賄いごはん➀


 あれから数日おきに異世界に赴いては、泥イノシシゴーレムとの戦闘訓練を重ねている。当初こそ筋肉痛に悩まされていたあたしだけど、今ではすっかりそれが日常の一部となってしまっていた。

 研修期間中のお給料は日払い。店長は「辞めたくなったらいつでも辞められるように日払いにしている」とも「いやいや受け取りに来るのも嫌でしょう?」とも言う。


 そして一番の疑問というか謎の現象があった。

 退勤してお店を一歩でも出ると、その日の研修内容を思い出せないのだ。ウェイトレス的な仕事をしていたことくらいしか、思い当たらずに首を傾げる毎日だった。だって、ほかにも何かをしていた記憶があるのに一切思い出せない。夢を見ていたはずなのに、朝を起きると夢の内容が思い出せないのと似た感覚があった。


 あまりに毎日も続くので不自然に思い店長を問い質したところ。

「守秘義務が発生するって言ったでしょう?」とか「秘密を知ったものには死を、とはいかないからね」と言われた挙句、最終的には「この店と家屋には魔法が掛けられていて、俺を除く全てがその対象となっている」と店長は白状した。

 仮にそれが事実だとすると、あたしに出来ることは何もない。今のあたしが真実を知っていたとしても、お店を一歩でも出れば同じことなのだ。

 但し、抜け道はないわけではないらしく、とある方法で即座に解消するとも聞いた。研修期間が終了し次第、その対策を取ってくれるそうだ。

 なのであたしは、この件に関しては研修が終わるまで潔く諦めることにした。



 で、そんな日々を過ごすあたしではあるが、何も異世界での戦闘訓練だけがあたしの仕事ではない。当然のように他にもたくさんの仕事がある。

 一番はやはり、異世界風居酒屋あすかろん本店でのウェイトレスとしてのお仕事が挙げられる。次いで、レオがウェイターを務めている日に限り、あたしは店長の調理補助に入る。


 店長曰く、料理に関するマネジメント能力がないと店長は務まらない、らしい。

 でも、あたし、料理って中学高校の調理実習くらいでしかやったことがない。家で料理なんてしないし、独り暮らしをした経験もないので自炊など以ての外なのよ。

 そんなあたしに向け店長は、調理補助で二年も経てば調理師免許の受験資格が得られ、試験自体もそう難しくはない、と。早い話が調理師免許を取得しろ、ということだった。


 実際にあたしが従事している調理補助というものも、そう難しいものではない。

 店長の指示に従って調理道具や調味料を用意したり、温めたお皿や冷やしたお皿を並べたり、野菜を洗ってから適当に切り分けたりしているだけだ。


 異世界産の動物の解体作業は今のところは店長が専任で、レオに教えている最中だとかであたしには時期尚早らしい。なんでも設備の関係から魔法が使えないと解体はできないという話だった。

 特に日本では屠畜場でないと家畜等四本足の動物の解体は違法となるため、解体は向こうでやっておく必要があるのだという。実際は狩りの獲物であって家畜ではないのだけど、血や脂、骨の処分を含めた衛生面的にも、毛皮の処分及び販売等はあちらで済ませた方が手っ取り早いのだと言う。

 また、死後硬直後の経過時間に多大な影響を受けるそうで、解体後の精肉もまた居酒屋あすかろんアーミル支店の一部で行う必要があるそうだ。


 精肉後、部位ごとに分けられたお肉の切り方などは、あたしが現在進行形で教わっている内容ではある。その中で、お肉の各部位の名称や実際に体のどこの部分であるかなど、店長は冊子を用いて詳しくかつ優しく教えてくれている。実に分かり易い。

 

 

「仕込みの手伝いがいるってのは非常にありがたいよ」


 店長はこう言うのだけど、あたしは店長の作業の邪魔にしかなってないような気がしてならない。感謝してくれている店長には申し訳ないけど、あたしの気分はそれほど良くない。

 理由は、不明な点はその場で問えという店長の言葉に甘え、あたしは頻繁に質問をし、その都度店長は作業の手を止めて説明してくれるのだ。

 そんなあたしの心情を告白してみても、


「いやぁ、ひとりでの作業はモチベーションがねぇ続かないんだよ。だから話し相手がいるってだけで十分なのさ」


 このように、どこぞの孤独死寸前の老人みたいなセリフが出てくる。

 向こうで釘バットを振っている方があたしは気が楽なくらい、申し訳なさが募るの。


「助かっているのは事実なんだからそんな顔しないでさ。今日のお昼は普段店では提供しない部位を使った料理だよ。俺は脂ものはあまり得意ではないのだけど、佐藤さんくらいの年齢には受けはいい代物だ。ちゃちゃっと作っちゃうから、手を洗ってテーブルで待っていて」


「いえ、見学します!」


 あたしの勢いに押されたのか、店長は力なく笑った。

 料理の”り”の字も知らずに適当に育ったあたしが料理を覚えるには、少しでも多くを見ておく必要があると思うの。見て覚える、見取り稽古ね。

 それに、店長の調理の手際はまるで魔法みたいなのよ。本当に魔法を使っているんじゃないかと、実は疑っていたりする。


「こいつは前回レオが獲ってきたウリ坊の一匹。背骨から引っこ抜いた骨とその周りのお肉の部分。お腹側のものはスペアリブ、煮たり焼いたりするのは知っているよね? これは背中側のものでバックリブ。バラ肉側がスペアリブ、ロース側がバックリブと覚えるといい」


「ふむふむ」


「スペアリブと混同するお客さんも多くて、混乱を避けるためにうちでは賄い専用としているけど、普通のお肉屋さんでも頼めば融通してくれるはずだよ。

 っと、調理の手順だけど。まず内側のこの被膜を引き剥す。そうしたら深めの鍋に水を張って蒸す。完全に火を通す必要はなくて、適度に脂を落とすってだけ。ここで脂をある程度落とさないと、俺みたいなおじさんにはつらいんだ」



「蒸しあがったものを特製ダレを満遍なく塗りたくってグリルで焼く。うちではこのサラマンダーだけど、家ならオーブンでも魚焼きグリルでもいい。ただ、あまり焦げないように見ておく必要はあるね」


「なるほど」


「ちょっとお行儀は悪いけど、ここで焼きながら食べよう。冷めなくていい」


 そう言って店長はこんがりと焼き上がったバックリブの骨と骨の間にナイフを入れ、食べやすい大きさに切り分けてくれた。残りは弱火にしたサラマンダーに置き去りで、少々焦げる可能性はあっても冷めてしまうことはない。


「手掴みで、骨に付いている肉を下の歯でこそぎ取るようにして食べるといい。手拭き用に濡れタオルは置いておくよ」


 あたしが躊躇している間に、あまり好きではないと言っていたはずの店長は早くもかぶり付いている。店長の好みには辛味が不足しているのか、タバスコを振ってるし。


「うまっ、でも辛っ!」


「ピリ辛だろ? もう少し辛いのも美味しいよ」


 店長はやたらタバスコを勧めてくるけど、あたしは遠慮した。だって、一番辛いヤツでしょ、黒いラベルのタバスコだもの。もう、どんだけ辛いものが好きなのよ!


 あたしの言いたかった文句をものの見事にスルーし、店長は肉をひと齧りしたした後、冷蔵庫へと向かっていき何かを持ち出しては、その後に焼きあがったばかりのパンをオーブンから取り出していた。


 そう、店長は毎日パンも焼いているのだ。

 あたしでも片手で握れる程度の小さな丸いパンだけど、表面はフランスパンみたいな適度な硬さがあるのに中はふんわりと柔らかい。

 パン焼き専用のオーブンで午前中に焼き上げ、夜の営業に向けパンの中にある蒸気を飛ばすらしい。そして完全に冷めたものをお客様に提供している。

 あたしはこのパン、かなり好きなのよね。何個でも食べられちゃう。焼きたてが食べられるのは従業員特典としてもとても大きい。



「一杯、奢るよ」


「仕事中なのでは?」


「一杯くらいで酔ったりしないよ」


 それは酒飲みの常套句なのでは? 若しくは、このご時世でも飲酒運転するような輩の。

 あたしがそそう思っている間に、店長はスクリューキャップを捻る。お手頃ワインなのでコルク栓ではない。


「本格的なデキャンティングだと洗うの面倒だから、ポアラで我慢してくれ。どうせ三百円もしないワインだしな」


 店長が手にしている三百円もしないワインは普段調理用に用いているもので、店長の普段呑み用のワインでもある。

 そんなワインの瓶の口に、店長は透明な注ぎ口のようなものを取り付けていた。カウンターの上方に下向きにぶら下げられているワイングラスをふたつ取ると、ぽこぽこを音を立ててグラスへと注ぐ。


「空気を入れるとタンニンが酸化して、渋みが甘みに変わるんだ。渋柿みたいなもんだね」


 店長はたまにこうして蘊蓄を垂れる。特にお酒絡みの話題が多いとあたしは思う。

 お高いワインなど飲んだことのないあたしには、ワインの味の違いなどわからないんですけど!


「狩りの訓練が修了したら一本抜いてやろう」


 店長が親指でワインセラーを指し示しながら言う。

 一財産になりそうな、幾ら無知なあたしでも見聞きした覚えのある銘柄のワインが数十本、下手すると百本単位。専用の冷蔵庫に寝かせられている。

 それでも店長が、あれらを開けているのはお客様からのご用命があった場合に限る。あたしがここに勤めてまだ二週間も経っていないのだけど。


「レオには内緒だぞ。あいつ、酒はがぶ飲みするもんだと思っている節があるからな。高い酒は飲ませたくない」


 レオは学生で本格的な運動部ともなれば、飲み会等で飲むお酒が高いはずもないわ。何でもビール気分でがぶ飲みされたら、店長もそりゃ怒るでしょうよ。たぶん、あたしでも怒るわね。


 ナイフで器用に骨から肉を剥し、先程冷蔵庫から取り出した何かを添えている、店長。いやぁ何かってチーズなんだけど、これあたしは苦手なのよね。

 チーズ嫌いってわけじゃなくて、この今店長が食べようとしているブルーチーズの匂いがダメなのよ。羊乳のチーズは確かに味は濃厚で悪くはないんだけど、匂いが……。

 店長も無理には勧めてこないのはいいんだけど、隣で食べているだけでぷーんと匂ってくるのよ。


「ほら、食え」


 前言撤回。焼きたてパンにナイフを入れて、お肉とチーズを挟んだものを勧めてきたよ。ひょっとして店長、酔っ払っているのかしら?

 当然、あたしは断れるわけもなく、


「……いただきます」


 うへぇ、やっぱりこの匂いには慣れないわぁ。

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