まだらの蛇 その壱

 私、和藤尊わとうたける──周りは「ワトソン」と呼ぶ──は陸軍軍医として日清戦争に出征するも、左腕を機械式義手マシンアームに挿げ替えるほどの大怪我を負って帰国したのち、倫敦りんとん市・餅家町べいかちょうの〈二二一乙にいにいいちのおつ〉という下宿で、世界で唯一の顧問探偵を名乗る宝積寺進ほうしゃくじすすむという青年と共同生活を送ることになった。

 宝積寺先生は人並外れた観察力と推理力の持ち主で、初めて出会ったときも一目見ただけで私の経歴を言い当ててしまったのだ。

 その推理力を活かして警察でも解決できない事件を捜査して、謎を解き明かすのが先生の仕事で、帝都を騒がしていた猿の盗難事件及び、百日紅さるすべり教授の奇行事件をも見事に解決した。

 だが、先生は名声には全く興味がないので、手柄は全て警察に譲ってしまうのだ。私はそのことに不満を感じて、事実をまとめた本を発表するために『宝積寺 進の名推理』という題名で執筆活動を始めた。

 これは、先生と出会って最初の事件──「壁を這う男」──を解決してから数週間経ったある日の出来事だ。

 私は日夜、執筆活動に励んでいて、その日の夜も自分の机で原稿用紙に百日紅教授の事件を書き込んでいると、先生が外出着に着替えた。


「先生、どこかに出かけるんですか?」


「ああ、ちょっとな」


 それだけ言うと、先生は脚早に事務所を出た。この下宿を紹介してくれた恩師の須田教授が言っていたように、先生は不規則な生活が目立つ。

 私もここ最近は徹夜して執筆しているから、人の事は言えないのだが。

 ここに引っ越してからは、私は先生の仕事の助手のような役割も担っており、連日徹夜で執筆していることもあって、いつの間にか熟睡してしまった。

 心地良い夢を見ながら眠っていると、突然、煙の臭いがしたので私はガバッと跳ね起きた。


「火事だ、火事!」


 そう叫ぶと、先生が暖炉の前に立って、私の方を振り返っていた。暖炉からは大量の煙がモクモクと上がっていた。


「何を寝ぼけているんだ?ワトソンくん」


 先生に冷静に諭されて、私は恥ずかしくなった。壁にかけられた時計を見ると、朝の七時十五分を過ぎたばかりだった。


「先生、前にも言いましたけど、変な臭いがする実験をしたり煙草を吸う時は窓を開けてくださいよ……」私はふくれっ面になりながら窓を開けた。


 暖炉の中をよく見ると、何やら大量の書類が燃やされていた。


「何を燃やしているんですか?」


「この世にあってはならない物さ。ところで、今日は午前中から客が三人も来るんだ。さっさと支度をしたまえ」


 先生が言い終わると同時に、大家の鳩沢 真麻はとさわまあささんが朝食を持ってきて食卓に並べてくれた。

 先生と私は食卓に着いて、朝食を食べ始めたが、先生は掻き込むように食べるので、私は「もっと味わいながら食べられないのか」と思った。

食事を食べ終えて歯を磨き終わると、真麻さんが事務所に入って来た。


「先生、お客様たちがいらっしゃいました」


「もうそんな時間か」と言いながら、先生はパイプを取り出して、葉っぱを詰めながら椅子に座った。「では、最初の客から通してください。どうぞ、入ってくれたまえ」と言うと依頼人の男性が入ってきて、入れ替わる形で真麻さんは事務所を出た。


 一人目の依頼人は髪の毛をキッチリと整えて、高級そうな外套コートを着た洋装姿の中年男性だった。かなりの金持ちのようだが、服装から悪趣味な感じがした。


「どちらが宝積寺さんですかな?」


 依頼人が尋ねたので、先生が「俺だ」と答えた。


「はじめまして。宝積寺先生。私は人造人間アンドロイド製造工場を経営している堀戸泯太郎ほるとみんたろうと申します」と依頼人は手を差し出して先生に握手を求めてきた。


 だが、先生は「堀戸氏、用件は何なんだ?」と素っ気ない態度を取って、マッチをするとパイプに火を点けた。


 先生の態度に堀戸氏は一瞬、眉毛をピクリと吊り上げるも、すぐに愛想笑いをしながら椅子に腰をかけた。


「宝積寺さん。この世は“時は金なり”です。私はせっかちな性分ですので急ぎ足になっているかもしれませんが、どうぞお気になさらずに。私は何も無料相談に来ているワケではありません」


 そう言うと堀戸氏は、懐から手帳のような物と万年筆を取り出した。


「この通り小切手帳がありますので、貴方が望む金額をいくらでも払いましょう。私は問題を解決するためには、金は惜しみませんよ」と堀戸氏はニヤリと笑みを浮かべると、金歯がいやらしく光った。


 私はこういう何でもお金で解決しようとする人間が苦手だ。


「堀戸氏、せっかちなら、さっさと本題に入ってくれないか?」先生はパイプをふかしながら興味が無さそうに聞いた。多分、先生もこの手の人間が嫌いなんだろう。


「これは失敬。依頼というのはですね、宝積寺先生。私の妻を捜し出してほしいのです」


「捜し出すって、奥さんは誘拐されたんですか?」


 思わず質問を挟んだ私を堀戸氏は怪訝そうな表情かおで見た。


「申し遅れました。僕は先生の記録係を務めているワトソンと申します」


 自己紹介をした私に、堀戸氏は「ああ、そうですか」と生返事をして話を続けた。


「相談したい事は誘拐とか、そんな物騒な話ではありません。

 お恥ずかしい話ですが、妻は……あの女は!自分から逃げ出したのです。しかも、妻は実家へ逃げると私が暴力を振ったのなんだのと、ありとあらゆる作り話を家族に吹き込みました。

 そして、あろうことか彼女の家族はそれを信じたのです。

 しかし、彼女は私の妻なんです。暴力を振るわれたというのは、妻の被害妄想なのです。だから、私の手元に置きたいのです」


「・・・・・・どうやって連れ戻す気なんだ?」先生が気だるそうに聞いた。


「なァに、簡単なことですよ。今の妻は部品の調子が悪い人造人間のようなものなのです。

 歯車とバネを調整して油を注して新品同然にすれば、すぐに私の言うことを聞きます。 先生が妻の居場所を見付けてさえくれれば、あとは私がやりますから」


「奥さんは親族といるんだな?」


「ええ、そうです。男が絡んでいるとか、そんな下世話な話じゃありません。妻は男よりもタチの悪いおばたちに匿れているのです。

 一度、妻の実家に直接行ったのですが、彼女がどこにいるのかを教えちゃくれません。ですから、宝積寺先生には妻の居場所を突き止めてほしいのです」


 堀戸氏の話を聞き終えた先生は、しばらく黙っていたが、パイプを深く吸って大量の煙を吐き出すとポツリと呟いた。


「奥さんはアンタと離れて正解だな」


「ハ?一体、どういう意味ですか?」堀戸氏は目を丸くした。


「やれやれ、頭の部品を取り換えた方が良いのはアンタの方だな。奥さんはアンタから離れて暮らしている今が一番幸せだと言っているんだよ」


 先生の言葉に激昂した堀戸氏は、勢いよく椅子から立ち上がった。


「だが、クソッ!彼女は私の妻だ!私の所有物なんだ!!」


 先生は依頼人を冷ややかな眼で見た。


「そうやって奥さんを物扱いしているのが、家出された原因だよ」


 堀戸氏は浮き立てた血管をピクつかせたが、すぐに落ち着いて小切手帳と万年筆を手にした。


「これは失敬、つい取り乱してしまいました。お詫びに貴方が望む金額を書きましょう。いくらなら引き受けていただけますかな?」


「俺は興味を引いた依頼しか引き受けない主義なんだよ。ワトソンくん、客がお帰りだ。つまみ出してくれたまえ」


 先生の態度に堀戸氏は顔を赤黒くして、鼻息が荒くなり体をワナワナと震わせた。


「アンタが私と会うのは、これが最後になりますよ、宝積寺先生・・・・・・!」


「生きてれば何か良いことが、一つぐらいはあるだろうさ」しつこく食い下がる依頼人に先生は、ちっとも心のこもっていない口調で言った。


「クソッ!コケにしやがって!この私を誰だと思っているんだ!!」


 堀戸氏は、そう吐き捨てると、扉を勢いよく開けて階段をドタドタと音を立てながら降りていった。


「・・・・・・残念ながら、俺は金持ちになれそうもないな」


 先生はそう呟いたが、ちっとも悔しそうじゃなかった。


「いえ、あの男の口ぶりから本当に奥さんに暴力を振るっているようですから、追い返してくれてむしろ清々としましたよ」


 そこへ、真麻さんが驚いた様子で事務所に入ってきた。


「一体どうしたんですの?今のお客様、物凄い剣幕で帰られましたけど・・・・・・」


「なに、世の中は金で動くと思っている哀れな中年男に、人生の教訓を教えてあげたんですよ」と先生は嘯いた。


「まァ、そうでしたの。それじゃあ、次のお客様の柳生二郎兵衛やぎゅうじろべえさんという方をお呼びしてもいいでしょうか」

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