第一話 帰還


「はぁ、はぁ、はぁ!」


 どこか、鬱蒼と生い茂る森の中、一人の少女が息を荒らげていた。


 黒いブレザーに白いシャツ。黒のネクタイに、スカートという学生服に身を包んだ少女だった。


 黒髪で紫色の瞳。身長は百五十前後だろうか。美しい黒髪は短く切りそろえられ、さらさらとしており光沢が見える。肌の色も白く、可憐な美少女だった。


 しかし変わっているのは、その手に日本刀を持ち、目の前で化け物と相対しているということだろう。


 少女が相対している化け物は、巨大な蜘蛛だった。体高は成人男性の身長にも匹敵し、全長は三メートルを超える。鋭い牙と足の鋭利な爪。赤く爛々と光る不気味な無数の目。


 土蜘蛛と呼ばれる妖魔であり、歳を経て強大化しているのか、発せられる妖気も高い。


 妖魔。それは普段は異界に潜み、そこで生活をしている。かつてこの世界と異界との境界が近く、今以上に曖昧だったことで、そちらの世界の住人である妖魔が、頻繁にこの世界に現れた。


 しかし時代が変わり、人が増え、自然が減り、科学が広がった現代では、境界は遠のき、彼らは簡単にこちらの世界に現れなくなった。


 それでも時折、境界が歪み、この世界に妖魔が現れることがある。それらを退治するのが、退魔師の役目である。


(まずいですね。このままではじり貧です)


 少女は退魔師だった。それも同年代では、そこそこに名の通った使い手だった。


 この土蜘蛛も、偶然この世界に出現した存在である。人が消える行方不明事件が複数発生し、それが人為的な物ではなく、妖魔が関連することが判明。少女がその解決に派遣されたのだ。


 土蜘蛛自体は、それなりに強い部類の妖魔だ。さらにこの土蜘蛛は一般的な土蜘蛛よりもさらに強い個体だった。それでも彼女ならば問題なく対処できる相手だった。ただし、それは一対一の場合だ。


(まさか、二体いたなんて!)


 この土蜘蛛はつがいだった。一体を倒したのだが、その直後に二匹目が襲いかかってきた。それだけならば、まだ対処できたのだが、少女にとっての不運は不意打ち気味に腕にかすった一撃だった。


 そもそも、彼女一人だけだったならば、この傷も受けていなかった。


 原因は、彼女と一緒にこの場に来ていたもう一人の退魔師が、先に土蜘蛛の不意打ちを受け、少女の意識がそちらに向いた一瞬の隙を突かれたからだ。


 もう一人の退魔師は、土蜘蛛の糸に絡め取られ、近くの木に固定されたまま意識を失っている。


 さらに少女が腕に受けた土蜘蛛の爪には、毒が含まれていた。


 強力な妖毒は、少女の身体を蝕んでいく。じゅくじゅくと痛むと同時に、腕の感覚が消えていく。なんとか霊力で浄化と同時に身体に広がらないようにしているのだが、その分、攻撃に回す霊力が減少してしまう。


 またこの毒自体もかなり強い。少女の浄化力では、完全に消し去るには至らない。それどころか身体の自由を奪い、霊力を消費させていく。


「キチキチキチ」


 不気味に顎を鳴らし、少女を威嚇する。森の奥には、この蜘蛛の巣のような物が見える。そこには卵が無数に植え付けられており、ほかにも幾人かの人が糸に絡まれ、囚われている。


 土蜘蛛の目から見れば、少女も同じように餌なのかも知れない。いや、相方を殺された怒りで、今すぐこの場で食い殺すかも知れない。


「申し訳ありませんが、食べられるつもりはありません」


 服から一枚の霊符を取り出すと、土蜘蛛に向けて投擲する。霊符は蜘蛛の額に貼り付くと、巨大な炎が出現し、土蜘蛛を呑み込んだ。


 爛々と燃え上がる炎。並の妖魔ならば完全に燃え尽くすほどだ。


 だが……。


「キィチィキィチィキィチィッ!」

「そんな!?」


 炎の中から、土蜘蛛が飛びだしてきた。表皮の一部に焦げた痕こそあるが、五体満足の姿であった。


 急速に接近し、土蜘蛛はその足で少女の身体を叩き飛ばした。


 なんとか刀で防いだが、大きく後ろに飛ばされ、木に叩きつけられた。


「つぅっ!」


 痛みに小さなうめき声を上げ、苦悶の表情を浮かべる。身体が思うように動かない。ダメージもあるが、毒の影響もある。先ほどの攻撃も、避けるつもりだったが、避けきれなかったのだ。


(だめ、です。目がかすんで……)


 身体能力を霊力で強化しているが、その効率も落ちてしまっている。身体が動いてくれない。このままでは他の人達と同じ運命を辿る。


(う、動いて……。こんな所で、死ぬわけにはいかないんです……)


 四肢に力を込めるが、思うように力が入らない。土蜘蛛がゆっくりと近づいてくる。


 と、その時だった。


「おいおい。あいつはなんで、こんな変なところに送り帰すんだよ」


 どこか気の抜けた、それでいて不機嫌そうな声が少女の耳に届いた。


 視線を向けると、そこには白いジャケットと白いズボンの学生服に身を包んだ黒髪の少年がいた。


「服装はあの時のままか。向こうでボロボロになったってのに、綺麗になってる。こういうサービスは良いけど、これは無いだろ? 帰ってきて早々厄介事とか。俺って呪われてんのか?」

「に、逃げてください!」


 ブツブツと何かを呟く少年に、少女はなんとか声を絞り出し、逃げるように言う。


 だがその声に反応し、先に土蜘蛛が動いた。


 その顎を少年の方に向けると、口から糸を放出した。


「ああっ!」


 少女の悲鳴に似た声が響く。


 土蜘蛛の糸は、粘着性に優れ、獲物を捕らえると硬化して、並の人間どころか、退魔師でも易々とは引きちぎれない硬さになる。少年を逃がすまいと、糸に絡めて持ち帰るつもりだ。


 だが……。


「邪魔だ」


 少年が短く呟くと、彼の眼前に一枚の符が浮かび上がった。糸はそのまま少年に届くこと無く、その前の符が見えない障壁を発生させているかのように、すべてをはじき返した。


「この程度じゃ、俺の防護霊壁は抜けねえぞ」


 少年の言葉に土蜘蛛は怒りを感じたのか、そのまま突撃してその鋭い爪で突き刺そうとする。だがその爪は見えない壁に再び阻まれる。


 ガンガンガンと幾度も見えない壁を叩きつけるが、逆に土蜘蛛の爪の方が先に破壊された。


 少年はちらりと少女の方を見ると、もの凄い速さでその場から彼女の下へと移動した。


「おい、大丈夫か?」


 腰をかがめ、少女を守るように土蜘蛛に向かい合う。


「……貴方も、退魔師だったんですか?」

「………まあ、一応な」


 少年――星守真夜は曖昧に答える。退魔師と名乗るのには、色々と思うところがあったからだ。


「それよりもあんたの方はどうなんだ? まだ戦えるか?」

「あまりよくはありません。土蜘蛛の毒にやられた上に、身体を思い切り叩きつけられました」

「そうか。おっと」


 土蜘蛛がこちらに向かってきたので、再び符で防御する。衝突と同時に霊符が光り輝き、見えない障壁も膜が張ったように見える。


 真夜の符の防御は並大抵の攻撃では貫けない。見えない障壁が完全に、土蜘蛛の攻撃もその巨体の突進も防ぎきっている。


「あの土蜘蛛の攻撃を完全に防ぐなんて」


 少女自身、目の前で展開されている防御の霊術の強さに驚きを隠せないでいた。あの土蜘蛛の攻撃をここまで連続して、まともに受け続けても破壊されないほどの防御の術を扱える退魔師が、この業界にどれだけ存在するか。


「まっ、俺はこれしか能がないからな。残念ながら、俺は攻撃系の霊術が使えない」


 真夜は正直に自らの弱点を告げた。もっとも、攻撃手段は無くは無いのだが、今、この場で出すつもりは無かった。


「あそこに転がってるもう一体の土蜘蛛の死骸を見る限り、あんたはあいつを倒せる霊術が使えるんだな?」

「万全の状態、でしたら。でも今は……」

「わかった。じゃあ万全の状態になってくれ」


 真夜はそう言うと、別の霊符を取り出すと、そのまま少女の額へと貼り付けた。


「えっ?」

「じっとしてろ。すぐ済む」


 困惑する少女だったが、すぐにその疑問は氷解した。身体の痛みが消えていく。妖毒自体もまるで霊符が吸い取っているかのようだった。同時に身体が回復していく。


「これは……」

「これで戦えるか? だったらあいつの始末は任せる。あんたもやられっぱなしは癪だろ?」

「……はい。感謝します」


 少女は立ち上がり、真夜に礼を述べると、愛刀を構える。


「やあぁぁぁぁっ!」


 裂帛の気合いの下、霊刀を振り上げ、力の限り振り下ろす。霊刀から光が溢れると、土蜘蛛を一刀両断した。


「ギィィィィィィッッッッ!!!???」


 断末魔の悲鳴を上げ、土蜘蛛は真っ二つになり、大地へと横たわった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 息を荒らげる少女だが、すぐに息を整え真夜に向き直った。


「ありがとうございます。貴方のおかげで助かりました」

「ん? そりゃどうも。じゃあもういいな? 後は頼む。俺はもう行くから」


 土蜘蛛の巣に捕らわれている者達も、意識を失っているだけで今すぐに死ぬようなことはないと判断した真夜は、そのままこの場を後にしようとする。


「あっ! 待ってください」


 少女は真夜を呼び止めた。


「貴方はかなり高位の退魔師とお見受けします。お名前をお聞きしても?」

「あー、名前……名前ね」


 ばつが悪そうに、真夜は頭をかくと、はぁとため息を漏らす。


「……何か問題でも?」

「いいや。けど相手に名前を尋ねる場合は、自分から名乗るのが礼儀じゃないのか?」


 真夜がそう言ったのは、相手次第では返答を変えるつもりだったからだ。真夜の言葉に少女は納得したように頷く。


「失礼しました。私は京極。京極渚きょうごく なぎさと申します」

「京極? 六家の中でも最も優れているって言う、あの京極か?」

「はい。私自身は、あまりそう呼ばれるのは好きではありませんが」

「それは悪かった」

「いえ、構いません。では私の名前を知っていただけたところで、今度は貴方のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」


 思わぬビッグネームに真夜はどうするかなと一考するが、下手に嘘をついても後々面倒になるだけなので、ここは正直に答えることにした。


「星守。星守真夜」


 真夜が名乗ると、彼女は些か驚いた顔をした。眼を見開き、真夜の顔を凝視している。


「京極なら聞いたことがあるだろ? 星守に生まれた落ちこぼれって」

「そ、それは……」


 渚は口ごもった。星守真夜の名は、退魔師業界、特に六家の中ではそれなりに有名だった。勿論悪い意味で。


 星守。それは退魔師業界における六家と呼ばれる大派閥の一族から見ても、一目置く最強と名高い退魔師の一族である。退魔師としての個人の力は六家を超える、実質国内では最強と言われている名門の一族だ。


 その星守には十五年前、当主に双子の兄弟が生まれた。


 しかしこの二人には生まれながらに、明確な差があった。それは兄が生まれながらに、膨大な霊力を有していたにもかかわらず、弟はそこまでの霊力を有していなかったのだ。


 兄は生まれながらに一般的な退魔師を優に超える霊力を持ち、成長するに連れさらに強大になり、十二歳の頃には、一流の退魔師と比べても遜色ない、あるいは勝るほどの霊力になった。


 対して弟は十二歳の頃においても、退魔師と名乗れる最低限の霊力にしか成長していなかった。


 さらに兄は霊術においても類い希なる才を見せた。あらゆる属性の霊術に適性があり、習得できたのだ。


 だか弟が習得できた霊術は防御、結界、治癒と言う補助的な物にしか適性が無く、攻撃系や火や水、風といった属性の霊術は一切習得できなかった。


 さらに弟は霊力を体外に、まともに放出することができない欠陥を抱えていた。


 単純な全身からの霊力の放出ならば多少できなくはなかったが、霊力そのものを収束して放出したり、攻撃などに応用するような放出は不可能だった。


 そして十二歳の時、星守一族を最強と言わしめる、彼らだけの秘術もまた、弟は習得することができなかったのだ。


 だからその少年――星守真夜は星守においても、ひいては退魔師界隈においても、落ちこぼれの烙印を押された。


 真夜に与えられた不名誉な蔑称。


 落ちこぼれ、無能、欠陥品、兄にすべての才能を持っていかれた出涸らしなどなど。


 真夜にとっては、あまり愉快な思い出ではない。


「ですが、これほどの術を使えるなら、落ちこぼれなどと言われる謂われは無いのではないですか?」


 渚はどこか、何かに腹を立てているようにも真夜には見えた。彼女の見立てでは、真夜の防御霊術は一流どころか、超一流と言えるほどではないかと感じた。それに治癒の術の効力もかなり高い。ほぼ一瞬で渚を回復させたことを考えれば、決して落ちこぼれと評される謂われなど無いはずだ。


 その言葉に真夜は苦笑する。


(いや、ここまで強力な術が使えるようになったのは、異世界に行ってからだからな)


 それまではとてもではないが、あの土蜘蛛の攻撃を受けきれる防御霊術など扱えなかった。治癒の霊術も、多少の傷を癒やす程度しかできなかった。彼女を治癒したように、一瞬で回復と浄化などできもしなかった。


 霊力においても、異世界に召喚される前は、どう背伸びしても平均的な退魔師程度の霊力しか無かった。


 今思えば、落ちこぼれや無能と言われても仕方が無いとさえ思っている。


 それに星守の一族の中で、直系の血を引いているのにも拘らず、星守の秘術が使えなかったのは、星守の歴史を見ても真夜だけであった。


 それに神の言うとおり、帰ってきてあの世界よりも若干弱体化した感覚はある。それは肉体が若返り、成長途中の物になっているのもあるだろう。


「別に他人がどう言おうが、俺にとってはどうでもいい。それに人の評価なんて、適当で曖昧だ。他人の言葉にいちいち左右されてたら、身が持たないし何より面白くもない」


 異世界において、数多の経験をした真夜は様々な面で成長し、強くなっていた。だからこそ、こんな風に言えるのだ。


「そうなのですか?」

「ああ。それと俺があんたを助けたのは、秘密にしておいてくれ」

「……何故ですか?」


 渚は不思議そうに真夜に尋ねる。


「俺は星守とは言え落ちこぼれで、あんたは京極の人間。俺に助けられたなんて言ったところで、誰も信じないだろうし、仮に信じたとしても、そんな奴に助けられたなんてことになったら、あんたの立場も無いだろ」


 真夜は相手の立場を心配するような言動をするが、全くそんなつもりは無い。只単に、自分が下手に目立ちたくないだけだ。


(まだ俺もどれだけ弱体化しているか分からないし、京極なんて退魔業界じゃ六家の中でも、有数の影響力のある一族と関わるのも面倒だ。しばらくはのんびりしたいしな)


 下手に騒ぎたてられ、また厄介事に巻き込まれるのは願い下げだ。


(どうにも俺は、あの占い好きの魔女曰く、厄介事を引き寄せる体質らしいからな。こいつも成り行きで助けたけど、これ以上の面倒はご免だ)


 異世界では常に戦いの連続で、気の休まる時が殆ど無かった。この世界も妖魔などの危険が存在するが、異世界ほど殺伐として危険というわけでは無い。


 だからしばらくは、異世界に比べれば平穏とも言えるこの世界でゆっくり、のんびり暮らしたい。


「ですが、この件が公になれば、少しは貴方の汚名を雪げるのでは無いですか?」

「この程度で雪げるほど、俺の汚名は軽くないと思うけどな。それに俺は攻撃系の霊術が一切使えないのは事実だからな。防御だけできても、退魔師としては欠陥品扱いだろ?」


 とは言え、真夜は決して一人ででも戦えないことはないのだが、それをこの場であえて言う必要は無いので黙っている。


「それに余計なやっかみが増えるのも嫌なんだよ」

「やっかみですか?」

「ああ。落ちこぼれから、防御しか能の無い退魔師ってな。それにこの現場を見ていない連中からしたら、信じられない話だろうから、どうせ誇張したとか何とか言われて終わりだ。それもそれで鬱陶しいだろ?」


 防御や治癒の霊術は有用だが、攻撃系の霊術が一切使えないと言うことは、退魔師としてはこれまた欠陥品だ。一人で妖魔を滅ぼすことができないのだから。


「だからあんたが黙っててくれれば、誰も困らない。俺はこれ以上、下らない陰口を増やされずに済むし、そもそも話題にさえ上がらなきゃ、下らない他人の戯れ言を聞くことも無く、あんたも醜態を晒さずに済む」

「それでは、私は助けられた恩を返せません」

「いらねえよ、そんなもん。恩を感じてるんだったら、黙っててくれる方がよっぽど俺のためだ」


 真夜は有無を言わさぬように、少しだけ強い口調で告げる。


「恩を着せようと思って助けたんじゃねえ。貸し借りもするつもりは無い。俺は俺がやりたかったからしただけだ。だからあんたも俺に恩を返そうなんて考えなくていい。ありがた迷惑だ」


 ここまで強く言っておけば、彼女もこれ以上、深くは言ってこないだろう。


「ついでに言えば、なんで俺がこんなところにいたとか詮索もしないでもらえれば助かる。ここに来たのは、偶然というか、たまたまなんでな」

「……わかりました。今回の件に関しては、私一人で妖魔を倒したと報告させていただきます。それとどうして貴方がここにいたのかも詮索はしません」


 未だに何か言いたそうな渚だったが、真夜が本当に嫌がっていると理解したのかこれ以上の問答はせずに、彼の意思を汲んでくれた。


「そうしてくれ。じゃあ俺はもう行くからな。土蜘蛛もあの二体だけだったようだしな。巣の処理はできるな?」

「はい。貴方のおかげで全快していますし、何故か霊力も回復しています。もう油断もしません」

「わかった。あっちの木にくくりつけられている奴はどうする?」


 真夜が親指を向けた先には、木に土蜘蛛の糸で固定されている、彼や渚と同じくらいの年齢の少年の姿があった。


「……彼も助けますので、ご心配には及びません」


 どこか呆れを含んだ、疲れたような顔をする渚。少年に何か思うところがあるのだろう。


「わかった。じゃあ後は任せる」

「はい。本当にありがとうございました。貴方のおかげで、私は命を救われました。このご恩は一生忘れません」

「そんな大げさなもんでもないだろ。あんたが助かったのは、運が良かったからだ。感謝するなら、神様にでもしておいてくれ」


 実際、あの異世界の神が真夜をこの場に転移させなければ、彼が彼女を助ける事もできなかった。そう言う意味では、神様が渚の命の恩人ならぬ恩神であろう。


 真夜は異世界において、人を助けるのが当たり前の勇者と長くすごしたせいで、目の前で困っている者や、命の危険に晒されている相手を助けるのが、当たり前になっていた。


 もちろん、すべてを救うなんて考えは無いし、救えるとも思えない。またどんな人間でも救おうとも考えているわけでは無い。


 命は平等ではあるが、死んだ方が世のため人のためという人間も間違いなく存在するからだ。


 だが目の前で命の危機に晒される人間がいて、自分が助ける力がある場合、それを見過ごせないようになっていた。


(我ながら、面倒な性格に矯正されたもんだ)


 助けた結果、面倒事に巻き込まれることもあった。見て見ぬ振りをするのが正しい選択という場合もあった。


 それでも真夜が共に旅をした勇者は、困っている人間を見過ごせない奴だった。そんな人間と長く共に行動をしていたせいで、真夜もその影響を受けてしまった。だから彼女のことも助けたのだ。


「……変わっていませんね、貴方は」

「ん?」


 ぽつりと、渚が小さな声で何かを言ったような気がした。しかし生憎と、真夜には聞き取れなかった。


「何か言ったか?」

「……いいえ。何も言っていません。わかりました。貴方がそう言うのでしたら、そうさせていただきます」

「そうしてくれ。じゃあな」


 真夜は満足げに呟くと、ひらひらと手を振りながらその場を後にした。


 ただ渚は、彼のそんな後ろ姿をじっと見つめ続けるのだった。


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