友達なんかじゃない

丸井まー

第1話 トカゲになったオリバー

 オリバーは必死で短い手足を動かし、埃で汚れている床を這い回った。捕まってしまったら何をされるか分からない。オリバーは悔し涙で滲む視界の中、小さな体躯を潜り込ませられる棚の隙間に入り込んだ。


 オリバーは魔法学園に通う16歳の地味な少年である。癖が強くてボサボサの黒髪に地味なヘーゼルナッツみたいな色の瞳で、顔立ちそのものはそんなに悪くないのだが、瓶底みたいな分厚い眼鏡をかけているので、とても地味で根暗な印象を与えるような容姿である。背は高い方だが、猫背が癖になってしまっているので、尚更情けない雰囲気を醸し出している。

 オリバーはいじめられっ子だ。15歳で魔法学園に入学してから、ずっといじめられている。廊下で足を引っ掛けられたり、物を取られたり、バケツの水をかけられたこともある。授業以外じゃ訓練場でしか使うことを許されていない魔法を使って、嫌がらせをされたこともある。周囲の生徒達も教師達も見て見ぬフリをしている。

 オリバーには夢がある。魔法使いになって、王城で働きたい。オリバーの両親は幼い頃に他界しており、オリバーは祖父母に育てられた。オリバーの父は優れた魔法使いだった。オリバーの祖父母は、小さな頃から父がどんな魔法使いだったかをよく話して聞かせてくれた。話に聞く父は本当に格好良くて、自然とオリバーも魔法使いを目指すようになった。


 オリバーは複数の靴の音が離れていくのに耳をそばだて、周囲が無音になると、そろそろと棚の隙間から身体を出した。小さな手足を駆使してなんとか壁によじ登り、微妙に白けている窓を覗き込む。小さな手でなんとか汚れた窓を拭き、自分の姿を見た。どこからどう見てもトカゲである。色が黒いのは少し珍しい気がするが、完全にトカゲだ。オリバーはしょんぼりと項垂れた。図書室で課題に必要な本を探している時に、いじめっ子達に襲撃された。本来ならば、姿を変える魔法はまだ使ってはいけないし、そもそも決められた場所以外で魔法を使うことは禁じられている。いじめっ子達はオリバーに魔法をかけると、ゲラゲラ笑いながら、小さくなったオリバーを追いかけ回した。オリバーの身体を踏もうとする少年達から無事になんとか逃げ切ったが、どうやって元の姿に戻ればいいのか、全然分からない。変身魔法はかなり複雑で難易度が高く、まだ授業で触り程度にしか習っていない。話せないかと試しに声を出そうとしてみたが、何の音も出せなかった。オリバーは窓を見ながら、つぶらな瞳からぽろぽろと涙を溢した。もう嫌だ。毎日が辛くて堪らない。オリバーはただ魔法使いになる勉強がしたいだけだ。なのに、何故毎日のようにいじめられていて、今は人間の姿ですらない。オリバーは特に何をした訳でもない。見た目が陰気で地味なのが悪いのだろうか。オリバーは声も出せずに、窓のさんの辺りで小さく丸まり、静かに涙を溢した。


 オリバーがはっと気づいた時、何やら温かい布に全身が包まれていた。自分は図書室の隅っこの窓にいた筈だ。もしや、いじめっ子達に見つかってしまったのか。オリバーはパニックになって、その場でジタバタと暴れまわった。そんなオリバーの身体を布の上から誰かが撫でた。思わずビクッと身体を震わせてしまう。怯えてぷるぷると小さく震えるオリバーの身体を、まるで宥めるかのように布越しに誰かが優しく撫でた。布に爪先を引っ掛けて、そろそろと微かに光が入る頭上へと這い上がる。布の隙間からちょこっとだけ顔を出したオリバーは、ピシッと固まった。

 明るい赤毛に鮮やかな翠玉のような瞳、丹精に作られた人形のように整った顔立ち。いじめっ子達の中心人物であるエルグランドだ。最悪だ。寄りにも寄ってエルグランドに捕まるなんて。オリバーは絶望にぷるぷる身体を震わせ、我慢できずにぽろぽろと涙を溢した。そんなオリバーの頭を、エルグランドが意外な程優しく指先で撫でた。



「もうちょっと隠れていてくれ。部屋に着いたら出してあげるから」



 初めて聞くような優しい声だ。エルグランドはいつも高飛車なキツい物言いをする。

 やんわりと頭の天辺を指先で押してくるエルグランドに素直に従って、オリバーは布の中に頭を引っ込めた。どうやら、オリバーはエルグランドの制服のブレザーの胸ポケットの中に入っているようだ。息を潜めて、動かないようにしていると、エルグランドが布の上から、またやんわりとオリバーの身体を撫でた。

 怖い。エルグランドは今自分の胸ポケットに入っているのがオリバーだと知っているのだろうか。オリバーはこれからどうなるのだろう。元の姿に戻りたいのに、それを誰かに伝える術がない。爪が鋭い小さな手ではペンを握ることもできない。誰かに助けを求めたいのに、オリバーには助けを求められる誰かが居ないことに気づいた。オリバーを育ててくれた優しい祖父母は、魔法学園から遠く離れた田舎に住んでいる。魔法学園は王都にあるのだが、王都に知り合いなんて誰もいない。友達もいない。いじめを見て見ぬフリする教師達も頼れない。完全に詰んでいる。オリバーはぷるぷる震えながら、ぽろぽろと涙を溢した。このまま死ぬまで人間に戻れなかったらどうしよう。人間に戻る前に死んでしまう可能性だってある。こんなに小さな身体だ。食事だってどうしたらいいのか分からない。オリバーはエルグランドに優しく掴まれて胸ポケットの外に出されるまで、声も出せずに泣いていた。


 魔法学園は全寮制で、基本的に2人部屋である。オリバーも同室者がいるが、同室者はオリバーと一緒にいるのが嫌だからと、毎日仲がいい友達の所で寝泊まりしている。

 エルグランドは特別だ。成績優秀者5名だけは、特別に一人部屋が与えられる。エルグランドは魔法学園に入学した時から、ずっと主席をキープし続けている。

 エルグランドに身体を掴まれて、そっと勉強机の上に降ろされた。キョロキョロと怯えながら周囲を見回すと、部屋の中にはベッドと本棚、オリバーが今いる勉強机しかない。勉強机の上には何冊も本が積み重なって置いてあり、走り書きのメモ紙が何枚も無造作に置いてあった。

 エルグランドはブレザーを脱ぐと、椅子の背にブレザーをかけ、椅子に座ってオリバーを見下ろした。人差し指をゆっくりと近づけられる。オリバーは怯えて、そろそろと後ろに下がった。

 そんなオリバーを見て、エルグランドが見たことがない優しい微笑みを浮かべた。



「怖がらなくていいよ。俺は君を傷つけない」



 嘘をつけ。今までどれだけエルグランドに傷つけられたことか。心も身体も、エルグランドを中心とするいじめっ子達のせいで、ボロボロに傷ついている。オリバーはエルグランドを警戒して、じりじりと後ろに下がり続けた。尻尾の先が何かにぶつかり、オリバーはビクッと身体を震わせた。後ろは本が積み重なって山のようになっている。ここから、エルグランドの前から逃げなければ。オリバーは焦って左右を見回し、おろおろと短い手足をばたつかせた。そんなオリバーに触れようと、エルグランドが更に指を近づけてきた。オリバーはパニックになり、思わずエルグランドの指に強く噛みついた。意外と鋭かった歯が、ぷつっとエルグランドの皮膚を傷つけ、鉄臭い血の味が口内に広がる。オリバーは益々パニックになり、目からぽろぽろと涙を溢した。エルグランドの指に噛みついた状態から動けない。そんなオリバーの頭を、エルグランドが優しく指先で撫でてきた。



「怯えなくてもいいよ。君は俺の友達だ」



 オリバーはポカンとした。驚きすぎて、思わず口を大きく開けてしまう。『友達』まさかエルグランドの口からそんな言葉が出てくるなんて。エルグランドはいじめっ子達の中心だが、いじめっ子達と友達な訳じゃない。主席で将来有望なエルグランドに、他のいじめっ子達が取り巻きとしてくっついているだけだ。エルグランドはいつだって人に囲まれているが、いつだって周囲の人達をすごく冷めた目で見ている。

 こんなに優しい目をしているところなんて見たことがない。いつだってエルグランドはオリバーを見下して、邪魔なものでも見るかのような目でオリバーを見ていた。

 オリバーは狼狽して、おろおろと左右を見回した。どうしよう。どうしたらいい。

 挙動不審なオリバーを見下ろして、エルグランドが小さく笑った。小さな笑い声が聞こえたから、オリバーはエルグランドの顔を見上げた。そしてまた、間抜けに口を大きく開けた。常に無表情かつまらなそうな冷めた顔をしているエルグランドが笑っている。笑うと少しだけ幼く見える。エルグランドって笑えるのか。オリバーは衝撃で固まった。逃げなきゃいけないのだろうが、その事が頭の中から抜け出しちゃうくらいの衝撃的な絵面だった。

 エルグランドが微笑みながら、そっとオリバーの頭を指先で優しく撫でた。



「すべすべしてる。君は可愛いね。真っ黒で、あいつみたいだ」



 初めて見る上機嫌な笑顔のエルグランドが不気味であると同時に、オリバーの胸はちょこっとだけドキッと跳ねた。エルグランドがズボンのポケットから何かを取り出した。差し出されたものを見てみれば、どうやら干した杏のようである。オリバーは何度もエルグランドの顔と干した杏を交互に見た。変身魔法をかけられてから何時間経っているのか分からないが、食べ物を目にすると急激にお腹が空いてきた。これは食べてもいいのだろうか。いや、エルグランドのことだから、もしかしたら何かの罠かもしれない。オリバーがぐるぐる悩んでると、エルグランドが干した杏を小さく千切った。オリバーが見ている前で、杏の欠片を自分の口に入れる。



「ほら。これは食べても大丈夫だよ。本当は虫とか生の果物の方がいいんだろうけど、今はこれしかないんだ。ごめんね」



 果物はともかく、虫なんか食べたくない。想像するだけでも怖気が走る。オリバーは少しの間悩んで、思い切ってパクっと杏に噛みついた。濃厚な甘みが少しクドイが、食べられない程ではない。噛み切った杏の欠片を飲み込むと、オリバーは夢中でエルグランドの手から干した杏を食べた。

 干した杏を1つ食べ終えると、なんだか少しだけ気持ちが落ち着いてきた。エルグランドが水差しから自分の掌に水を少しだけ注ぎ、オリバーに向かって差し出してきた。オリバーは少しだけ躊躇した後、エルグランドの指にしがみつくようにして、エルグランドの掌の水を舐め取って飲んだ。

 オリバーが水を飲んでいると、エルグランドがクスクスと楽しそうに笑った。

 チラッと見上げれば、君は誰だと言いたくなる程、普段とはかけ離れた優しい顔をしているエルグランドがいた。



「君の名前、オリバーでいいかい?」



 ドキッと心臓が跳ねた。まさかエルグランドはこの黒いトカゲがオリバーだと知っているのではないか。嫌な予感に心臓がバクバク激しく動き回る。もしかして、油断させておいてオリバーの身体を握り潰したり、踏み潰したりするのではないだろうか。恐怖でぷるぷる震えるオリバーの背中を、まるで宥めるかのようにエルグランドが優しく指先で撫でた。



「嫌かな。俺が1番好きな名前なんだけど」



 オリバーはポカンと間抜けに口を開けて、呆然とエルグランドの顔を見上げた。エルグランドがなんだか少しだけ照れたように笑った。オリバーの背中を撫でる指先はどこまでも優しい。

 オリバーはなんだかもう疲れてしまって、考えることを止めた。その場で丸くなり、目を閉じる。エルグランドに優しく撫でられながら、オリバーは眠りに落ちた。





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