第19話 新しい汐風


「ヒロさん大丈夫?生きてる?」

ヒザをついて広央の顔を真上から覗き込みながら、知広が聞いた。


「ちーちゃん…ヒロさん鼓膜と三半規管とハートは軽く壊れたっぽいけど、生きてはいるよ…」

「そうだ!どうやって網から脱出したの?」

「ああ、コレだ…」


上体をむっくりと起こしながら、広央がポケットに手を入れた。

出てきたのは何の変哲もない、十字架のペンダント。

お尻の部分を押すと、ひゅっと鋭い刃物が飛び出してきた。

隠しナイフ仕込みの十字架だ。


「これで網を切ったんだ。…また姫に助けられちゃったな…」

広央が切ない表情で十字架を見つめた。


加奈美が駆けよってきて、広央の傍に屈みこんだ。

「さっきのオメガの子、なんであんなビンタしたの?ひどくない?」

「いや、ひどいのは俺の方なんだ…アルファになんて生まれるもんじゃない。普通が一番だ。そうだ、和希!」


傍らに侍っている和希に向かって叫ぶ。

「この加奈美ちゃん、ワケありの子だ。かくまってやって…」


「お兄さん、ありがと。でもうち、家に帰るよ」

すっきりとした表情で、そう加奈美が答えた。


「え…いいのか?」

広央は拍子抜けした顔で尋ねる。


「元々そんなマジな気持ちじゃなくて、軽い気持ちでこの島に来たんだし。ウチね、音楽だけは好きだから、明日の音楽の授業出たいし」


「…そっか。まあ、あの反社さんたちから掠めたお金は出して、返しておくから。え、ウソ沈めちゃった?…まあいいか。で、今から電車で帰るのか?」


「うん、あとバスで。お兄さんはこのまま島に残って、総代になんなよ。」


「いや、俺は…総代にはなりたくないんだ…」


殴りかかろうとするユキを、和希と猪狩隊たちが必死で止めた。


「また来たくなったらこの島に来るよ。いざって時逃げ込める場所があるって、すっごく大事。」


強い汐風が吹いて、皆の髪をゆらした。


「この国はさ、ずーっと軍が支配してて、もうみんな息苦しくてしょうがない。どこ行っても軍の連中が見張ってる。でもこの島はその支配から逃れられる唯一の場所。みんなの心を支えてる大切な場所。そして何より」

加奈美は広央の顔をしっかり正面から見つめながら、はっきりと言い切った。


「お兄さんはうちらベータにはない、アルファとしての使命があるはず。うちの事守ってくれたように、この島を守りなよ。みんなの大切な場所、守りなよ」


◇◇◇

橋が可動され、また島と本土は通常通り行き来できるようになった。

船も行き交い、つい先程まであった全島封鎖の緊張感がまるで嘘のようだ。

街はすっかりいつもの活気を取り戻していた。


加奈美は稼働され元通りになった橋を渡って、本土に帰っていった。

「ありがとう」と最後に礼を述べて。


広央はあぐらをかいたまま岸壁に座り込み、遠くなってゆく加奈美の姿を見守ってい

た。


その広央の後ろ姿に、知広がからかう様に声をかけた。

「今なら橋が掛かってるよ、逃げなくていいの?ヒロさん」


「しょーがないでしょ…ヒロさんはカナミちゃんと違って帰る場所ここしかないんだから…」

そう言いつつ、広央は自問自答していた。

(守る…?この俺には一番ふさわしくない言葉だ。けどこのまま逃げたら、イサの言う通り俺はただのクズ、いやそれ以下だ。もしかしたらこの俺も、少しくらいは役に立つかもしれない。父さんのようにはいかなくても、少しくらいはこの島の為に…何かができるのかもしれない。)


広央は十字架を握りしめた。

(この島を守る!)


「じゃ、もう総代就任OKって事でいい?」

「…まあ、そういう事だね。」



「バンザーイ!!」

和希と猪狩隊の面々が狂喜し、広央をその場で胴上げした。

こうして朝から始まった長い長い騒動が、一件落着したのだった。


「うおお!」

唐突にユキが叫んだ。

「おマキに連絡し忘れた!もうデッドラインの四時半回ってんじゃん…殺される…!」


広央が脊髄反射で反応した。

「おいマジかよ!?連絡忘れたら俺もおマキに殺されるじゃん!何やってんだよ!?もしもし、あ、おマキ!?連絡遅れたのユキのせいだからな!俺のせいじゃないから!」

「てめ、なに一人だけ助かろうとしてんだ!」

二人が取っ組み合いを始めた所に、知広が一人冷静に言った。


「今日おマキさん、休炊日(料理を作らなくていい日)って言ってたよね」


…二人がピタッと動きをとめた。


「総代就任の宴会するから、総代エリアの住人総出でお祝い料理作るって言ってたじゃん」


あ゛-そうだったあのババア…

ユキと広央が二人して叫び声を上げたその頃。


「まったく、バカだねあの坊ちゃんたちは」

おマキは寝っ転がって話題のドラマを鑑賞し、久々の休炊日を堪能していたのだった。



住民総出の新総代着任を祝う宴会は、万事つつがなく盛大に行われた。


畳敷きの大広間の上座に座らされた広央は、次々に注がれる杯を飲み干しながらだんだんと真っ赤になってきた。

(まあ、俺がなるのは新総代(仮)なんだけどな!そのうち相応しい人物が現れたら、そいつにささっと譲りゃいいだろ。それまでの暫定的な措置だな)


新総代(仮)の心の内情はいざ知らず、宴会心地よい汐風とともに夜遅くまで続いた。


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