第35話 猿橋優那

 温泉のような濁り湯に満たされた風呂の中。

 互いに距離を置いてと言っても、年頃の女性と風呂に浸かると言う非日常に気まずさを覚える航平は、


「えっと、猿橋さんが勇太郎君と言うことで良いんですよね?」


 と訊ねる。

 今後のこともあるので、距離感を測るためにも聞いておきたい内容であった。


「……厳密には、江手野勇太郎に化けていると言うべきですわね。

 航平様は、孫悟空が様々な人物に化ける逸話をご存じでしょうか?」

「あまり西遊記に詳しい訳じゃないけど、色んな仙術が使えるってのは知ってるかな?」


 そんな航平の問いへ返ってきたのは、いまいち、歯に布が挟まった返答と、孫悟空への問い掛け。

 "猿"橋家のお嬢様が鳥山先生の漫画を訊ねているはずもないと、西遊記のイメージを記憶から引っ張り出して答える。


『孫悟空と言えば、分身や変化に筋斗雲と如意棒のイメージがあるし……』


 オーソドックスな西遊記孫悟空をイメージする航平。

 有名な昔話ではあるが、西遊記の内容を明確に覚えているかと言われると、疑問が多い日本人。

 航平もその1人である。

 だが、幸い髪の毛で分身を作ったり、変化して人をおちょくるお供の筆頭は、印象が強く残っていた。


「でしたら、伝わりやすいやも知れませんね。

 猿と関わる家柄と言うのは、そんな孫悟空のように色々な術が使えて、直接的な武術もある程度嗜む万能型の霊能力者が多いです。

 ですが、より特化した始祖を持つ家には一歩譲るのも当然でして……。

 我が家に伝わる変化は、実在の人物の衣服を纏うことでその人物に化けるのが限界となります」

「……つまり、本物の江手野勇太郎も存在すると?」


 優那の説明から架空の偶像"勇太郎"ではなく、実在の人物の"江手野勇太郎"に化けていると察する航平。

 同時に、


「あれ?

 実在の人物の着ていた衣服?」

「もちろん! 洗濯済みのものを本人から借り受けていますから!」


 説明の違和感を呟く航平に、顔を赤くして強く反論する優那。

 さすがに、他人の未洗濯品を着たと勘違いされるのは、乙女として譲れない線があったらしい。


「……共感呪術と呼ばれるモノがあるのです。

 厳密には、同じものや長く一緒にあったものは、離れていてもお互いに影響すると言う類感呪術。

 対象の物に影響を与えることで持ち主にも影響を及ぼすと言う感染呪術の2種類が存在しますけど……。

 詳しくは置いておくとしまして、我が家が使う術はそういう類いと思っていただければ。

 そこに必要とするのは、持ち主がある物である点。

 その点さえ、クリアすればどれだけ洗おうがクリーニングしていようが問題ありませんので!」

「……分かったから。

 大丈夫だから!」


 更に詳しく説明を付け足す優那に、背を向けたまま肯定の声を張り上げる。


「所有権を放棄したモノには効果がありませんので、例えば勇太郎が失くしたと勘違いして要らないと思えば、変化の効果も失うんですよ?」

「へぇ」


 それでも、説明を続ける優那の話に、所有権と言う目に見えない曖昧なものが、重要と言う点に別の意味で感心する航平。

 一般人として生きてきた航平は、時間と関係深度を重視する科学的な感覚の方が強いのだ。

 しかし、


「……はい」


 航平が納得したと思い込んだ優那は、安堵の色が乗った声を返す。

 ついで、


「そんなわけで勇太郎と入れ替わってやって来たわけです。

 これ以上、北嶽の家に出し抜かれないように……」

「え?!」


 更なる爆弾を投下したのである。

 思わず、振り返った航平が、優那のうなじから肩へのラインを見て、ドギマギするほどの……。

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