導くべき大人たちに見棄てられた兄妹は、悪事という泥沼を進むしかなかった

多くの場合「救い」とは来世にあるものだとされています。
それは、この現実世界には「救い」など滅多にあるものではないからなのでしょう。
そんな救いのない世界を生きる、かぼそい命綱こそが、善というものなのだとしたら。

予定調和のように切れてしまうほど細い善しか紡ぐことができなかった主人公の姿は、あまりにも哀しい。