第6話 食糧不足

「何だ、この夕飯は」

 東小旗が呆然と呟いた。卓に用意された料理は、見る限り甘薯、甘薯、甘薯そして少しばかりの他の野菜に、豆腐、魚の使われた料理だった。

「店主に文句を言ってきます!私たち役人を馬鹿にしているとしか思えない」

 壁小旗が怒って店主の元に向かおうとするのを、高指揮使が止める。宇軒は、他の三人に構わず卓についた。

「美味しそうな料理だ。どうしたんですか?皆さん、頂きましょう」

「しかし、……」

 東小旗が言い淀むと高指揮使が言った。

「この都を歩いている時に、気づかなかったか?どの店にも甘薯ばかりが売られていて、他の野菜や肉や魚が置かれていない。どうやらこの都は今、食糧不足らしい」

 そう言われて、東小旗と壁小旗はあっとしたように顔を見合わせた。

「どうしてこんなことになっているのか、話は聞くとして、まずは食事にしませんか?折角の料理が冷めてしまう」

 宇軒の言葉に他の三人も席についた。四人が食事を始めると、店主と宿の料理人らしき男が、酒と茶を持って現れた。

「こんな料理しかお出しできず申し訳ございません」

白髪の店主が茶を注ぎながら言う。宇軒は渡された茶に礼を言って、店主に尋ねた。

「いえいえ。とても美味しい料理です。しかし、私は無学なものでお恥ずかしいのですが、景都は甘薯の名産地でしたか?」

 店主は大きく首を横に振った。

「いえ、南ではここのところ水害が続いているそうですが、景都はここ数ヶ月干魃が続いており甘薯以外の植物が育ち辛いのです。加えて景都軍に税として奉じなければならない食料の量が増えたため、市井に食料が足りなくなっています」

 おかげでこの有り様です。店主は困ったように言った。

「景都軍に奉じなければならない食料の量が増えたのは、ここ数ヶ月のことですか?」

「半年ぐらい前からですね。ナイマンの襲撃が増えて、増兵したので仕方がないのかもしれませんが……」

そう言って店主は接客に戻って行った。


 翌日、一行は甘薯が浮いた七分粥の朝食を腹に収め、屯所に向かうことにした。都の様子をよく見るとやはり甘薯以外の食料が乏しいようだ。宇軒は何かに気づいて走っていき、菓子屋で何かを買い求めた。

「何を買ったんですか?」

 壁小旗が尋ねると、宇軒は満面の笑みで答えた。

「甘薯をすり潰して、牛の乳を加えて焼いた菓子だそうです」

 東小旗は呆れたように言った。

「あれだけ甘薯を食べたのに、よく甘薯の菓子なんて買い求める気になりますね……。私はもう甘薯はお腹いっぱいです」

「嫌だな〜。甘薯美味しいじゃないですか!お菓子は別腹ですし、このお菓子は見たことがないですよ。是非食べてみないと」

 宇軒が菓子の包を片手で掲げて見せると、その時宇軒に少年がぶつかった。

「おっと、失礼」

 宇軒がそう言うも、少年は何も言わないまま去ろうとする。

「待って」

 宇軒は去ろうとする少年の手首を掴んだ。少年は弾かれたように、宇軒の手を振り払い駆けようとする。

 しかしそれより早く、少年の首根っこを引っ掴み、押さえつける者が居た。高指揮使だ。

「何を盗られた?」

 高指揮使は片手で容易く少年を押さえつけ、もう片方の手で少年の懐を探った。

「都察院の通行玉令と、財嚢です」

 少年は何とか逃れようと暴れたが、あっけなく宇軒の通行玉令と財嚢は発見された。

「良かった。通行玉令を無くしたと知られれば、張殿にどんな目に遭わされるか……」

 宇軒はほっと息をついた。

「この子供はどうする?景都の錦衣衛に渡すか?」

 高指揮使が問う。少年は諦めたように項垂れている。宇軒は少年を見た。年の頃は十歳前後。

 薄汚れた身なりと、やせ細った身体はまともな生活をしているようには見えない。そして……。

「君、親は?」

 少年は項垂れたまま首を横に振る。

「あそこの建物の影に隠れている子は君の弟?」

 少し先の建物の影から四・五歳の子供がこちらを心配そうに見ている。少年がはっとしたように宇軒を見た。

「窃盗の罪は軽くて牢に三月入れられる」

 宇軒は少年を見たまま続ける。

「その間、君の弟はどうやって生きて行くのか?君の他に頼れる者はいるのか?」

 少年はまた深く項垂れ、嗚咽を漏らし始めた。宇軒は通行玉令を懐に戻し言った。

「これは返して貰う」

 そして、財布の中身を手にひっくり返してあちゃ〜という顔をした。銀一両と30文しかない。宇軒は高指揮使を見た。

「高指揮使、今いくらお持ちですか?」

 高指揮使は宇軒の突拍子もない問に、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。

「?銀百五十両ぐらいだったかと思うが」

 高指揮使の言葉に今度は宇軒が吃驚したように言った。

「そんなに!私の年俸以上ですよ、その額。まぁ、それは良しとして、必ず返すので銀五十両※約150万貸してください」

 宇軒があっけらかんと言うので、高指揮使は懐から銀五十両を宇軒にさし出した。宇軒はその銀五十両と、先程の銀一両と三十文を財嚢に戻し、少年に向かって言った。

「ここに銀五十一両と、三十文ある」

「?」

 宇軒の言葉に、不思議そうに首を傾げる少年の嗚咽はいつしか止まっていた。

「君の年で真っ当に生計を立てようとすれば奉公に出るか、宦官になるか、身を売るしかない。ただ、そのどれもが弟と居ることは難しい」

 宇軒の言葉に少年の顔色が曇る。

「そこでだ、私はこの金を君に無期限無利子で貸す」

 少年がはっとしたように宇軒を見る。宇軒は財嚢を少年に差し出した。少年はその財嚢と宇軒の顔を交互に見る。いつの間にやら、高指揮使の拘束は解かれていた。

「安い借屋を借りて弟に留守を任せ、君はどこかで下男として雇ってもらうでもいい。もしくは、何か商売を始めるでもいい。慎ましく暮せば一年は保つだろう」

 宇軒は続けた。

「君達が一緒に生きていくのは容易なことではない。だが、君と弟の人生の責任は、君達にしか負えない。犯罪に手を染めるような、君と弟の人生を壊すようなことは止めろ。この金を使って、一年で生活を立て直せ」

 少年は立ち上り、宇軒の手から財嚢を受け取ると大事そうに胸に抱きかかえ、宇軒に深々と頭を下げた。

 宇軒は頭を上げた少年に菓子の包を押し付け笑った。

「弟と一緒に食べたら良い。食べることは生きることだ。美味しい物を食べれば少しは気分も軽くなるさ」

 少年はまた一礼し、弟の元に駆けて行った。


「良かったんですか?錦衣衛の指揮使が犯罪を見逃して」

 宇軒が高指揮使を見返ると、高指揮使はいつもの平坦な表情で言った。

「盗まれた人間が『盗まれた』と言わぬ限り、犯罪は存在しないだろう」

 宇軒はにやりと笑った。

「成程。私は彼に金を貸しただけですから、犯罪は起こっていませんでしたね」

 高指揮使はため息を吐いて言った。

「『情けは人の為ならず』が貴方の信条かもしれないが、貴方に何の利がある?施しが彼らの為になるだろうか?」

「高指揮使は、戦場以外で飢えたことがありますか?」

 高指揮使ははっきりとした声で答えた。

「ない」

 宇軒はさも当然といったように頷いた。

「私はあります。もう、ずっと前の事ですが。その時、私はある官吏に助けられました。彼を見ていてその時の自分を思い出し、自己満足で助けたくなりました。彼に言った通り、彼らがどんな道を選んでも彼らがその責任を負う。後のことは彼ら次第です」

 そう言う宇軒の顔は少し厳しい。


 そこに、事の成行きを見ていた壁小旗があっ!と言った。

「そう言えば、李殿。あの子供に名乗り忘れてますよ!相手の名前も聞いていないし。どうやって金を返して貰うんですか?」

 宇軒はその言葉にただ微笑むだけだった。


 一行が屯所にたどり着いた時には、もう昼時で丁度食事の用意が出来たからと、「ご一緒にどうですか?」と勧められた。

 高指揮使は民から軍に奉じられた食料を食べることに難色を示したが、宇軒は「是非に!」とご相伴に預かることとなった。

 東小旗と壁小旗がやっとまともな料理にありつけると胸を踊らせていると、出された料理に2人は目を見開いた。

 そこには、昨夜の宿の料理の再来かと思われるような食事があった。甘薯、甘薯、甘薯、少しの他の野菜に、肉と魚。四人はこの食事を前に、顔を見合わせた。

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