まだらの蛇 その参

 事務所に入って来たのは、真麻さんが言っていたように若いご婦人だった。

 肌が鈴蘭の花のように白くて、線の細い儚げな雰囲気のする三十歳ぐらいの女性だ。

 喪服のような黒い和装ので、肌の白さがより際立っていた。だが、美しい黒髪にはもう何本か白髪が混じっていて、目の下には隈があった。どうやら、心労が原因のようだ。

 私は依頼人に椅子に座るように薦めると、ご婦人は申し訳なさそうに椅子に座った。


「あの・・・・・・、どちら様が宝積寺先生でしょうか?」と、ご婦人は消え入りそうな声で聞いた。


「俺が宝積寺 進だ。彼はワトソンくんと言って、記録係兼居候の元・軍医だ」


「居候じゃなくて、同居人です」と、先生の紹介を私は訂正した。


 ご婦人を見ると、まるでお祈りをするかのように両手を握りしめて、身体を小刻みに震わせていた。


「体が震えていますけど、寒いんでしたら温かいお茶を淹れて差し上げましょうか。それとも、暖炉の火を強くした方が良いですか?」


 私がそう聞くと、ご婦人は首を小さく横に振った。


「いいえ、寒くて震えているのではありません・・・・・・。私、とても怖いんです。怖くて怖くて、たまらないのです・・・・・・」と声を震わせながら言った。


 怯える依頼人を先生はジッと見ていたが、口を開いた。


「貴女は、かなり朝早くに家を出て二輪馬車に乗って、沙里庄さりしょうから汽車でここまで来たんだな」


 ご婦人は、先生と初めて会ったときの私と同じように、かなり驚いていた。


「ど、どうして、判ったのですか・・・・・・?」


「なに、簡単なことさ。貴女の左腕の袖には泥はねが付いている。そんなところに泥汚れが付くのは、馭者の左側に座る二輪馬車以外に考えられない。つまり、貴女はぬかるんだ道を二輪馬車で通って来たんだ。

 そして、手には往復切符の半券が握られている。ここ最近、雨が降った地域と、この時間帯に帝都に着く汽車から計算して、沙里庄から来たと結論付けたのさ」


「ああ、不破敏絵ふわとしえ夫人の仰られていた通りのお方ですわ。不破夫人からは、あなたに解決出来ないはないと聞きました。

 宝積寺先生。私は須藤咲蓮すとう えれんと申します。私は近いうちに結婚する予定です。

 そうすれば自由に使えるお金も手に入りますので、その時に調査料をお支払いいたしますから、どうか私を得体の知れない恐怖から助けていただけないでしょうか?」


 咲蓮嬢は目に涙を浮かべながら懇願した。


「不破 敏絵・・・・・・。確か真珠の首飾りに関する事件だったな。なに、あんな事件は俺にとっては初歩的なことだよ。

 咲蓮嬢、金の件だが俺にとっては事件そのものが報酬みたいなものだ。必要な経費さえ払ってくれれば、それで構わない。

 まァ、依頼を受けるか受けないかは、内容次第によるがな」


「ひと言余計ですよ、先生」と私は小声で注意した。


「とりあえず、依頼の内容を話してくれないか」


「はい・・・・・・。では、まずは、私の複雑な家庭環境から話さないとなりません。

 宝積寺先生の仰る通り、私は沙里庄からやってまいりました。正確には沙里庄の須藤村からやってまいりました。須藤一族は昔から須藤村に住んでいます。村の名を姓にするぐらいなので、旧家なのは明らかです。

 私と双子の姉がまだ二歳だったころに、西南戦争が勃発して私の実父で日本陸軍の砲兵隊員だった須藤少将は西郷軍側として出兵しました。そこで、栗結雷蔵くりむすび らいぞうという士族と知り合い、戦友となりました。栗結は武家の出身で、若い頃は日本各地を巡りながら武者修行をしていたのです。

 やがて、戦況が激しくなり、実父は戦死してしまいました。あとはご存知の通り、西郷軍は敗れてしまい武士の時代は終わりを迎えました。

 母は戦争に敗れて失意のドン底に陥った父の戦友である栗結を不憫に思って、交流を持つうちに再婚することになりました。

 栗結を継父として迎えた私たちは一緒に実家の最蘭邸もらんていに住むことになったのですが、武士の国で無くなってしまったというのに、継父は新しい仕事に就くこともなく、屋敷に引きこもるようになってしまいました。

 ただ、須藤一族は村一番の有力者ということもあって、働かなくても生活できるほどのお金があるのです。

 もっとも、そのお金は私と姉の樹理じゅりが結婚すれば毎年決まった額のお金を貰えるということになっています。

 継父はたまに外出しても相手選ばずに喧嘩をしては、警察沙汰になるようなこともしましたが、その度に母が慰謝料を払って解決していました。

 私と姉は、そんな継父を父親として接することが出来ませんでした。私は臆病で引っ込み思案ということもあって、継父の機嫌を損なわないように常に顔色を伺いながら接していました。

 反対に、姉は私とは違って闊達かったつでしっかり者なので、継父にも真っ向から反論する事もありました。

 そんな暮らしのせいで母が心労で倒れてしまい、若くして病死してしまったのです。母を失ってしまい、私たち姉妹は大変悲しみました。

 でも、継父はそんなことはお構いなしと言わんばかりに、益々やりたい放題の生活でした。自分と同じように、仕事を失くした浪士たちを屋敷の敷地内を自由に出入りさせるようになったのです。

 中でも困ったのが、狒々ひひや豹などの猛獣を中国や印度インドなどの東洋の国々から取り寄せて、夜になると番犬の代わりにその動物たちを庭に放し飼いするのです。

 こんな暮らしなので、継父だけでなく須藤家の人間まで村人たちから白い目で見られるようになり、大勢いた使用人たちも次々と辞めてしまいました」


「それは、さぞ辛かったでしょうね」私は心から同情した。


「そんな窮屈な暮らしでしたが、私たち姉妹は母の妹で叔母の上杉 穂香うえすぎ ほのかさんの家に、時々遊びに行くことを許されていて、二年前に姉は叔母の家で休職中の海軍少佐の呂宋英彦るそん ひでひこさんという方と知り合いました。

 呂宋さんは私たちの境遇に深く同情してくれて、親身に接してくれました。

 姉はそんな彼に惹かれて交際を始めました。ですが、私は姉が殿方と交際することが心配でした」


「何故、心配だったんだ?」と先生が質問を挟んだ。


「継父は私と姉が男性と交流を持つことを反対していたのです。

 前に私が道端で鍛治職人の男性と談笑していると、継父はその人を川に蹴落としたことがあったのです。

 これには流石に私も抗議しましたけれど、継父は『村の男はお前たちの金が目当てなんだ』と言って、聞く耳を持ってくれませんでした。

 そんなことがあって以来、私は殿方との交流を持つことを避けるようになりました。

 ですが、先ほどもお話しした通り、姉は私とは真逆の性格なので、継父に臆することもなく呂宋さんとの交際を続けました。

 そして、交際から半年が経ったある日、姉は呂宋さんから結婚の申し込みを受けました」


「婚約のことは継父には話したのか?」


「ええ。結婚となればどんなに毛嫌いしている継父とは言えども、隠すわけにはいきませんので、姉は堂々と打ち明けました。

 話を聞いた瞬間、継父は怒り狂って姉を何度も叩きました。それだけではなく、村で呂宋さんを見付けると、その場で殴り飛ばしたのです。

 こんなことがありましたが、二人の気持ちは変わることはありませんでしたので、継父も心が折れたのか、結婚を承諾しました。

 かと言って、喜んでいるような様子でもありませんでした。それでも、姉は愛する人との結婚を控えて、幸せの絶頂期でした。

 ですが、式まであと二週間というときになって、あの恐ろしいことが起こって、私は最愛の姉を失ってしまったのです……」


 咲蓮嬢は目に涙を浮かべた。


「咲蓮嬢、その時のことを事細かに話してくれ」と言いながら、先生は身を乗り出すような体勢を取っていた。咲蓮嬢の話に興味津々のようだ。


「はい。あの日のことは忘れたくても、忘れられません。真夜中のことでございます。

 私たちの寝室は一階にありまして、右から継父、姉、私の順番になっています。姉は結婚を控えていたせいか、なかなか寝付けなくて私の寝室に来ました。

 私もその日は雨風が強くて寝られなかったので、二人で結婚式の話などの他愛のない話をしていました。

 最初は楽しそうにしていた姉ですが、部屋を出る前に珍しく不安そうな顔をしました。そして、こんなことを言ったのです。


『ねえ、咲蓮ちゃん。咲蓮ちゃんは夜中に口笛を吹いたり聴いたことはある?』


『いいえ、でも、どうしてそんなことを聞くの?』


『ここ最近、寝ていると口笛のような音が聴こえるのよ。それでもしかしたら、咲蓮ちゃんが吹いているのかなと思って』


『私は口笛なんか吹けないわ。きっと風の音か浪士たちが吹いているのよ』


『そうね、きっと』


 そんな話をしてから、姉は自分の寝室に戻りました。

 私も眠ろうと思ったのですが、姉の話を聞いたら妙な胸騒ぎがして、余計に目が覚めてしまいました。

 ようやく眠れそうになっていたその時、私は屋敷中に響き渡る悲鳴で飛び起きました。 それが姉の声だとすぐ気が付いて慌てて部屋を飛び出した瞬間、姉が言っていた口笛のような音も聴こえました。

 私は姉の部屋の扉を必死に叩きました。


『お姉さま、どうしたの!?』


 けれど、中からは姉の返事は聞こえませんでした。私は必死に何度も扉に体当たりをすると、やっと開いて部屋に飛び込むと姉は床に倒れていました。私は姉に駆け寄ると抱き起して呼びかけました。


『お姉さま、大丈夫!?しっかりして!』


 姉の美しい顔は恐怖で歪み切っていて青白くなっていました。そして、かすれた声で私の耳元でこう言ったのです。


『・・・・・・へびよ、ヘビ。“まだらの蛇”・・・・・・』


 そう言うと姉は意識を失くしました。私が叫ぶように呼びかけていると、継父もようやくやって来ました。

 継父はお医者さまを呼ぶように頼んだりしましたが、既に手遅れでした・・・・・・。こうして、私は姉を失ってしまったのです」


 辛い出来事を思い出して、咲蓮嬢は大粒の涙をこぼして、手巾ハンカチを取り出すと涙を拭いた。


 涙を拭き終えるのを見計らって、先生は「話を続けられるか?」と聞くと咲蓮嬢は頷いた。


「姉が死んだことはすぐに村中に広がりました。

 姉が死に際に不思議な言葉を遺したことから、警察は事件性を疑って姉の遺体を検死官の長添ながぞえ先生が徹底的に調べたのです。

 その結果、首には生き物が噛んだような痕があって、身体からは毒物が検出されました。

 姉と継父の部屋は隣同士ということもありましたから、警察は継父が飼っている蛇を使って姉を襲わせたのではないかと疑い、捜査が始まりました。

 警察の壇ノだんのうら警部は度々、問題を起こす継父を逮捕することに執着していたので、捜査は念入りに行われました。

 まずは姉が言っていた“まだらの蛇”を探すために屋敷が家宅捜索されましたが、どれだけ探しても蛇は見付かりませんでした。

 一度、壇ノ浦警部は継父の部屋にある金庫の中に蛇を隠しているんじゃないかと疑いましたが、中は空っぽでした」


 それを聞いて、先生は「フッ」と吹き出した。


「失敬、動物を金庫なんて密閉空間に入れたら、窒息死することも分からないとはマヌケな警察だと思ってな。続きを」


「はい。屋敷から蛇が見付からなかったので、今度は庭にたむろしている浪士たちに疑いの目が向けられました。

 継父が浪士たちにお金を渡して、姉の部屋に蛇を持ち込んだのではないかと疑ったからです。けれど、浪士の中にも怪しい者はいませんでした。

 そもそも、私と姉の部屋は庭にいる猛獣や浪士たちが入って来られないように、扉も窓もしっかりと戸締りをしているので、外から侵入することは不可能なのです。

 そして、隣の継父の部屋と姉の部屋との間にも、蛇が通れるような穴などは存在しません。

 仮に外から何らかの方法で侵入したとしても、事件当日は激しい雷雨でしたから、窓を開ければ床が濡れるはずです。

 でも、床が濡れた形跡はなかったので、その可能性もなくなりました。

 結局、蛇はどこから侵入したのかは分からずじまいのまま、捜査は打ち切られてしまいました。

 姉が死んで以来、前にも増して継父との窮屈な生活を送るようになりました。

 そんな私を見かねて、近所で雑貨屋を営む阿見泰司あみ たいじさんという方が気にかけてくださりました。

 阿見さんは村人たちの中では、私と姉には親身に接してくれる数少ない方なのです。

 私は阿見さんの気遣いに心惹かれて、かつての姉のように継父に隠れながらお付き合いをするようになりました。

 そして、今から一ヶ月前に私は阿見さんに結婚を申し込まれたのです。阿見さんは『お姉さんの件もあるから、これ以上あの男と暮らしていると君の身にも何かが起こるんじゃないかと心配だ』と言われました。

 私も母と姉が死んでしまった以上、檻のようなあの屋敷から出たいと思っていたので、継父には内緒で村を出ることになりました。

 乱暴者の継父から離れられる上に、結婚を控えて私は幸せでした。ですが、一週間前に突然、継父から姉の寝室を使うように言いつけられたのです。

 姉が変死を遂げた部屋で過ごすようになってから、私は姉の死んだ日の出来事を思い出すようになってしまいました。

 そして、昨晩のことでございます。私が眠っていると死んだ姉が夢枕に立って『まだらの蛇よ!』と叫んだので、私は飛び起きました。

 それは夢というより、これから起こる恐ろしいことの忠告のように思えました。その瞬間、姉が死んだ日に聴こえた、あの口笛が聴こえたのです。

 私は恐怖のあまり、服を着替えて屋敷をこっそり抜け出すと近所の〈蔵雲亭くらうんてい〉という旅館に逃げ込んで事情を話して泊めてもらいました。

 そして、夜明けと共に朝一番の汽車に乗って、こうして宝積寺先生に助けを求めに来たのです。

 先生、どうか私を助けていただけないでしょうか?そして、姉が死んだ本当の理由も暴いてほしいのです」


 咲蓮嬢の話が終わると、少しの間、沈黙が流れた。先生は両手に顎を乗せて静かに眼を閉じていた。そして、眼を開いた。


「真夜中に聴こえる口笛。『まだらの蛇』という謎の言葉。そして、密室殺人。

 フム……実に興味深い。これは今すぐに調べる必要があるな。よろしい。貴女の依頼を引き受けよう」


「ありがとうございます。宝積寺先生」咲蓮嬢は涙を浮かべて感謝を述べた。


 ───とその時、一階から「ちょ、ちょっと、あなた一体何なんですの!?」という真麻さんの慌てた声が聴こえた。


 同時に「五月蠅い!女の分際で盾突く気か!」という猛獣のような怒鳴り声もして、ドスドスと荒々しく重い足音を立てながら階段をかけ上がる音がすると、事務所の扉が取れそうな勢いでバン!と開かれた。

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