはねえ、超、超やり手のオッサンなのよ」

「うわっ、伯言様いつからそこに?!」

 いきなりずいと現れた伯言に、花音はのけぞる。


「袁家は古くから大貴族五家の一つだけど、長いこと末席に甘んじていたのよ」

「はあ」


 いきなり現れて、いきなり世間情勢について語り出す。神出鬼没の伯言だが、花音はすっかり慣れていた。


袁鵬えんほうは家名はあれど貧乏な袁家の末弟でね。没落しかけていた家を巧みな商いで建て直した上に、朝廷内では実の兄たちをも制して、実力で吏部尚書にまでのし上がったのよ」

「すごい方ですね」

 花音は純粋に讃える気持ちで言ったが、伯言は嫌そうに鼻を鳴らす。

「ふん、どうだか。裏では相当、汚いことをやってるんだから」

「は、はあ……」


(ほめたいの?! けなしたいの?! どっちよ?!)

 花音はモヤッとするが、伯言の話がとりとめもないのもいつものことだ。


「商いで培われた人脈を使って、貴族や官人への根回しも抜け目ない。娘を後宮にも入れたし、その勢いは、今や飛ぶ鳥も落とす勢いね。次の宰相は袁鵬だって言われてるくらいよ」


 貴族の中にも、代々商いで財を成す家は多いと聞く。

 袁鵬の場合、それを一代で築いたあたりが、周囲から一目置かれる理由なのだろう。 


「だから函谷県かんこくけんから玉柱を運んだり、異国渡りの品をたくさん仕入れたりできるんですね。袁鵬様は、凛冬殿の女官のみなさんにも玉をくださるらしいですよ」

「出たっ、人たらし!」

「へ??」

「それも袁鵬の策略なのよ。玉や宝飾品を見る目を持っていることは、女官としての格を上げることにもなるの」

「そうなんですか?」

 玉や宝飾品を見る目は、詩や雅楽、舞いなどの教養と同じものらしい。

「女性は、美しい物に惹かれるものでしょ? 宝玉を賜れると思えば、女官たちは一生懸命に宝玉について学ぼうとするわ。読書をすること自体が、教養を磨くことになるでしょ? そうやって凛冬殿の女官の質を上げていくっていう仕組み。皇貴妃に選ばれるには、一に殿下の寵愛、二に貴妃の性質、三に貴妃付き女官たちの質、って言われるくらいだから」

「はあ……」

「人を操るのが上手いのよ、袁鵬は。朝廷の大妖たいよう、と影で言われる所以ゆえんね」


 伯言は大きな二重の双眸を半目に細める。扇子で口元は見えないが、舌を出していそうだなと花音は思う。


「天性の人たらしっていうのかしらねえ。気を付けていないと、まんまとあのオッサンの策略の手の内ってことになるあたりが腹立たしいというかなんというか」

「……あの、お嫌いなんですか? 袁鵬様のこと」

「べっつにい。好きでも嫌いでもないわよ。視界に入ってないし、そもそも興味もないしぃ」


 それにしては言葉の端々にトゲがありまくりですね、と言おうとしたとき、

「すみませーん、貸出お願いしまーす」と受付前に女官が数人、集まってきた。


「はーい、ただいま参ります」


 つまり伯言は袁鵬が嫌いらしい――と結論づけ、花音は急いで仕事にもどった。

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