第57話 文化祭2日目④

「――でね」


 会話が切れ間で視線を外す。視界の先に、『美術室』という文字を見た。


「聞いてんの?」

「もちろん」

「じゃあなんの話だった?」

「この間友だちと遊んだときの話。映画見てカラオケしてってとこまでだったか」


 少しも詰まらず言い切ってやると、陽菜希は少し意外そうな顔をした。やや間があってから、わざとらしい咳払いをひとつ。その耳はどことなく赤い。


「聞いてんなら別にいいのよ。疑ってごめんね。どうもありがとう!」

「謝罪と感謝を同時にやるな……情緒不安定か」

「……不安定にもなるわよ」


 握っている幼馴染の手にぎゅっと力がこもるのを感じた。少しの間、その視線も手の方を向く。

 やがてやや躊躇いがちに上目遣いで睨んできた。


「なんかごめん」

「いいわよ、別に!」


 ふふんと勝ち誇ったように陽菜希が鼻を鳴らした。

 それをまあなんとも言えない気持ちで見つめていたわけだが、耐えきれなくなってつい笑ってしまう。

 向こうが笑みをこぼしたのもほぼ同じタイミングだった。


 今度は沈黙の中歩いていく。人影がまばらな廊下、どこかおかしな雰囲気を感じながら、幼馴染との新しい時間を噛みしめるように。

 この日のこの時間に、陽菜希と学内を巡っているだなんて想像すらしていなかった。もはやなぜ1周目はあれだけすれ違い続けたのか。不思議でたまらない。

 取るに足らない存在では決してなかったはずなのに——


「美術室、か」

「——っ!」


 先ほどは視界の果てにあった札を読み上げる。鳳陽菜希は美術部である。あの札を最初に目撃したとき、鮮やかに意識の表面に浮上してきた。

 隣でその美術部員が息を呑むのを感じる。ピタリと足を止めると、忌々しげに視線を上げた


「ここはいいわね。何もやってないから」

「今人出てきたぞ」

 ちょうど2人組の男女が出てきた。

「見間違いでしょう」

「いやあのなぁ」


 こっちに向かってきて横を通り過ぎようとあっては、もはや無理がありすぎるだろう。本人も自覚しているらしい。前方を睨んだまま、決してこちらには目を向けない。

 このネタでもう少し揶揄ってやろうか——そんな思いで口を開いたときだった。


「あら、キミは」

「……はい?」


 その真横を通過予定の人物に声をかけられた。やや小柄な見た目は、かろうじてうちの幼馴染よりも背が高い程度。顔の造りは美人系でどこか派手だ。

 隣には爽やかな雰囲気の男性もいた。やや薄い色の茶髪で、連れとの身長差のせいかとても背が高く見える。いわゆるモデル風のイケメン。

 とにかくお似合いな雰囲気の2人組はまじまじとこちらを見つめてくる。人当たりの良さそうな雰囲気を醸し出して、好感の持てる若者風——たぶん元の俺よりは年下だと思う。


 確かに彼らをどこかで見たような気はする。これはもちろん時間が戻った後の範囲内で。

 となると、候補は自然と絞られてくる。


「あっ」


 記憶が蘇りつい声が漏れる。不思議な睨めっこが唐突に幕を下ろす。

 とはいえ、実際にはどこで会ったかというピースが埋まったにすぎないのだが。


「どうやら思い出してくれたみたい」

「ホントよかったぜ」


 2人がほぼ同時に表情を緩める。

 だが、男性の方はすぐに肩をすくめて大袈裟に戯けてみせた。


「そうじゃなきゃ不審者案件だからな。高校生へに声掛け事案」

「それはアンタだけね」

「確かに。そっちは高校いや中学生でも通用しそうだもんな」

「こんなバチバチにメイクキメてる子いないでしょ。そもそも若く見られるということは素晴らしい」


 カップルは軽快に言葉を重ね合っていく。流暢な言い争いは、喧嘩ではなく戯れ合い。もはやただの仲良し——らぶらぶあぴぃるとでも呼べばいいのか。どこぞの業界でいうところの。


「ワカセ、だけにな!」

「トモナリ、アンタ親父くさいわよ。あー寒い寒い」


 そこで完全に記憶が蘇った。

 すると、表情に出ていたのか。陽菜希がちょっと責めるような顔を向けてくる。取り調べをする刑事か、こいつは。


「そろそろ説明してもらえるかしら」

「ああ。この人たちはトモナリさんとサホさん。ほら、ちょうど脱出イベントの偵察に行ったとき知り合ってさ」

「本当、あの時はとても頼りになりました。どこぞのポンコツ男は大違い」

「へいへい、すみませんでしたね、ポンコツで」


 ふふふ、と隣から堪えきれなくなった風の笑い声が聞こえてきた。幼馴染はなんか見覚えのない表情をしていた。うっとりというか羨ましそうというか、とにかくキラキラして見えるのは確か。


「今日はどうして?」

「それはもちろん、キミたちが誘ってくれたからよ」

「母校の学祭も近くてさ。こういうのも悪くないなって」

「なるほど」


 そういえばそんな話をしたっけか。完全に社交辞令だと思っていたが、やはりこの人たちはとてもいい人のようだ。


「しかし、キミなかなかスミに置けないなぁ」

 サホさんの視線が鋭く俺たちの手元へと動いた。

「こ、これは違くて——こいつが逸れないようにしてるだけです!」

「俺は散歩中の犬か」

「はぁ〜なんていじらしいんわねぇ。昔の自分を見てるみたいだわ」

「嘘つけ。そんな時代一度もなかったじゃないか」

「……なにか言ったかしら」

「イエナニモ」


 涼し気な恋人の笑顔にすぐさま口を閉ざすトモナリさん。普段の苦労がそれとなく伺える。まあでもきっと楽しんでいるんだろうけど。

 ちょっと食傷気味に眺めていたら、いきなりサホさんの顔がこちらを向いた。かなり意地の悪そうな笑みが浮かんでいる。


「それで? このことは凜々華ちゃんは知ってるのかな?」

「ん、ああそっか、そういうことか。確かに、この子雰囲気変わったなぁとは思ってたんだよな」

「……トモナリ、気づいてなかったの。ホントアホね」

「うるせーよ、サホ以外みんな同じに見えんだよ」

「……あの、そろそろ介抱してもらっていいですか」


 この人たち、隙あらばイチャつこうとするな。サホさんはああいってたが、もはやバカップルと称するべきじゃないか。

 とはいえ、うちの幼馴染は相変わらず嬉しそうに見守っている。


「アハハ、ごめんなさい。ちょっとおふざけが過ぎたわね。――ええと」

 少しも悪びれた様子なく笑い飛ばすと、サホさんが陽菜希を見て首を傾げた。

「鳳陽菜希です! すみません、名乗りもせず」

「オオトリ……あの絵の子か! さっき見てきたよ、美術部の展示。あたし、芸術のこととかよくわからないけど、あなたの絵とてもよかった!」

「そ、そんなことないですから! でも、ありがとうございます」


 はにかむ幼馴染は本当に嬉しそうだった。

 となると、がぜん興味は湧いてくるわけで。そっと恋人たちの後ろの方に視線を飛ばす。またひとつ、扉の出入りがある。


「これからも頑張ってね、絵も……恋も!」

「だ、だから違いますって」

「ふふ、たまには素直になった方がいいわよ。陽菜希ちゃんも同じクラス?」

「そうです!」

「ぜひ楽しみにしてるわ、脱出ゲーム。ほらいくわよ、トモナリ」

「よく傍若無人って言われないか」

「アンタ以外からは特には」


 最後まで調子を変えることなく、トモナリさん・サホさんカップルは去っていった。本当に仲いいんだな、あのふたり。


「……いいなぁ」

「なんか言ったか?」

「は? 別に何も言ってませんけど?」

「だったらいいけど。――で、美術部は何もやってないんじゃなかったのか?」


 とりあえず、話題を戻す。サホさんの話を聞いて、なおさらなかったことにするわけにはいかなくなった。

 俺の指摘に、陽菜希はかなり苦しそうな顔をした。しまった、という表情の見本として写真に納めたいくらいだ。


「はいはい、嘘つきました! ごめんなさい!」


 顔を真っ赤にして、観念したように言い放つ。

 どうやらこいつの今日のテーマは元気よくらしい。幼馴染は普段よりもかなりテンションが高い。でもこういうのも悪くない。


「じゃあ見せてもらおうか」

「……はあ、まあ仕方ないか。笑わないでよ」

「笑うわけないだろ」

「…………そうね、そういう人だわ、アンタは」


 くいくいっと二度ほど腕を引っ張られて、俺たちは美術室の方へと歩き出すのだった。

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