回想 —高瀬龍司の場合—

 2度目の少年院から退院後、高瀬はしばらく都外の建設会社で解体工として就労していた。上司と折り合いがつかずに僅か半年で無断欠勤が続き解雇、その後職を転々とするもどれもこれも長続きせず、その日その日を生きている時、少年時代に「世話になった」、現在も「噂に上る」先輩からの誘いがあり、池袋のホストクラブの黒服内勤として雇用された。


「ねえねえ、君今年から入ったひと? どこ店?」

 入社3ヶ月目、同系列の飲食店の、合同新年会だか忘年会だかに参加した高瀬に、両手にハイボールを持った赤ら顔の男が声をかけた。

「池袋のトワキスっす」

 同じ店で働いている同僚たちは、すでに他店の店員らと飲めや踊れやの乱痴気騒ぎで、高瀬はひとりその光景を眺めているだけであった。だから、騒ぎからわざわざ抜け出して声をかけてくるこの酩酊した長身の美青年——佐々木が、しみったれた黒服に声をかけてきたことに戸惑った。


 佐々木は返事が返ってきたことに満足げに鼻を鳴らし、高瀬が飲んでいた生ビールのジョッキを奪った。そして自分が持ってきた、ハイボールを高木の前に押し出した。その勢いで、なみなみ注がれた淡い黄金色が溢れるが、佐々木は見向きもせずに話し続けた。

「あーはいはい。とあいらいとちっす、ね」

「トワイライトキスっす」

「ホスト?」

「黒服っす」

「まあそうだよね」

「まあそうだよね?」

「おれあねえ、福岡からぶちかましに来たってわけ」


 高瀬の聞き返しなんぞ歯牙にもかけず、佐々木は脈絡なく自分語りを始めた。それを気にするような細やかな情緒が育っていない高瀬は、濁流の如く押し迫る佐々木の話を聞いていた。

 彼は、上京して3年目、ホストとしては2年目とのことであった。それ以降の彼の武勇伝については、高瀬の記憶力の限界と佐々木の呂律の危うさ、そして何より話の中身のなさもあって、高瀬はほとんど覚えていない。


「まあ、俺くらい華があればろーにゃくにゃんにょが放って置かないんだよねえ」

 では、佐々木を放って盛り上がる、目の前の店員たちはいったいなんなのだと、高瀬にしては珍しく的を射た感想を抱いた。しかし、それをこの酔いどれに丁寧に説明できる話術の引き出しは持ち合わせていない。高瀬は「すごいっすねえ」と簡単に言葉を添えて、取手がハイボールでベタついたジョッキを口に運んだ。


「あそだ、君名前は」

「高瀬っす」

「高瀬くん、彼女いる?」

「いないっすよ」

「彼女できたら、俺の店には来ないように言っときなね」

 白い歯を覗かせウインクして見せる佐々木は、ふざけた調子、かつアルコールで顔を真っ赤にしているのに、その仕草は凄まじく様になっていた。


「俺に取られても恨むなよ! なんつって」

 これだけ上背にも容姿にも愛嬌にも恵まれているのに、太客はつかないんだろうな。

 出会って10分足らずでそう思わせるに足る振る舞いをする。佐々木とはそういう男であった。





 それから幾数年。高瀬はどこでもいいから自分を置いてくれる所属先を求め、考えなしに日々をやりすごしているうちに、その日を普通に生きるのもままならない社会に絡めとられていった。逮捕当時は不本意極まりないと思っていたものの、いざ塀の中で5年服役してみると、出所する頃には自分が浸っていた環境の異様さに気づき、細々と穏やかに生きることを求めるようになっていた。


「高瀬! お前ちっちゃくなった?」

「体重落ちたからかなあ」

 亀戸駅の改札口にて。

 出所後初めて再会した佐々木は、5年前と変わらない陽気な男だった。


「お前はなんか……」

「言ってやれよ、高瀬」

 佐々木の少し後ろで堀田が気怠げに呟き、高瀬はつい苦笑した。

 もともと縦に大きかった佐々木は、5年の時を経て横にも前後にもすくすく大きくなっていた。眉目秀麗な面立ちも、だらしない顎や首回りのせいで全く印象に残らない。

「人って変わるんだな」

「こんな奴から気づきを得るな」

「トリキ行こうぜ」

 それでも、高瀬と堀田のやりとりを全く意に介さず自分の言いたいことだけ投げてよこす態度は、自分が逮捕される前となんら変わりなかった。高瀬は二人と青に変わった駅前の横断歩道を渡る。


「高瀬、仕事はどうしてるんだ」

「ハロワ行ってる。たぶん配管工やるわ」

「龍司ちゃん偉いわね!」

「お前も見習えよ」

 堀田の辛辣な一言で、高瀬はふと気になった。隣の佐々木を下から上まで観察して尋ねる。

「佐々木、お前ホストやれてんの?」


 すると、佐々木はなんてことないように答えた。

「店は4年くらい前に辞めたんだよね。今は倉庫作業員だ」

「へえ、地道に働いてんだなあ」

「そらそうよ。俺だって大人になったんだぜ」

「いや、こいつはそこも最近解雇されてる。今は介護施設の面接を控えている無職だ」

「もう俺の話術なら受かったも同然っしょ」

 倉庫作業員でもなければ、介護施設の面接すらまだ受けていないのに、しゃあしゃあとそんなことを言ってのける佐々木が馬鹿馬鹿しくて、高瀬は声を上げて笑った。


「おい、こいつはすぐ調子乗るからあんまり笑うなよ」

 堀田はそう言うが、高瀬はそれでも笑いが堪えられない。

 こんな適当な男ですら呑気に生きていられるのなら、高瀬にもそれができそうな気がした。

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