第2話 シツツメという男(2)

 シツツメは車を運転し、夜桜市の中心部から離れた場所に向かっていた。夜桜市は海沿いに位置している都市であり、人口は約七十万人。大都市と言ってもいいだろう。

 昔から漁業が盛んであり、港には多くの漁船や貨物船が停泊していた。そして観光地としても知られており、観光客の目当ては世界にこの夜桜市にしか存在していない、攻略難易度10のダンジョンである。ただ公開されているのは安全が確保されているほんの一部分だけだ。

 ビルや住宅が立ち並んでいる中心部から離れた住民もまばらな場所に、そのダンジョンはあった。シツツメが車を停めて降りた視線の先は、まるでその区画だけずっと昔から手をつけていないかのようだ。


 大きく口を開いている洞窟は、ここに訪れる全てを歓迎しているようにも見える。その洞窟の周辺にはここの管理や警備のためなのか、建物も建てられている。とは言え、夜桜市が管理できているのはこのダンジョンのほんの一区域、第一階層と呼ばれている部分だけである。そこは一般市民、観光客にも開放されており、魔物や怪物も現れない。ダンジョンというよりは、ただの洞窟と言った方がいいだろう。


「四季! こっちだ!」


 車から降りたシツツメの名前を呼ぶ声が聞こえ、そちらへシツツメは小走りで向かう。照明で照らされた洞窟の大きな入口の前では、黒いスーツ姿の男性が立っており、そのすぐ傍には一人の少年が呆然自失と言った様子で地面に座り込んでいる。シツツメの視界の端に、赤いパトランプの光が映った。恐らく救急隊員もここに到着したのだろう。


「藤村、状況は?」

「五分ほど前に捜索隊の人員がダンジョンに潜った。今の時刻は二十一時十八分。ダンジョンに挑戦したグループの四人が戻ってくるはずの予定時刻は、二十時丁度。だが戻って来たのは、この子一人だけだ。外傷は確認できるが、大した傷じゃない」


 シツツメが藤村と呼んだ男は、手早く今の状況を説明した。それを聞いたシツツメは「一時間以上経過しているのか」と呟く。

 このスーツ姿の男は藤村銀二ふじむらぎんじ。主にダンジョン周辺の警備に従事している。不当にこのダンジョンに入ろうとする人間が数多くいるため、それを防ぐために警備の人間も必要になっているのだ。しかしその仕事はあくまでも主にで、ダンジョンに挑戦したまま戻って来れなくなった、または戻って来たものの仲間がまだダンジョン内にいると言った状況の対応もしている。

 夜桜市のダンジョンは望めば誰でも挑戦できる訳ではない。最低でも攻略難易度6以上のダンジョンをクリアしたという実績がある上で、審査に合格しなければならない。だがそこから先はあくまでも自己責任。ダンジョン内で見つけた貴重な宝などは全て発見した人間の物になるのだが、その過程で命を落としてしまっても責任は自分自身にあるということだ。それは最高峰の山に挑戦するのにも似ている。


「この子から話を聞けるか?」

「どうだろうな。見たところ、かなり参っている。念願の夜桜のダンジョンに挑戦したと思ったらこれだ。無理もないさ。それにこの子のグループは、全員が適応者ハイブリッドだった。こうなるとは思ってもいなかったんだろうよ」

「過度な自信を抱く適応者ハイブリッドは多いからな」


 言いながら、シツツメは地面に座り込んだままぴくりとも動かない少年の前に膝をついてしゃがんだ。顔を覗き込むも、その目には光が無い。

 二人が口にした適応者ハイブリッドとは、ダンジョン攻略に特化した人間のことを言う。ダンジョンの外、日常生活では普通の人間となんら変わらないが、ダンジョン内限定で特殊な能力を使用することが出来る。過酷な環境に適応した動物がいるように、ダンジョンという環境に適応し、そこを攻略するために進化した者たちだ。高難易度のダンジョンを攻略するためには、適応者ハイブリッドであることが絶対的条件。有名な配信者も適応者ハイブリッドが殆どだ。


「話を聞きたい。良いか?」


 とシツツメが少年に聞いても、何も答えない。ふと見てみると、体が小さく震えている。ダンジョン内で余程恐ろしい目に遭ったのだろう。ともすれば、目の前で仲間が死んでしまったのを見たのかも知れない。

 だがまだ少年の仲間が生きている可能性もある。シツツメは震えている少年の手を自分の手でぎゅっと握り、「聞いてくれ」と力強く言った。


「君は一人で戻って来た。最後に君が仲間といた時は、全員生きていたか? もし生きていれば、まだダンジョン内で生存している可能性がある。君を含めて、全員助かるかも知れないんだ」


 シツツメは少年の手を握りながら、虚ろな少年の目を真っすぐに見据えながら問いかける。シツツメが握っている少年の手の震えが止まると、少年はぼろぼろと涙を零し、嗚咽を漏らした。そしてその嗚咽の中に、必死で言葉を挟み込む。


「仲間は……い、生きてた……お、俺、一人で逃げるつもりなんてなかったんだ……だけど、怖くて、どうしようもなくて……! ここのダンジョンは、他とは全然違う……だから俺、挑戦するの止めようって言ったのに……!」

「生きていたんだな。教えてくれてありがとう。ここで待っていてくれ」


 シツツメは少年の手から自分の手を離すと、立ち上がる際に少年の頭をぐしゃりと撫でた。そして照明で照らされている洞窟の入り口に目をやると、躊躇いの無い足取りでそっちへと向かって行く。そこに藤村が横に並ぶと、少年に聞こえないように小声で話しかけた。


「実際問題、あの子の仲間が全員生きている可能性は?」

「甘く見て五割ってところか」

「……こちらの人員だけで対応できればいいんだが、そうも言っていられない。毎度のことだが頼んだぞ、四季」

「ああ」


 頷くシツツメの背中を藤村が力強く叩く。そしてシツツメはそのまま洞窟の中へと入り、先へと進んでいく。この洞窟内はまだ第一階層で、一般にも公開されている場所である。そのため設置された照明で洞窟内は明るく、散策するためのコースもロープで示されていた。シツツメはそのコースから離れると、暗く足場も悪い方へと入っていく。このまま洞窟内を下って行けば、第二階層の入り口へと辿り着く。

 しかしシツツメは戦闘用のブーツを履いている足を止めると「時間が無いな」と、その場にしゃがんだかと思えば、右手を地面に当てた。


「第二階層ならどこに出ても問題はないか」


 呟き、シツツメは使用することにした。自身の適応者ハイブリッドの能力を。このダンジョンで人助けをしているのだから、シツツメも当然のことながら適応者ハイブリッドだった。

 シツツメは地面に当たっている右手を握り締める。果たしてそれが、能力を使用する引き金になったのかどうかは分からない。

 だがそこにいたはずのシツツメの姿は、次の瞬間には影も形も無くなっていた。移動したのであれば必ず音が鳴るはずだが足音もしていなければ、地面には足跡の形跡すらも無い。

 文字通り、忽然とシツツメは姿を消してしまったのだ。しかし確かに、シツツメは適応者ハイブリッドとしての能力を使用した。


 シツツメの能力はダンジョン内を繋ぎ、そしてその繋いだ場所に渡ることができる。言うなればワープや、転移に似た能力だ。しかし繋ぐことができるのは、シツツメが踏み入ったことのある場所や空間に限定される。

 シツツメは第二階層に繋ぎ、そこへと渡ったのだが、シツツメが捜索しているダンジョンに挑戦したグループがいる場所に直接、自分自身を繋ぐことができた訳ではない。あくまでも第二階層に渡っただけであって、そこからは自力で見つけ出さないといけないのだ。加えて他にも様々な制限があり、決して無敵かつ万能の能力ではない。便利であると同時に、不便でもあるのだ。

 だがシツツメはこの攻略難易度10のダンジョンの第十六階層までただ一人到達しており、現時点でそこまで行くことができるのはシツツメだけだ。だからこそ、シツツメの適応者ハイブリッドの能力は人を助け、救出するのに非常に向いている。

 そして問題は探しているグループが生きているかどうか、その一点だ。


 能力を使用し、第二階層に渡ったシツツメの視界に広がったのは第一階層と似たような洞窟の風景だ。まったく光が差し込まないはずの洞窟内だというのに、行動するのに不自由しないぐらいその中は明るい。見てみれば、この洞窟を構築する岩や鉱石自体がぼんやりと光っており、そのおかげでヘッドライトなどの照明が必要ないぐらいだ。

 だが明るさの中に、第一階層では感じることのできなかった、今にも何かが襲い掛かってきそうな──獲物として捕食されてしまうような、圧迫感を感じることができる。しかしシツツメはそんなことなど気にしていないのか、はたまたもう慣れ切っているのか、自動拳銃にマガジンを差し込み、スライドさせて弾を装填すると、その自動拳銃を手に洞窟内の探索に身を投じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る