第25話 あなたは恩寵を受けたのです

 ある晩、少年は歌劇を見て心地よい満足に疲れて、服を緩めて寝台の上で横になっていた。

 少女とみまごう少年のとなりに、何も身につけていない王太子が添い寝してきた。少年は驚いて起き上がった。

 だが、王太子は少年を押し込めるように後ろから抱きしめ、熱い吐息を少年の耳や首筋にもらし、静かに囁く。


「この日を待っていたんだ……。もういいだろう。さあ、私に身を任せて」


 身を任せる、という言葉の意味がいまいちわからないままに、服を脱がされた。

 香油を塗られるのだろうか、と思って抵抗せずにいた。もちろん香油は塗られた。

 その直後。

 優しい王太子とは思えない、何か大きなが少年に覆いかぶさった。


 そのあとのことは、少年にはまったく思い出せない。


 ただ、少年は、恐怖と痛みと、気持ち悪さとで、ひどく泣いてしまったのと、


「大丈夫だよ、泣かなくとも。……あぁ、気持ちがよすぎて頭がおかしくなりそうだ。叔父上のおっしゃっていた通り。子作りのためとしか思えなかった行為が、こんなにいなんて」


 王太子が喘ぎ声をもらしながら自分の上で激しく身体を動かしていたことの二つだけは覚えている。


 次の日一日、身体中が氷漬けにされたような震えと息苦しさに見舞われ、全く寝台の上から動くことができなかった。その次の日、必死で自分の家に帰った。


 母は顛末てんまつを聞くと大泣きし、やっぱりローゼンキルヒェンに行こう、といった。だが、祖母はまるで拷問を受ける聖女のような顔をして、少年の頬を撫でた。


「エリアス、……これは、光栄にして恩寵なの。王太子殿下にされたことは、今はつらいことかもしれない。けれども、本家のアンゼルム様以外は、お前のおじいさまも、大叔父様のアロイス様も、大叔母様のテレーゼ様も。父親のヴェンツェルも、叔母のツェツィーリエも。みんな王家をはじめ、身分高い方々にされたこと。レーヴェンタールの人間は、それで、田舎の貴族からのしあがり、公爵や伯爵の位まで手に入れたの。むしろ、誇りなのよ。


 ——


 こんな恐ろしくて怖くて苦しいものが、と叫びかけた。だが、それを声にしてしまうには、あまりに少年は物分かりが良すぎたし、背負うものが多かった。


 ——ああ、そうだ、自分がここで逃げたら、母上とおばあさまを路頭に迷わせてしまう。


 少年は王宮の離れに帰って行った。そこでは、王太子が「出かけてたのかい?」と待っていて、「どうぞ」と少年に贈り物をくれた。膝に乗せ、優しく頭を撫でてくれた。

 そうだ、と王太子は自分の読んでいる数学の本を持ってきて、膝の上で講義をつけてくれた。苦手な数学が、王太子の口から語られると非常にわかりやすかった。


 そのとき、少年は自分のされていることの是非を考えるのをやめた。


 ——恩寵、これは恩寵なんだ。


 そう思うことで。


 覚悟を決めてしまうと、王太子から与えられる行為に慣れるのは早かった。

 王太子の腕のなかで、少年は歳にそぐわぬ快感の極みを何度も味わわされた。少年は、ぁあ、殿下、と喘いで官能に溺れていった。



 少年は寵愛が深まるにつけ、様々な宮廷の情報を得ていった。

 一番気になったのが、王太子妃が懐妊しているということだった。

 妻が身ごもっているというのに、王太子はそれをきっかけに少年を見出し寵愛を向けたらしい。理由をそれとはなしに聞いても、はぐらかされるだけだった。


 ——殿下にとって、お妃さまからの逃げ場なのかなあ、ぼく。


 あまり考えるのをよそう、と少年は首を横に振った。王太子妃は気高く聡明と評判で、悪い話は聞かない。夫婦仲はいいと聞くから、もっと不思議だ。

 

 王太子妃がつわりで苦しみ、懸命に王太子がその看病をした日の夕方、王太子が離れにやってきた。どっかりと安楽椅子に座り、くつろぎはじめた。

 王宮の離れでは女性の格好をすることが常態化し、モスリンのドレスに身を包んでいる少年は、グラスに注いだ葡萄酒を差し出す。王太子は一気にあおると、愚痴をこぼした。


「疲れた。、何をしてもどうしても違うだの気持ち悪いだの、——ついには孕ませた私が悪いとまで言う」


 少年令嬢は首を傾げ、乱暴に突き出されたグラスを受け取った。珍しくも王太子の機嫌が悪い。

 彼は口での奉仕を要求してきた。

 最近はかなり卑猥なことも要求されるようになっている。だが、少年は嫌悪や恐怖を感じることもやめ、何も判断することも止め、考えることもやめた。彼はとても優しい知的な主君なのだ。

 安楽椅子に座る青年の前に膝をつき、脚の間に顔を埋める。

 ああ、と少年令嬢の若い主人は頬を上気させて恍惚として目を閉じ、甘い喘ぎを漏らす。夫婦生活の不満などどこかへ吹き飛んだように。


「……ご令嬢、そこは……あぁ……だめだ……」


 でも、止めると明らかに欲求不満な顔をするからやめない。


 口のなかに放たれたものを嚥下していると、柔らかい疲労にまなじりを濡らしている王太子が上気した頬のまま、微笑んだ。


「何か欲しいものでもある?」


 それを、厳しい顔をした女官のひとりが廊下で聞いているとは少年も、王太子本人も気づいていなかった。彼女がその場から憤然と王太子妃への居室へと立ち去ったことも、もちろん。

 モスリンのドレスを着て、豊かな栗の髪を垂らし、王太子の脚の間に顔を埋めて口で奉仕している美少女が、まさか少年だとはその厳しい顔をした女官さえも思い至らなかった。

 少女の姿の時は「ご令嬢」とだけ呼ばれ、王太子しか実名を知らず、周囲には王弟の知人の遺児だとしか語られない。


 王太子の愛妾である少年令嬢は笑んだまま、王太子の腿の上に顔を乗せる。その仕草は蠱惑的だった。


「この国で一番の政治学者の講義を受けたい。本だけではわからないこともあって」

「いいとも。受けさせてあげる。ちょうどその学者は私の知り合いだ」


 王太子は二つ返事で頷いた。



 世の人間は不思議なもので、王太子が懐妊中の妻を差し置いて惑溺している美少女と、首都の片隅の館で祖母や母とひっそり暮らし、王家の慈悲により王室の図書室に入って勉強することを許されている不遇な少年を、同一人物だとは全く思わなかった。

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