第45話 或女

「まず、改めてご報告させて下さい。私と透子とうこは、学生時代からお付き合いしております。長い間、きちんと挨拶せず、誠に申し訳ありませんでした」

 しゅうちゃんが頭を下げたので、わたしは慌ててしまう。

「や、違うよ、柊ちゃんは悪くないよっ、わたしが自分でお母さんに言うって言って、ずっと言えなかっただけで、べ、別に隠してたわけじゃなくて」

「いいえ、先輩という立場である私が、透子さんに話をさせようとするのは間違いだったと、年上なのに逃げていたと、今更ながら思い至りました」


 お母さんもおばちゃんも固まってるし。

 お母さんだって、麻友と……だったんだからいいじゃん、とは言えない。


「……それは、それは」

 お母さんがなんとか口を開ける。

「で、石井さん、話を続けて」

 お母さんは自分を取り戻したが、おばちゃんはまだ固まってて、コーヒーカップを落としそうになったので、お母さんが慌てて、おばちゃんの手を掴んで、カップをテーブルの上に置いた。おばちゃん、驚かせてごめん。


「結論から言いますと」

 柊ちゃんは、挑戦的な悪い笑顔をわたしに一瞬見せてから、コーヒーを注文するくらいの軽い感じで言った。

「透子さんと一緒に暮らそうと考えています」


 また、お母さんが固まった。おばちゃんは、固まりっぱなしだ。


「ですが、透子さんから、お母さんを一人にできないと断られました」

 ああ、それ言う、お母さんにそれ言っちゃうの?

「や、ちょっと待って、柊ちゃん」

 わたしが柊ちゃんの肘辺りを掴むと、おばちゃんが口を挟んだ。

「それは、柊ちゃんが透子を説得すればいいことじゃない?」

 柊ちゃんは頷いた。

「ええ、そうなんです。そのために、お二人に私の不思議な体験を聞いていただきたくて」

 不思議な体験、って何?もう柊ちゃん止まってよ。

「柊ちゃんてば」

「その話を聞いていただければ、透子も納得して私と一緒に暮らしてくれるかと」


「面白そぉ」

「お母さん!?」

「あんたは、また……」

 お母さんは興味津々という顔、おばちゃんはそんなお母さんに呆れている。


 そして、柊ちゃんは話し出した。

「きっと信じていただけないと思いますが、私、というか私の精神が、ある女性の精神に侵入し、その女性の青春時代を一緒に過ごしました」

 お母さんとおばちゃんが、何言ってんだ、という顔になる。

 だよね。

 わたしも同じ体験をしてなければ、そんな顔したと思う。

 しかし、柊ちゃんは、全く気にしないで話を続ける。


「与太話だとお思いでしょうが、少しだけ、私に時間を割いて、聞いていただけるとありがたいです」

 おばちゃんはため息を付き、お母さんは、どうぞと促すように会釈した。


「精神に侵入するなんて言いましたが、その女性の五感を同時に体感していたんです。女性は私の存在を知らないし、いや、誰にも分からなかったと思います。言うなれば、その女性の中からその女性を傍観しているとでもいうような。何を見て何を感じているのかは分かりますが、その女性が何を考えているか、何を思っているのか、その思考の内容までは分かりません。まあ、感情の動きが、体感になるので、おおよその想像はつきます」

「つまり、内面からの出歯亀、と」

 おばちゃん、言い方!

「その通りです」

 柊ちゃんは、さらに深く微笑む。出歯亀呼ばわりも全く気にしていないようだ。わたしも出歯亀と言われたら否定できないので気にしないけどさ。

「それでぇ、どんな女性を出歯亀していたの?」

 お母さんまで出歯亀って言った!


「非常に孤独な女性でした」

 柊ちゃんから笑顔が消えた。

「人一倍寂しがり屋のくせに、寂しいなんて、ついぞ口に出しはしませんでしたので、本当のところは分かりませんが、いつも胸が冷えて固まっていました。

 私がその女性の中に入ったのが、彼女が大学に入る前後だったので、詳細までは分かりませんが、簡単に言ってしまえば支配的で愛情を欠く家庭だったようです。彼女は、奨学金を利用して、その家から逃げるように遠い街の大学に入りました」

 そこでおばちゃんが立ち上がり、柊ちゃんのカップにコーヒーのおかわりを注ぐ。柊ちゃんは、そんなおばちゃんの手をじっと見て、ありがとうございますと呟いて、話を再開した。


「彼女にとって大学生活もさして楽しいものではなく、自立のための一手段でしかありませんでした。良い成績を取って、とにかく良い就職をして、実家と縁を切ることしか頭にない、そんな女性です。

 ああ、あと凄く綺麗なんですよ。本人は無頓着で、ただ伸ばしっぱなしにしてるだけの超ロングヘアなのに、それがサラッサラだし、ろくに手入れもしない肌がツヤッツヤだったし」


 あ、柊ちゃん、やっぱり麻友の中にいたんだ。その外見の描写は絶対に麻友だ。


「あはは、そんな人、わたしも知ってたわぁ」

 お母さんが思い出し笑いをした。そうだね、麻友だもんね。


「綺麗だからモテるんですけど、人嫌いなんですよ」

「ますますそっくり!」

 お母さんと柊ちゃんが目を見合わせて笑う。


「……でも、彼女、1度だけ、恋をしたんです」


 店の中がシンっと静まった。


「同学年の女性でした。ただの気まぐれで顔を出したサークルで、偶然出会っただけの女性でしたが、彼女にとっては運命の人だった」


「運命の人」

 思わず、後を追うように呟いてしまう。


「二人は、相思相愛だったと思います。短い間でしたけれど、一緒に暮らすこともできました。女性にとっては、生涯で初めての幸福な時間でした。

 でも、相手には元々付き合っていた恋人がいて、……同性同士だったこともあったし、その女性は身を引くことを選んだんです。自分がいない方が絶対に相手が幸せになると信じてました。

 相手が幸せでいてさえくれれば構わないのだと言うことだったと思います」


 幸せってなんなんだ? どうして、「幸せ」が人を縛るんだろう。

 わたしの中で小さな怒りの火が灯る。


「一人に戻った彼女は大学を卒業し、大手銀行に就職して順風満帆な生活を送っていました。

 大学時代の一度の恋を糧にして、その相手がきっと幸福になったと信じて」


 そこで柊ちゃんは、ちょうど良く冷めたコーヒーを飲み干した。





「そうでしたよね。浅野麻友、さん」



 ガシャンという音がして、コーヒーカップがテーブルに転がった。



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