ドラマの天秤は傾く

 アイリは俺が絵を描くのを見るのが好きらしい。



 時々、俺の家にやってきては勝手に椅子を置いて、小さなアトリエの隅に陣取る。

 俺は自分が創作しているところを他人に見せたことはないから、最初は気になったが、次第にどうでもよくなった。

 本当に集中している時、他人への興味など失せる。

 それが人として正しいことかといえば、間違っているのだろう。

 だがアイリは客人かつ上司である彼女をぞんざいに扱う俺に対して何も言わなかった。

 時々ぽつんと雑談の破片のような単語を漏らすことはあったが、俺が煮え切らない返事ばかりするから話が弾むことなどなかった。

 会話は苦手だ。所詮は正解を探すゲームだから。

 俺は正解なんか嫌いだ。


「おまえのダンジョンが攻略されることになった」


 アイリがそう言ったのは、俺が一仕事終えて、創作に取りかかっている時だった。

 在宅ワークで手早く済ませれば時間が空く職業でもなければ、創作などできない。

 夢で見た金髪の幼女の悪夢をキャンバスに殴り書きしながら、俺はアイリを振り向いた。


「もしこれが脚本なら、いいですか」

「うん?」

「だいたい俺は一通りの仕事を覚えて、何か弾みになるような最初のイベントをこなして、話に起伏をつけるところなんですよ」

「ふむ」

「たとえばこれが第二話だったとして、いいですか、話をすっ飛ばすのが癖の作家だったとしてもですよ、第二話でいきなりそんな話が終わりかねない展開にしますか? そんな勢いでネタを使っていたら、息切れしますよ。どんな脚本術の本にだって、そんなやり方は書いてない」

「そうか、おまえは絵描きじゃなくて、絵本作家だったな。勉強になるよ」

「ふざけている場合ですか」

「残念ながら、試練は空気を読まない。人生は、必ず悪い方向へ走る」


 アイリは足を組み直した。銀髪の奥で髪と同じ金属質な瞳が熱を帯びている。


「この都市を訪れる予定のS級冒険者に金を払うからダンジョンを攻略するなと要請した。

 が、そいつは拒否してきた」

「そいつは確実にここのダンジョンを攻略できる実力があるんですか。というか、ソロですか?」

「ソロだ。仲間はいない。……人を見下す癖があるやつでな。実力はズバ抜けていても、誰もがやつを嫌ってパーティを組もうとしない。たとえやつと組めば必ず勝てるとわかっていても」

「相当に性格が悪いみたいですね。しかし、ソロなら闇討ちして消してしまえばいいのでは?」

「ソロで死なずに生き延びているやつだぞ。一対多はむしろやつの得意分野だ。ヘタにしかければ返り討ちだし、こちらの敵意を感じ取ればやつは喜々としてダンジョン最深部へ最速で到達しダンジョンコアを抜き取る。あざ笑うようにな。そうすれば、この都市は終わりだ。読み終わった小説みたいに」

「俺のこの暮らしも終わりというわけですか」

「そうなるな」

「そうなったら、アイリさんはどうするんです?」

「私か」


 考えたこともない、というような顔でアイリは窓の外を見やった。

 アトリエは二階だ。街がよく見渡せる。その向こうにはいくつものダンジョンを孕んだ銀色の山脈がそびえている。

 その向こうにどんな世界があるのか、俺は知らない。


「故郷があれば帰るのもいいが、私にはない。

 すでに攻略された別のダンジョン都市が、私の生まれた街だった。

 どんな思い出も、実際にあったのかどうか自信がない。

 街が滅びるというのはそういうことだ。

 どれほど愛着があるように見えても、街なんて、コミュニティなんて、みんな自分に都合がいいから集まっているだけだ。メリットがなくなれば去って行く」

「アイリさんは去らなかったんですか?」

「去りたくはなかった。だが、誰も私と一緒に、終わった街に残ってくれるやつはいなかった。父と母でさえも。みんな、次はどこに行くかばかり話していた」

「建設的ですね」

「ああ、建設的で、合理的だ」

「それで、ダンジョン運営に携わるようになったんですか?」

「まさか。ただ食い詰めただけさ。君と一緒だよ、芸術家くん」

「そうですか」


 俺は指を拭った。

 最近は絵具を指につけすぎて色が落ちなくなってきた。皮膚も乾燥して亀裂が入っている。

 俺の指も、道具のくせに根性がないものだ。

 道具は道具らしく、俺の思い通りになればいい。

 ふと俺は心に浮かんだセリフを言ってみた。


「アイリさんの話はつまらないですね」

「ほう。そうか?」

「ダンジョンが攻略された。暮らしていた街が消えた。誰も残らなかった。

 そこにどんなドラマがあります? 何もない。ただあなたが辛かっただけだ」

「……」

「そんなつまらない話、俺はもう聞きたくないんですよ」


 言い過ぎたかな、と思って顔を上げると、

 アイリは試すような笑顔を浮かべていた。

 真紅のルージュを引いた唇が囁く。

 それでも、


「おまえなら、面白くしてくれるんだろう?」



 ああ、そうか。

 この人は、俺を乗せたかったわけか。

 ご苦労なことだ。



 言われなくても、俺はやる。


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