第9話 下界へ!

「って、知広のヤツ勝手に何やってんだ!?大体どうやって総代事務所に入ったんだ!?」


今だ山頂の神社境内にいるユキは随時、現猪狩隊隊長の和希から報告を受けていた。


そして街じゅうに次期総代逃亡というこっぱずかしい事実が喧伝され、なるべく穏便に恥をさらさぬように…という目論みが崩れ去ったことを知った。


「ヒロ坊っちゃんが知広に入館カードを渡してたよ、いつでも入っていいって」

背後から、のっそりと現れた家政婦の真紀江(通称おマキ)が答えた。


「お、おマキ、いたのか…」


「あたしゃ就任式の見物に来てたんだよ、それより」

おマキの目つきが鋭くなった。


「今日の夕飯は?いるのかね、いらないのかね?」


このおマキは、山にある総代屋敷の食事作りをしている賄い婦だが、この「食事いる・いらない問題」は彼女のなかの至上最高・最重要問題であり、宇宙を貫く大命題である。たとえ100の災難が襲おうともブレる事はない。


「いや、ちょっとまだ分からん」

ユキがそれどころではないと言わんばかりに、この質問を避けようとした。


「いるのかい?いらないのかい?」

おマキがピタっと…愛用のプロ仕様包丁(240mm)をユキの喉元に突き付けた。

この問いを発する彼女の迫力は、人を3人くらい殺した人間のそれに匹敵する。


この問いに対しては、細心の注意を払い慎重かつ正確に答えなければならない。

なぜなら「夕飯はいらない」と答え、やっぱり「必要だった作って」などと言おうものなら彼女にしばき倒される。

そして「夕飯はいる」と答えうっかり外食でもして彼女の作った飯を無駄にしようものなら、“死”あるのみである。


「わ、分かった。分かったから包丁を降ろせ、おマキ…」

ユキもこのおマキには昔から世話になっている都合、無碍な対応はできないのだった。

「もう少し時間をくれ、そしたら正確に答える」


「ほう…では何時までに答える気かね…?」

相変わらず突き付けられたままの包丁がキラーンと輝きを放つ。

ユキがちらっと腕時計に目をやった。すでに正午を回り13時近い。

「デ…デッドラインは何時だ…?おマキ」

「午後四時まで、と言いたいとこだが…おまけして四時半までにしといてあげるよ、ユキ坊ちゃん」

そう言うと、やっとおマキは包丁を下ろして、総代屋敷へと去っていった。


ユキはスマホから和希に吠えたてた。

「おい、いつまでかかってるんだ!いいから殺してでも引っ張ってこい!4時半までだぞ!それまでに何とかしねえと、俺がおマキに殺されて肉団子にされるんだよ!…いや、あの目はぜってえ本気だ!もう俺がそっち行く!あの馬鹿をとっ捕まえる!」


こうしてユキも、喧噪渦巻く下界へと降り立っていった。

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