なにがあっても夜が明けるまでこの部屋から出てはならない。

「はっはっはっ、セックスしないと出られない部屋といったおもむきだね」

「いや、この場合は違うだろ……」

 よりにもよって、この女と一晩。

 秋沙は届けられた出前の寿司を食べ終え、歯を磨けないことに不満を抱きながら布団を敷く。

 祖父たちに五代九曜と名乗った山中で出会った女はポットの湯でインスタントの吸い物を作って飲みながら、爪楊枝をくわえていた。

 九曜は祖父たちから凄まじい威圧を加えられながら身元を聞かれたが、秋沙の家の稼業に興味のある旅行者であると名乗り、調べてみると見学のアポイントメントをとっている人物であるとわかった。

 一応の客人というあつかいになった九曜はだが、見学などは無論許されず、家に入ってすぐに風呂で身を清めさせられると、同じく身を清めた秋沙と同じく屋敷の奥の一室に放り込まれた。

 よくあるやつだ、と秋沙は思った。

 なにか怪しげなものを見た語り手が、そのことを祖父に話すと急に祖父の様子が一変し、封印を施された部屋で恐怖の一夜を過ごす。

 まさか現役で怪しげな稼業をやっている秋沙の家が、そのシステムに取り込まれるとは思わなかったが。

「しかしなんというか、できすぎな気がしてしまうのはなんでだろうね」

「なにがだよ」

 無視してもよかったが、どうせ離れることはできない。

「君も言ったじゃないか。『この場合は』と。今の状況は、ちょいとばかし陳腐にすぎるとは思わないかい」

 九曜も当然、秋沙と同じくこの状況が戯画化されたシステムだと気づいている。

「というか、あんたは何者だよ」

「物好きな旅行者だが」

 すっ、と秋沙は右手で刀印を結ぶ。

「今時の旅行者が護身用に身につけるには過ぎた祈祷法だと思うが」

「おや。てっきり君はお家の稼業には興味がないとばかり思っていたが。あの数の不良を倒した時も、君は呪術の類いは一切使っていなかった。使わないことと使えることはイコールではないというわけか。恐れ入った」

 吸い物を飲み干して急須に茶葉を放り込むと、湯呑みをふたつ出してポットから湯を注ぐ。茶葉が煎茶であることを見て、湯の温度を冷ましているらしい。

「今夜一晩、君とは一蓮托生だろうからね。隠しているのも具合が悪い。私は五代九曜。元国家陰陽師で、現在はフリーの妖怪ハンターをやっている」

「陰陽師だァ?」

 秋沙の家は、自分たちを陰陽師と名乗ることをしない。外部へと紹介される過程で、その技術や方式から「陰陽師」と呼ばれることにはなったが、自称することは一度もなかった。

 秋沙の家がやっているのは地域に根づき、受け継がれてきた単なる呪術で、それを行う者は「博士はかしょ」と呼ばれる。

 この地域の博士が学者に発見されて一部で有名になる以前から、博士のもとに時折現れる役人がいた。

 幼い秋沙があれは誰なのかと訊ねると、祖父はあまり見ないようにと注意してから、あれは陰陽師だと脅かすように言った。

 秋沙も陰陽師を自称してはならないという自戒めいた家風は身につけていたから、であるならば陰陽師を自称しない博士たちが陰陽師と呼ぶ役人は、きっと本物なのだろうと驚いた。

 ところがこの女は、軽々に自分が陰陽師であると明かした。

 ものすごく、信用ならない。

「まあまあそう不審がらないでもらいたいな。私も明かしたくない身分を明かしたんだ。そこはもう少し信用してくれたまえよ」

「――妖怪ハンター、って?」

「その名の通りさ。妖怪を求めて西へ東へ。採集、同定、分析、解体、抹消――ご用命とあらばなんでもやる汚れ仕事だよ」

 いやらしい話し方をする。九曜は妖怪が存在するか存在しないかの明言を行わないまま、妖怪を相手にする様々なレイヤーを曖昧にして秋沙と口を利いている。

 少なくとも秋沙は妖怪が存在する前提でこの場にいる。だが九曜は自身の前提を示さずに、秋沙の土俵がどんなものかを品定めしている。

 相手の定義づけを測り、同じ土俵に上がり込むことを狙っている。

「じゃあ、ここへ来たのは」

 なのでここはいったん泳がせる。

「この地に伝説の残る妖怪――青ヤギを狙ってやってきたのさ」

「青ヤギ……?」

 秋沙は一応、土地に根づいた妖怪や怪異の名前や姿、対処法などは一通り心得ている。

 だが、知らない。

 青ヤギなどという妖怪は、聞いたことすらない。

 そして思い当たるのは、先刻山中で見た青い体毛の獣。

 あれは――そう、よく特徴を当てはめていけば、ヤギだった。

「しかし参った。さっそく見つけたと思ったらこの有様だからね。青ヤギというのはこんなことをするほど恐ろしいものなのかい」

「――知らない」

「妙だとは思わなかったのかな」

 聞いてはならない。九曜の術中に嵌まることになる。わかっていても、秋沙には遮ることができなかった。

「君も知らない妖怪青ヤギが出たとたん、血相を変える家人。どこかで読んだことのあるような定石通りの展開で屋敷の一室に閉じ込められて一夜を明かす。まるで読み物のように進行するわりに青ヤギの正体は皆目わからない。そしてもう〇時を回ったが、恐ろしい怪異らしきものは気配すら表さない」

 急須から湯呑みに茶を注ぐ。いつ湯呑みから急須に冷ました湯を入れたのか。〇時を回ったと言っているが、いつの間にそんな時間が過ぎていたのか。

「そもそも君は、なぜこの部屋に閉じ込められている?」

「あ――」

 秋沙は襖に手を触れていた。おそらく外から封印の札が隙間なく貼られているであろう引き分けの間を指で伝い、引手に指がかかる。

 ぬるりと、すぐ背後から覆い被さるように九曜が立ち上がっていた。

「さあ」

 呼気が旋毛をくすぐる。細くしなやかな指が、引手で固まっている秋沙の指に絡まる。

「君はどうする」

 秋沙はじっとりとした九曜の陰に入りながら、引き分けの襖を開け放った。

「よし。認識皮膜を破った。すぐに着替えたまえ。セーラー服は戦闘服というじゃないか。ここからはずっと死地のようなものだよ」

「え――」

 秋沙はいつの間にか最初に出会った時と同じ恰好に着替えている九曜を見て目をしばたたく。

 とっくに夜だと思ったのに、開かれた襖から覗く空は赤い。

 朝焼けではない。燃えている方角が違う。

「説明している時間はあんまりないので着替えながら聞いてほしいのだが、君と私はお約束の筋書きに囚われかけていた。最初から認識の埒外にいた私も、同じ空間にいる君が認識を違えてくれないと身動きができないくらいの悪質で陳腐なプロットだ。どうやら青ヤギは思った以上に厄介な相手のようだね。おいおい、なにをぼけっと突っ立っているんだい。必要なら手伝うが?」

「いや、待って。なにが……」

「では手短に現状を確認しよう。君は青ヤギを見た。結果、青ヤギの都合のいい方向に進む筋書きに乗っかかりかけた。そこを私が、私に都合のいいように君の認識を破った。つまり今の君は、走り出したプロット上の邪魔者になってしまったというわけだ。今や世界のすべてが君の敵だと思ってくれて構わない。というわけで助かる方法はひとつ。青ヤギを見つけて回収する。道中出てくる怪異妖怪と人間はすべてぶちのめすしかない。わかったかな?」

「いや、わからねえよ!」

「では協力を願おう。神宮秋沙くん、君に私の仕事を手伝ってほしい。スケバンという、私などからすれば超常の力を、『冠位計画』を止めるために貸してもらいたいのだ」

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