第12話 望まぬ形で(5)

「シツツメさん、敵が現れてもそのまま走り続けて下さい。私が傍にいれば問題ありません」


 シツツメの隣を走る凛音がそう言うと指をパチっ、と鳴らした。二人の周囲を漂う黒い球体は二つから三つとなり、より攻撃性を増した形となる。例え怪物が不意打ちをしたとしても、黒い球体はそれに反応して、敵を穿つだろう。凛音がこの能力を使い続けている限り、シツツメは戦闘に割く労力を捜索に動員できるということだ。


「礼を言う。連れてきて助かったぞ、正直に言って」

「ふふ、身に余る光栄ですね。シツツメさんに褒めてもらえるなんて」


 凛音はシツツメの言葉を聞いて、思わず笑みを零してしまう。黒い球体と共に凛音の周囲を漂い、その姿を映している小型ドローンにもその笑みは映っていた。少なくとも凛音が配信でこんな嬉しそうな笑みを見せるのは、初めてのことだった。それは視聴者たちにとっても衝撃だったのだが、シツツメがそれを知るはずもない。

 走り始めてすぐに、今度は左右そして正面と三か所に分かれている通路に行き当たった。これはどの道を選択するべきなのかと凛音は考えるが、シツツメは迷うことなくそのまま真っすぐに走り、正面の道を選択した。


「シツツメさん、行くべき道が分かるのですか?」

「ああ。雨宮はさっきの血で鼻がやられたか? 匂いを嗅いでみろ」


 シツツメに言われ、凛音はすん、と匂いを嗅いでみる。そして「なるほど」と頷き、小さく顔をしかめた。

 凛音の鼻を刺激したのは、微かに漂っている悪臭。生臭いような、何かが腐ったようなそんな不快さを感じさせる匂いだ。シツツメはその匂いがする方へと道を辿っている。走り続けていく内に段々と、その匂いが強くなってきたのが分かる。


「あまり出会いたくはない存在ですが、仕方ありませんね」

「そういうことだ」


 とシツツメが言ったところで、左右に分かれている通路の突き当りを右に曲がった。そこで二人の目の前に現れたのは、ミノタウロスと似ているがまた違った怪物だ。

 ミノタウロスよりも背丈は低く、恐らく一般的な成人男性の身長ぐらいだろう。浅黒い肌に血走り濁り切った目、そして人身に頭部は豚──ミノタウロスと同じく、ダンジョン内ではさして珍しくはないその怪物は、オークと呼ばれている。オークは単独ではあまり行動せず、複数で確認されることが殆どだが通路を曲がったその先には、十体ほどのオークが待ち構えていた。醜悪な見た目と、そこから漂う悪臭に凛音は口元を抑えたくなってしまった。傍らのシツツメは表情を変えず、凛音に言う。


「俺はこのまま前を行く。敵の処理は頼んだぞ」

「分かりました」


 凛音が頷くと同時に、シツツメはオークの集団に向かって走り出す。凛音もそれに続けば、三つ出現させている黒い球体の内、一つを敵意や殺意に反応はせず、凛音が操ることで動くようにした。それを前を走るシツツメの周りで旋回させる。

 鼓膜を震わせる鳴き声を上げた数体のオークがシツツメに掴みかかろうとするが、凛音が名付けた衛星という名の通り、シツツメの周囲を旋回していた黒い球体の速度が急激に上がり、それこそ視認するのも難しくなる。凛音が操る黒い球体が的確にオークの頭部を貫けば、シツツメに掴みかかろうとした数体はそのまま地面に倒れる。


「前方に三体、その奥にもう二体だ」


 凛音に短く敵の数を伝えたシツツメは、オークの亡骸を飛び越える。凛音の周囲に展開されている残り二つの黒い球体は、凛音に左右から襲い掛かるオークの心臓をそれぞれ撃ち抜く。

 凛音を見るオークの濁った瞳、それにこの吐き気がしそうな匂い──シツツメの行方不明者の捜索を手伝っていなければ、間違いなく凛音はここから離れている。それにとても配信映えもしなさそうな光景であった。


(シツツメさんの戦闘を映せば──いえ、それでは約束を破ることになりますね)


 凛音としてはシツツメが戦っているところを是非見たいのだが、それでは元も子もない。シツツメの周囲で旋回させている黒い球体の動きを一瞬、止めようとも思ったが、凛音は更にもう一つの黒い球体も自らが操作することで、シツツメの前にいるオークを手早く倒そうと考えた。あの黒い球体が反応するのはあくまでも、凛音に対して向けられる敵意や殺意だけだ。シツツメだけに襲い掛かる敵には反応しない。

 凛音を──というよりは、凛音の適応者ハイブリッドとしての能力を信用しているのか、シツツメは躊躇うことなく前に向かって行く。それに応えるべく二つに増えた黒い球体は、シツツメを惑星として漂う衛星と化す。


 オークが同時に攻撃したとしても、それはシツツメに届くことはなく頭部や心臓を黒い球体が貫き、一撃で絶命させる。次々に倒れていく仲間を見てシツツメに攻撃をしても無駄だと思ったのか、残ったオークの数体は後ろの凛音にその対象を移した。凛音を守る黒い球体は一つ。もしかしたらオークの手が凛音にかかるのかも知れなかったが、それを許す凛音ではなかった。


「まあ、少しは盛り上がりましたか」


 呟いた凛音が更にもう一つ、出現させていた黒い球体はその一部分をまるで剣のように鋭く伸ばすことで、凛音に触れようとしていた数体のオークの手を切り落としていた。凛音が指を華麗に鳴らせば、シツツメを守るため自ら操っていた二つの黒い球体はオートに戻り、手を切り落とされて悲鳴を上げるオークの体を無情にも貫いて、トドメを刺す。シツツメの前方にはもうオークの姿は見えず、凛音一人で全て片付けた形となった。


「しかし、酷い匂いですね。シツツメさん、本当にこの先に行方不明者がいるのですか?」


 そう凛音が言いながらオークの亡骸が転がる通路を進むと、そこは行き止まりだった。その行き止まりになっている壁の手前で、シツツメは凛音に背中を向け、膝をつきその場にしゃがんでいる。能力を使い、下の階層に移動しようとしているのだろうかと凛音は思った。


「第四階層での捜索ではなく、更に下の階層を探しますか?」

「雨宮、配信をしているドローンはまだ動かしているか?」


 凛音の質問に答えず、シツツメは逆に質問を返した。凛音は怪訝そうにしながらも「はい、動いていますよ」と答える。シツツメは凛音に背中を向けたまま、振り返ることなく言う。その声には余り余裕を感じなかった。


「なら、配信を止めろ。今すぐに」

「何故ですか? 行方不明者はまだ見つかっては──」

「いいから配信を止めろ!」


 抗議の言葉を口にしようとした凛音だが、それをシツツメが遮る。怒りさえも感じる荒げた声に凛音は思わず声を詰まらせると、スマホを胸ポケットから取り出した。まだ配信の途中ではあるが、凛音はスマホを操作して配信を中断する。小型ドローンは凛音の目の前まで来ると、凛音の掌に静かに着陸した。

 小型ドローンを懐の中に入れた凛音は、ちらりとスマホの画面を確認する。配信を途中で終えた凛音のチャンネル──そこに投稿されている無数のコメントを見て、その内容をシツツメに伝えるべきかどうか凛音は考えるが、シツツメの雰囲気からしてどうやらそんな場合ではないようだ。


「……遅すぎたか」


 シツツメの呟きを聞き、凛音はそちらへと歩み寄った。シツツメの反応や言葉から、凛音は最悪のパターンを想像する。そしてそれは的中した形となるのだが、凛音が想像した最悪は、しゃがんでいるシツツメの上から覗いて見た光景が上書きすることになる。

 行き止まりになっている壁のすぐ近くで、捜索を頼まれた行方不明者の遺体を仰向けの状態でシツツメは発見した。顔はオークにより殴打されたのか至る所が赤黒く変色しており、鼻は折れて歪に歪んでいる。シツツメが小さく開いた口を覗けば、歯は殆どが折れてしまっている。かろうじてだが、少女と確認できた。


 体の方に目をやれば、両手足は無残にもへし折られていた。骨は皮膚を突き破っており、身動きをすることなどとても出来なかったはずだ。少女が着ていたと思われる衣服は引き裂かれその周囲に散乱しており、少女の体の下腹部には血ではなく、吐き気を催すような匂いを放つ体液が大量に付着している。恐らくは自由を奪われた少女は命を落とすその瞬間まで、あるいは命を失ってからも、オークの集団に陵辱され続けたのだろう。見開かれた瞳は光を失い、助けを求めていたのかすらどうか分からない。


 凛音は思わず一歩後退り、喉の近くまで込み上げてきたものを我慢しながら、口元を手で覆う。凛音のことを一瞬振り返り確認したシツツメは、「吐くなよ」と凛音に釘を刺す。


「吐いたら水分と体力を急激に失う。意地でも抑えろ」

「っ、は、はい……」


 シツツメの言葉が無ければ、凛音はこの場で吐いていただろう。最悪のパターン──行方不明者が生きてはおらず、遺体で見つかるというのは凛音も頭の片隅で考えていた。しかしこれは考えていた最悪を上回る最悪であり、シツツメにとっても行方不明者を見つけても助けることができなかった結果になる。


「……これを見せないために、私に配信を切れと言ったんですね」

「お前の配信のためじゃなく、この子のためだ」


 シツツメは静かな口調で言いながら、少女の瞼をそっと閉じた。この惨状を見てもシツツメの表情は変わらない。ここでいくら少女の死を悲しもうが、怒ろうが、助けることができなかった事実はそのままなのだから。


「この子はここで想像もできないぐらいの苦しみを味わった。配信の見世物なんかにさせず、ゆっくり休ませてやりたい」


 言いながら、シツツメは腰のベルトのホルダーに入れてある特別製のトランシーバーを取り出すと、それを使用して連絡を取り始めた。


「藤村、行方不明の少女を遺体で発見した。……ああ、遺体の損傷が激しい。周囲を隠せるシートと、それに汚れを拭くタオルも用意してくれ。せめて汚れていない状態で、ご両親に確認してもらいたい」


 そう連絡をしたシツツメはトランシーバーを腰のホルダーに戻すと、凛音に手招きをした。凛音は神妙な面持ちでシツツメに近寄る。

 怪物の死体は今までにそれこそ、腐るほど見てきた。凛音も最初こそ嫌悪感や抵抗感もあったが、ダンジョン内で怪物を適応者ハイブリッドの能力を使用してとは言え、殺すことにもはや何の躊躇いも無い。

 だが人間の──自分と同じかそれに近い年齢の少女の遺体を直接見るのは、これが初めてだった。シツツメがいなければ、平静を保つことはできなかったかも知れない。


「上にこの子の遺体を連れて戻る。雨宮、お前が敵を全て倒してくれたお陰で、俺も体力や集中力を温存できた。感謝している」

「いえ、そんな──元々は私が言い出したことです。約束を守っただけですよ。超絶美少女は約束を破らないので」

「無理するな。顔色が悪いぞ」


 シツツメは凛音を気遣っているのか、穏やかな声で言えば左手を差し出した。凛音はシツツメの左手を右手でそっと握る。シツツメの左手は瞼を閉じ、ようやくゆっくりと眠ることができた少女の遺体に触れている。能力を使って、第一階層まで戻るのだろう。

 そこで凛音はふとある疑問を抱き、シツツメに尋ねた。


「その能力を使えば一気に最下層まで行けるのでは?」

「残念ながら無理だ。俺が繋ぐことができるのは、第十階層まで。もし無理矢理に最下層まで繋いで、渡ろうとしたら失敗してこのダンジョンのどこかに吹っ飛ばされる」

「てっきり、このダンジョンの全ての階層を自由自在に行き来できるものだと思っていましたが」


 シツツメは苦笑を浮かべ、首を振る。


「言っただろう、そんな便利なモンじゃないと。サーカスの綱渡りみたいなもんだ。繋いで渡るのが遠ければ遠いほどそれだけ体力も神経も使うし、困難になる。複数人連れて渡るのなら、尚更な。──安心しろ、第四階層から上に戻るぐらいなら問題はない」

「心配なんてしていませんよ。シツツメさんも、この私を連れているのに失敗なんてするはずがありませんから」

「何だ、元気だな。心配して損した」


 やれやれとシツツメは溜息を吐き──適応者ハイブリッドの能力を使用して、第一階層へと戻る。行方不明者を見つけることはできたが、助けることはできなかった。それに関してシツツメに責任は何も無いが、そうだと割り切ることができないのが人間の心情である。



 ◇



 行方不明になっていた少女を遺体で発見し、シツツメと凛音は第一階層まで戻って来た。シツツメと連絡を取り、手早く準備を取っていた藤村らダンジョンの入口付近で待機していた集団は、少女の遺体を外へと運び出した。その遺体が娘であるか両親に確認を取って貰うのは必要なのだが、いつ立ち会っても慣れないなと藤村は少女の遺体に縋りつき、泣き叫ぶ少女の両親の姿を見て思った。


「遺体で見つかった子のお婆さんが、体を悪くして入院しているとご両親から聞いた。難しい病気で、入院費や治療費も馬鹿にならないらしい。裕福ではない家だとも言っていた。そのお金を捻出するため、この子が一人で夜桜市のダンジョンに入ったと……」


 捜索を終えたシツツメと凛音、そして藤村は集団から少し離れた場所にいた。藤村から事の経緯を聞いたシツツメは「そうか」とだけ静かに呟く。そのシツツメの背中をぽんと藤村は叩いた。


「結局、四季に頼ってしまったな。後は俺たちが担当するから、凛音ちゃん……じゃないな。雨宮さんを連れて帰って──」


 と藤村がシツツメに言っている最中、集団の中から遺体で見つかった少女の父親が荒々しい足取りで近寄って来た。真っすぐにシツツメの前まで来たと思えば、その父親はシツツメの頬に躊躇いなく拳を打ち込んだ。シツツメからすれば簡単に避けることも、受け止めることもできた。だがシツツメはその場から一歩も動くことなく殴られ、涙を浮かべ目を真っ赤にしている男に胸倉を掴まれる。


「聞いたぞ! あんたが最初から捜索に参加していれば、もっと早く見つかったんじゃないのか!? うちの娘は死なずに済んだんじゃないのか!? 何が全力を尽くしますだ、人殺しめ!」

「……お言葉ですが、シツツメさんがいなければ遺体すら──」


 気が動転し感情が昂っているとは言え、男の言うことに凛音は口を挟まずにはいられなかった。だがそれを藤村が「雨宮さん」と制することで、最後まで言わせなかった。凛音が今言おうとしていたことは紛れもない正論なのだが、それが娘を失った父親に届くはずもない。

 シツツメは怒りや悲しみ、様々な感情がごちゃ混ぜになってぶるぶると震えている男の両手で胸倉を掴まれながら、ぽつりとこう言った。


「娘さんを助けることができず、申し訳ありません。私の力不足です」


 あるいはここでシツツメが男を殴り返したり、胸倉を掴み返したり、口角泡を飛ばしながらの口論になれば少しは感情の行き場ができたのかも知れない。だがそうなっても何の意味も無いのをシツツメは嫌というほど知っているし、少女を助けられなかったのは事実だ。だからシツツメはそう言った。

 男はシツツメの胸倉を掴んでいた両手を離すと、その場に膝をつき、顔を俯かせて嗚咽を漏らした。シツツメは目の前の男に深々と頭を下げれば「帰ろう、雨宮」と凛音に呟き、停めている車の方へと向かう。凛音は藤村に「失礼します」と頭を下げ、シツツメの後を小走りで追った。


「シツツメさんの責任ではありません。シツツメさんがいなければ、彼女の遺体すら見つからなかったはずです」


 シツツメは車の鍵を開け、運転席に乗り込む。凛音も助手席に乗り込みながら、先ほど言おうとした言葉をシツツメに言った。だがシツツメは自嘲気味に小さく笑った。


「あの子の両親からすれば、娘が生きて見つかって帰ってくることが全てだったんだ。だけど俺は、あの子を生きて連れ戻すことができなかった。それが結果だ」


 シートベルトを締めたシツツメはエンジンをかけ、車を走らせる。凛音はどう言うべきか考えていたが、それよりも早くシツツメが口を開く。


「どこまで送れば良い? 明日も学校だろ、遅刻するなよ美少女」

「では、夜桜駅前までお願いします。それと美少女ではなく、超絶美少女です。間違えないでもらいたいですね」

「そりゃ失礼」


 凛音の指摘にシツツメはおかしそうに笑う。その様子を横目で見ながら、凛音は思っていた。


(シツツメさんは何故、あのダンジョンで人助けのボランティアをしているのか……それを知りたかったのですが、結局知られずに終わりましたね。それに私の配信に、シツツメさんを映したところまでは良かったのですが……)


 少し面倒なことになるかも知れない──そう考えつつ、凛音は窓に頭をこつんともたれかけながら、目を閉じた。



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