№6 敵襲

 やがて学食にたどり着くと、影子はハルの腕を振り払いぱあっとショーケースへ走り去ってしまった。慌てて後を追うと、彼女はきらきらした眼差しでショーケースの中の埃をかぶった食品サンプルを眺めている。


「わー、わー! アタシ、この学食のきつねうどんってやつ、いっぺん食ってみたかったんだ! なあ、なあ、金出せ」


「カツアゲかよ。にしても、君が食べ物に興味を持つなんて意外だな」


「十何年も影に潜んでアンタのこと見てりゃ、そりゃあどんなもんなんだろうって興味ももつさ」


 にしても、なにゆえきつねうどん……幸いにも今日は昼ごはん代をもらってきたので、影子に小銭を握らせて、自分も列に並ぶ。カレーを選んで席を探していると、友達たちと談笑する倫城先輩とばったり鉢合った。


「おう、塚本。聞いたよ、転校生が来たんだってな? お前の親戚だって」


 先ほどの『事件』はまだ伝わっていないらしい。ほっとしつつ、


「はい。影子って言います」


「へえ、変わった名前だな。なあ、俺にも一度会わせろよ。かわいかったら狙っちゃうかも?」


「そっそそそそおそそそ、それだけは、やめた方がいいです!!」


 冗談交じりに行った倫城先輩の言葉に、慌てて制止の言葉をかける。不思議そうな顔をして『そうか? 過保護なんだな』と間違った方向に納得して、倫城先輩は友達たちと食器を返しに去っていった。


 安堵していたのもつかの間、突然に背後から声がかかる。


「……おい」


「はっ、はい!?」


 きつねうどんを持った影子が、目で倫城先輩の背中を追っている。他人のことをダニ以下の存在と思っている節のある影子が他人に興味を示すなんて、珍しいことだ。しかし、その視線は恋する乙女とは程遠く、ただひたすらに鋭利だった。


「あいつ、何者だ?」


「何者、って……知り合いだよ。学校一の完璧超人でモテ男の倫城先輩」


「……あいつとあんま関わんなよ」


「は?」


「さっ、きっつねうどーん♪」


 なぜ、と聞き返すより先に、影子は空いている席を見つけて座ってしまった。それ以上は聞くなということだろうか。とはいえ、『影』である影子が近づくなということは……敵?


 向かいの席に腰を下ろしながら、もしかしたら先輩も『影』なのかもな、と冗談交じりに考えてしまう。


 影子は宝物のようにお揚げを箸でつまむと、あむ、と一口かじる。青白い顔色に明るい色が差した。


「うんめー! なにこれ、ジャンクでチープでプチプラで、の良さがふんだんに! マズいっちゃマズいしうまいっちゃうまいこのバランスがたまんねえ! 出汁もいかにも化学調味料満載でうめえ!」


 ずるずる、麺とお揚げを交互にすすりながらはしゃぐ影子。褒めているのかけなしているのかわからない食レポだ。


 そんな彼女を苦笑して眺めながら、意外にこんな顔もするんだなとちょっと微笑ましい気持ちになったのはないしょだ。


 


 


 昼休みが終わり、教室に戻った後も、影子はクラスの主として君臨していた。


 なにもしない、なにも言わないのに、クラスメイト達は暗黙のうちに影子を突然現れた支配者として遠巻きに見ている。


 あの一ノ瀬でさえ、影子と目を合わせようともしない。


 やがて授業が終わり、下校の時間となった。


 教室を出る影子に付き従っていると、クラスメイト達が自然に道を開けているのが分かる。モーセのように悠々と道を闊歩しながら、影子とハルは教室を出ていった。


「さーて、青春と言えば放課後、放課後と言えば青春だよな!」


 帰る道すがら、駅前を歩きながら影子が伸びをする。


「なんだよその認識。僕はまっすぐ帰るから」


「秘密基地巡りもせず?」


 本当に、ハルのことはなんでも知っているらしい。子供っぽい趣味を指摘されたことで頬を赤らめ、ふいっとそっぽを向く。


「今日はいいの。君のいない日にするから」


「まあまあそう言わず、誰も来ない薄暗がりでいやらしいことでもしようぜぇ♡」


「はぁ!?」


 慌てて振り返り、ますます頬を赤らめるハルを見て、影子が指をさして笑った。


「あははははは! ムッツリスケベはさっきのでどこまで妄想したかなぁ?」


「この……!」


 拳を握りしめてふるふるする。しかし、報復が怖いので実力行使にでることができない。どうせ口でも負けるのだ、今は雌伏の時だ。


 自分をなだめながら歩いていると、ふと影子が立ち止まった。見ていると、すんすんと鼻を鳴らして路地の奥を見つめている。


「どうした?」


「……獲物だ!」


 そう言い出すや否や走り出す影子。『ちょっと待ってよ!』と言い出す暇もなく、猛スピードで疾走する彼女の後を追いかける。


 路地を何度も曲がり、やがて二人は一棟の廃工場にたどり着いた。入り口は開いていて、薄暗く埃っぽい中の様子が見て取れる。


 躊躇なく中に入りきょろきょろと辺りを見回す影子に、息を乱しながらおそるおそる尋ねてみた。


「あの……『獲物』って?」


「決まってんだろ、『ノラカゲ』だ」


 絶句する。と同時に、先日の恐怖がよみがえる。


 またあんな思いをするのか……と逃げようとしていると、がし、と影子がまた頭を鷲掴みにしてきた。


「ご主人様には、アタシの勇姿をご覧いただかなくちゃあなぁ」


「ああああ! 神様! 僕は無関係です!」


「神も仏も無関係もあるか。アンタ、それでもアタシの主人か? ちったぁそのなさけねえ根性叩き直さねえと」


 勘弁してくれ!と叫ぶより先に、しっ、と影子がくちびるの前に人差し指を立てた。


「……来るぞ」


 にぃ、と素のままで紅いくちびるが深い笑みの形を作る。


 しばらくの間、あたりに沈黙が満ちた。


 本当に来るのか? と思いかけた、そのときだった。

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