Shoot get kiss rendezvous (シュート・ゲット・キス・ランデヴー)

島居咲(しまい さき)

第1話

 その死体は、凄惨だった。


 内臓は引きずり出されてミキサーの透明な容器の中に詰められている。

 その容器の上に目玉が2つ、擬人化されたかのように乗せられていた。


 口元は大きく裂かれて、横から顔を見ると180度以上口が開かれていて、口の中から生えているかのように喉に男性器が押し込まれていた。


 部屋の中はすえたような死臭が立ちこめ、御子柴(みこしば)は体じゅうにその臭いがまとわりつくのを感じていた。

 口の中が乾き、つばを飲み込もうとしてもそのつばが出てこないほど彼は乾いていた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 車で現地に入った。

 目的地は三重県S市にある、S市公民館。


 名古屋と大阪を結ぶ東名阪国道を鈴鹿インターで降り、国道1号線を横切って南下15分ほどの場所だ。

 主要幹線沿いにありながら、建物自体は少し路地を入ったところに建てられているため、閑静な佇まいを呈していた。


 公民館の小さな駐車場は四方の壁面に沿って木々が植えられ、残暑の日差しを多少なりとも遮ってくれている。


 御子柴は、フロントガラスが木陰に入るように車の向きを調整して止めた。車内には空調を効かせているものの、シャツは汗ばんだ姿を隠せない。


 予定には少し早かった。

 まだ正午を少し回ったくらいだというのに、アイドリング中のエンジン音が静かな響きを立てているのがわかるほど静かだ。時折その音がかき消されるのは、つくつく法師が夏の終わりを告げる合間である。


 携帯電話が鳴る。

 御子柴は、画面に表示された相手の番号を軽く確認しながら応答した。

 電話の主は、公民館の中に招き入れる旨を告げて切った。

 内容はただそれだけだ。

 御子柴はそれを合図に車を降りようとしてドアを開けたが、体がシートベルトに固定されたままだったのに気づき、ばつが悪そうに肩をすくめた。空調が効いた車内を名残惜しそうに一瞥すると、車の脇に降り立った。

 熱気が瞬時に体を包み込む。

 公民館の入り口は駐車場からすぐのところにあったが、湿気を多量に含んだそれは、御子柴のシャツを体に軽く貼りつかせるには十分だった。


「お待ちしておりましたわ。御子柴…」

「和樹。御子柴和樹(みこしばかずき)です。横関さん」

 間髪入れずに、先ほどの電話の相手に面と向かって自己紹介をする。

「真由でけっこうよ」

 そう言った相手は女性だった。

 閑静で瀟洒な公民館の中は、名残を惜しんだ車内より空調が整っていた。


 真由と名乗ったその女性は、喪服姿であった。

 通夜から告別式を経た彼女の顔には、若干の疲労が見て取れた。

 年の頃は30歳手前とのことだが、童顔のためか20代前半に見える。身長は150センチ前後でそれほど高くはないが、女性らしい丸みを帯びた体型である。


「告別式は、もうお済みに?」

 御子柴が周囲を見回しながら訊ねる。

「ええ。親族はそれほど多くはなかったので、もう全員帰られました」

 第一声以降、彼女は目の前にいる先ほどまで汗ばんでいた男性とは目を合わせていない。どこか独り言で答えているかのような様子だ。


「現場検証は終わってますか?」

 相手の感情を想像すると具体的な質問はためらわれたが、時間が惜しい。いきなり本題に入る。

「はい。昨日…」

 御子柴は、真由の返事の全てを聴き終える前に、心の中でひとつため息をついた。

 ヒントはそう多くはないと悟った瞬間であった。


 依頼があったのは数日前だ。


 横関真由の夫、横関茂雄が心筋梗塞らしき原因で亡くなった後のことである。

 "らしき"というのは確証がなく、現在調査中のためであり、発作による自然死なのかどうかもそれで断定されることになるだろう。


 御子柴は、公民館の控え室で事の顛末を聞いている。申し訳程度の応接セットが置かれた、白い壁の6畳ほどの空間。木製のテーブルの上には、御子柴の名刺と日本茶が入れられた小さな湯のみが2つ並び、急須が置かれている。

 先ほど駐車場で聞いたつくつく法師の輪唱は、この室内には届かない。


 30代を前にして未亡人となった喪服姿の女性は、淡々と現在わかっている範囲の事を話していく。

 その表情にどこか生気がないのは、歳は離れていても愛する伴侶を亡くしたからだと理解できる。視線が動いたのは、御子柴の名刺を確認したときのみであった。


 御子柴和樹はフリーのルポライターである。

 本来はそうしたいのだがそれだけでは食べていけないので、知り合いの伝手で保険の調査員を兼業している。


 本業の方は、大企業の不正などを内部告発と独自の裏付け捜査によって暴露する記事を書き、写真週刊誌や新聞にそれを買い取ってもらうのを生業としている。記事は企業のみに限らず、脱法ハーブの流通経路であったり、少女買春グループの実態などさまざまだ。


 取材を開始した時点では報酬は発生しないために最初は持ち出しが多い仕事であるが、彼自身は気に入っている。


 調査員の仕事はと言えば。

 依頼を受けて仕事をする時は、たいてい依頼主の企業の不正受給が主であったが、個人の原因不明の死因の調査は初めてだ。


 御子柴は、少しぬるくなったお茶を口に入れた。乾きそうな口の中を湿らせる事が出来るのなら、温度など関係なかった。


「解剖結果は、心筋梗塞による発作ですか」

 御子柴の問いに、今回の依頼主は少し間をあけてうなずく。

 本来の生気があれば、もっと魅力的な女性なのだろう。だが、その表情は硬く、今は全ての事実を受け入れないかのような意思すら感じる。


 日頃は不粋なルポライターであったが、今日ばかりは未亡人を早々に解放させることにした。会釈をし、何か変化があればまた連絡をするよう彼女に伝え、公民館を後にした。


外に出ると、いかに公民館の空調がさりげなく効いていたかの証明を全身で感じることとなったが、またすぐに汗ばもうとするシャツの一部を軽く指でつまんで肌から離しながら、御子柴は車に乗り込んだ。

 車内は、湿気以外の外気温を忠実に再現しようとする最中だった。

 完全に再現する前に戻れたのはささやかな幸運だ。


 夕暮れの頃合いだが、まだ外気は攻撃的なほど高い。

「ここに停めておいて正解だった」

 誰に言うともなく、口に出す。


 今回の件の正解はどこにあるだろう。

口に出した言葉の続きは心の中で続けつつ、御子柴はすぐにセルを回し、エンジンをかけて空調を全開にした上で、ゆっくりと木陰から車を離していった。


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