第51話【成長編】プロローグ


おマキの拵えた昼食は実に凝っていた。


一応総代屋敷初日の食事ということで、気合を入れたのだろう。

魚の煮付け、海藻のお味噌汁、白身魚と大根・人参のなます、帆立の炊き込みご飯。いかにも海の町らしい献立が並んでいる。


総代屋敷は広い。

居間などは襖を取っ払えばだだっ広い空間になり、宴会を開けるくらいだ。


だが普段の食事は台所のすぐ隣にある、6畳あるかないかの質素な板の間ですまされていた。

古く冷え冷えとした板の間に長方形のややすり減った座卓が置かれ、座布団がちょうど4つ置かれている。


その座卓を広央と知広、ユキと拓海がそれぞれ向かい合う形で囲む。


おマキが粛々と、一分の無駄も隙もない動作でお膳を並べていく。

そして配膳が終わると物も言わず音もたてずスーッと下がっていった。

 


「おマキさんは一緒に食べないの?」

目の前のお膳にキラキラした視線を送りながら知広が聞いた。


「ああ、おマキは雇い主との馴れ合いは避け仕事だけに徹する。プロ意識の高い女だからな」

ユキが答える。


「そうなんだ~なんか常に台所にいて、消えたかと思ったら不意にふらっと現われるからさ、まるでよう…」


「ちーちゃん、妖怪ようかいとか失礼な事言わないの。ああ見えておマキは人間なんだから」

すかさず広央がツッコミを入れる。


「言ってないから。“妖精ようせいみたい”って言おうとしただけだから」

すかさず知広も言い返す。


「ごちゃごちゃ言ってねえで、さっさと食うぞ」

ユキがそう言って目の前で両手を合わせるポーズをとる。


広央と知広、そして拓海も実に神妙な顔つきでそのポーズに倣った。

そして4人そろって「いただきます」と厳かに唱えた後、各自目の前のお膳に取り組む。


ーー1時間後ーー


主に知広の見事な食いっぷりでお代わり用のお菜とお櫃はほぼカラとなり、これにてお昼休憩は終わり。

引き続きの総代屋敷の清掃に励む事となった。



ユキと拓海は、ほぼ開かずの間となっている納戸の掃除に取り掛かった。

広大な総代屋敷は、掃除する場所が無限にある。


知広と広央は2階を掃除する事にした。


2階は全部で3部屋。

いずれも和室で襖で仕切られている。

広央の記憶では、一番奥の四畳半の部屋に父の主な私物が置かれているばずだった。

服やら書籍やら日用品やら。


そこから何か父の内面が探れるかもしれない。

自分にとって長年の、いや永遠の謎の存在である父の心の内が。


けれどそれはブラックボックスを覗き込むような怖さがあった。

見てはいけないもの、知らないほうがいいものも混ざっているだろう。


葛藤を避けるため広央はそれらの私物にはあえて触れもせず、ただ部屋に放置しておくことにした。

いつかは向き合う事があるかもしれないが、今はまだその時じゃない。


真ん中の八畳間は床の間があり、これまた古めかしく読めない書体が書かれた掛け軸が掛かっている。

隣の床脇には違棚があり、小さな壺と神像がささやかに置かれている。


隣の六畳間は文字通り何もない。

ただ畳と障子があるばかりで、装飾品は一切なし。

だから風は気持ちいいくらいに吹き抜ける。


広央と知広は無心に畳を雑巾がけした。


その後あらかた拭き掃除は終わり、休憩タイムにする事にした。


二人でごろんと、畳の上に仰向けに寝転ぶ。

天井は古風な竿縁天井で、例にもれず古びた飴色に変化している。

こんなところにも隙なく重厚さを感じさせた。



「山狩りでユキちゃんが勝って、その後はどうなったの?」

知広が天井を眺めながら、おもむろに話しかける。


遠くから潮騒の音が微かに聞こえるくらいで、後は真昼の間延びした静けさがあるだけだ。


ただ


『なんでこの部屋はこんなに暗く感じるんだろう…古びた木材の色合い?いや空気がなんだか重いせいだ…』

広央はこんな感想を頭の中に巡らせていた。

どんなに風が通っても、この空気が払拭される事は無いように思えた。

それだけこの屋敷は重苦しい歴史を抱え込んでいる。


「ヒロさん?おーいヒロさん」

何も答えないので、知広は起き上がって広央の顔を覗き込んだ。


広央は下から知広の顔を見上げる事になる。

その顔はやはり“姫”と瓜二つだ。

脳がバグる。


彼女がいないことが不思議だった。

現実の事として信じられない。

広央は寝ころんだまま、知広の髪をわさわさした。


「その後はね…」

広央は両手で目元を覆ってしばらくそうしていたが、やがて決心したように上体を起こした。

そのまますたすた窓辺にまで行き、桟に腰を下ろす。

腰掛けるのにちょうどいい高さの桟なのだ。



「綺麗な海でも見ながらでないと、話すのが辛いからね…」

そう言って、知広にも窓辺に来るよう促した。


二人して窓の桟に腰掛けて、静かな海を見る。


広央はふと不思議な気持ちになった。

あの時も今も海だけは、何ら変わりがない。

寄せては返す波を見ているうちに、過去と現在が行き違って、うっかりと過去に戻ってしまうかもしれない。

気を付けないと…慎重に慎重に、心しっかりを保ってないと…


広央はすう、と息を吸った。

そうして覚悟を決めて語り始めた。


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