第8話:……ならば、今ここで死ね



◆◆◆◆



 自分を殺しに来た光悦に対し、平然と仲間になるように弥五郎は吹っ掛ける。没義道どころか鬼畜の所業をしてきた男だ。仁義もなければ道理もない。ただ使えそうな相手には金と欲をちらつかせるだけだ。


「……報酬はなんだ?」


 そのふてぶてしさに感じ入るでも嫌悪するでもなく、光悦は尋ねる。


「俺をいつでも斬っていいぜ? やれるのならなあ」

「……恐れを知らぬ悪党だな、お主は」

「どうせお天道様の下は歩けねえ。捕まればきつい仕置きの末に石を投げられながら磔獄門だろうさ。だったら好き放題やって、面白おかしく生きるしかねえだろ」


 元より弥五郎に長生きする気はないが、かといって捕まる気もない。刹那的な生き様を聞いて、光悦はわずかに眉をひそめた。わずかに一歩を踏み出す。室内でもその足は草履だ。


「……ならば、今ここで死ね」

「ひゃははっ! そうこなくっちゃなあ!」


 弥五郎は嘲笑と共に、手に持っていた猪口を彼の額めがけて投げつけた。


 避けるか受け止めるはずだ、と弥五郎は確信していた。額を切って血が目に入るのは嫌に決まっている。しかし光悦は避けなかった。猪口がぶつかって額が切れ、血が垂れる。


「――ちぃっ!」


 猿のように飛びのく弥五郎。彼がさっきまでいた場所を、光悦の居合の一閃が通り過ぎた。一瞬でも遅れていたら、間違いなく胴と首が泣き別れになっていた。


 その代わり頬がざっくりと斬られた。血が噴き出る。


「いっってえなっ!」


 痛みと斬られたという事実に逆上し、弥五郎は腰の刀を抜いた。鞘こそ偽装でぼろぼろだが、中身は武家の家から盗んできた名刀だ。手近にあった金の入った袋に手を突っ込み、目眩ましでびた銭をばらまきつつ弥五郎は斬りかかった。刀で受けた瞬間、光悦の体が倒れた。


「なっ!?」


 あり得ない異様な動きだ。わざとこちらによろけるようにして倒れかかってくる。その意味を理解し、弥五郎はもつれそうになるのをぎりぎりで避けた。獲物に襲い掛かる蛇のように迫ってくる光悦の左手から、かろうじて逃れる。捕まったら喉笛を指で引きちぎられただろう。


「な、何だお前。まっとうな侍の剣じゃねえな」


 ゆらり、と身を起こした光悦は、何事もなかったかのように立ち上がる。そして、右手で抜き放ったままの刀を盲人の杖のように下段に構える。


「……外刀流、志度光悦」

「おうおう、名乗りかよ。俺ぁ四ツ目の弥五郎ってんだ」


 口ではそう言いつつも、じりじりと弥五郎は壁際に移動した。頬から滴る血が苛々させる。


 まったくもって油断がならない相手だ。正々堂々と斬りあうのではなく、相手を幻惑して殺すことに忠実すぎる剣だ。ふらふらと的を絞らせず、打ち込めば引き、突けばよろけ、そして絡みつくようにして殺す。


「お前は俺を斬りたいらしいが、俺はお前とやりあう気はねえぜ。逃げることだってできるんだぞ。盗人をこの暗闇で追えるかよ、おい」


 弥五郎はあざ笑う。殺し合いならば相手に分があるだろうが、何も正面きって刀を振り回す必要なんてどこにもない。さっさと逃げればそれで終わりだ。外は雨のそぼ降る暗闇。盗人の弥五郎ならば明かりなど何もなくても闇夜を昼間のように駆けることができる。


「……逃げてもよいぞ」

「そうかよ!」


 妙なことを言うな、と思いつつも弥五郎は障子に体当たりした。向こうは廊下だ。後はそこを走って逃げて外に出れば一息つける。背後に警戒しつつ、転がった身を起こして走り出そうとして――不自然に足がもつれた。


「……あ?」


 心臓に激しい痛みが走った。足がふらつく。口の中が妙に乾いて、舌が痙攣して張り付く。ろれつが回らない。


「て、てめえ――――さっきの刀に毒を塗ったな!?」


 弥五郎は吠えたが、もはやどうしようもない。胸を押さえながらその場に膝をつくしかなかった。


「……薄皮一枚、切れればよし」


 光悦は静かに歩み寄ってきた。まるで道端でもがく蝉でも見つめるような目がまた恐ろしい。


「このクソ野郎! 侍の風上にも置けねえなあ!」


 弥五郎はせめてもの抵抗とばかりに暴れようとするが、手足が突っ張り始めた。思えば最初からおかしかった。抜き身をぶら下げていたのに、わざわざ鞘に納めたのがおかしい。交渉の余地なく斬りかかる気が満々なのに、いったん納刀するあの動作。恐らく鞘に仕込んだ猛毒を刀身に塗り付けていたんだろう。最初から毒殺が目的だったのだ。


 痙攣が始まった弥五郎から少し離れた場所に、光悦は座り込んだ。刀を手に持ったまま、死ぬのをただじっと見ている。


「くそ、さっさと殺せよ! あ、いてててっ! 痛ぇ!」


 心臓が脈動するたびに全身が痛む。それでも光悦は目をそらさない。


「……なぜ殺した」

「あ?」

「……お前が惨殺した夫婦には幼い娘がいた。殺さずともよかったはずだ」

「知らねえよ。顔を見られたんだろ、きっと」

「……それだけで命を奪うのか」

「俺たちみたいな極悪人になるとな、一人殺すのも十人殺すのも同じなんだよ。言っておくが、殺しも盗みもしたがそれ以上はしてねえよ。……女は嫌いだ。顔も見たくねえ」


 それは弥五郎の誰も知らない過去だ。自分を虐げる母親を殺し、彼は悪党の道をひた走ってきた。


「……そうか」

「なあ頼むよ、殺してくれ。ああくそっ」


 這いずってでも近づこうとした弥五郎に、光悦はのっそりと立ち上がると脇差に手をかけた。


「……口を開けて動くな」

「お、武士の情けって奴か?」

「……否」


 瞬間、光悦の右手が目にもとまらぬ速さで動くと、弥五郎の口内に脇差が投げつけられた。


 それは一撃で延髄を貫き、弥五郎の目がぐるりと上を向いた。光悦はじっと耳を澄ませて、弥五郎の呼吸と心臓の音が止まったのを確認する。やがて、本当に弥五郎が死んだことを確認すると、光悦は隣の部屋から大工仕事に使うノコギリを持ってきた。しばらくの間、ゴリゴリという音がその部屋からしたが、やがて聞こえなくなった。



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