第十八話 御堂

合流地点には誰もいなかった。伊織と夜空は一体どこにいるのだろうかと、雪穂はあたりを見回す。

「…見当たんない……」

それでも2人の姿は見当たらなかった。遅刻でもしているのだろうか?

「携帯に連絡入ってないかな」

携帯電話を取り出し、確認する。そこには伊織のメッセージが入っていた。

『すまねえ、別の仕事が入った。あとで合流する』

「まったく困ったやつめ」

やれやれと言った仕草をしてから、携帯電話をしまい雪穂は駆け出そうとする。が、何者かに肩を叩かれたので、足を止めてそのまま振り返った。


「…おっと、君が来たのかい」

そこにいたのは、昨日の夜に遭遇した悪魔憑き…いや、人格が完全に悪魔に乗っ取られた男だ。

あの時は月明かりの下で良く見えなかったが、確かに同じ顔だ。

それよりもだ。全く男の接近に気づけなかったことの方が、雪穂にとってはショックだった。

何の気配もしなかった。何の音もしなかった。

なのにこうやって肩を叩かれたということは、相手はいつでもこちらに仕掛けることが出来るということだ。


「どうも悪魔祓いに僕の住んでいる場所が割れちゃったみたいでね。遂に出されちゃったんだよ、討伐命令」

「なるほど……つまり。今日のお相手はアンタってわけね」

武者震いなのか恐怖なのか区別がつかないが、足が震えて立つのすらやっとだ。

「どうした?足が震えているぞ悪魔祓い」

「これは武者震いなんですけど?」

最早無理やりにでも強がらないと、この男には対峙できないと雪穂は確信していた。そして、出来るだけその態度はハッタリであると気づかれてはいけない。もし気づかれてしまえば、相手に「こちらに自信がない」ということが割れてしまう。


「ああ、そう。まあ。君を殺してしまうのは僕も不本意でね。動けなくなるまで切り付けて、それから連れていくとしようか」

男がどこからか刃物を取り出す。刃渡りこそ短いものの、それが他人を殺傷するに足りるほどの危険さがあることは、最早少し考えなくてもわかることだ。

「…さて、いずれ君も僕の同胞になることだし、僕の名前だけでも教えておこうか。僕は"御堂"という。よろしくね」

「意味わかんないんだけど。別にあんたの名前にも興味ないし」

「つれないなぁ。一応これでも最大限譲歩はしてるんだぜ?本当なら今すぐにでも君を細切れにして連れていくことだって出来っ」


男の言葉は、そこで途切れた。

隙を見た雪穂が駆け出し、男に向けて不意打ちを仕掛けたのだ。

「ベラベラ喋ってる暇があったら、警戒くらいしろって、の!」

だが、それが男に向けて届くことはなかった。なんと、指一本で雪穂の放った儀式具を止めたのだ。

「……で?してるけど?君こそ油断してたんじゃないかな?」

「嘘でしょ……!」

「敵がチャンスだと思っているであろう時こそ、最大限の警戒をする。君は勝負の駆け引きってものを知らないのか、な!」


腹に向けて、凄まじい衝撃が来る。それが『蹴られた』と気づいた時には、雪穂は10mほど先まで吹き飛ばされていた。

「がはっ……!力、強すぎでしょ……!」

歯を食いしばり、なんとか立ち上がるが、先ほどの蹴りの衝撃があまりにも強かったのか、目の前がフラフラとし始めていた。

「(やっば、これはほんとにやっば……)」

上手く意識を保っていなければ、また倒れ込みそうなほどの激しい痛み。大きすぎる力の差を、雪穂は実感していた。


「君の心を折るために情報をもう一つ提供しようか。僕はこれまでに悪魔祓いを3人殺している。君のように蛮勇ながらも挑んでくる悪魔祓いをね」

男…御堂の顔が歪む。整っている顔が台無しになるような、歪んだ愉悦に満ちた顔。その表情は、まさに悪魔の笑みと呼ぶにふさわしい醜悪さだった。

「人間にはどうしても埋められないものがある。それは体格の差と経験の差だ。君、見たところ体格はその年齢の女性としては平均的なものだろう。そして、経験は……ほぼ無に等しい。それでは僕に勝つことは出来ない」

「………ハァッ………ッ………」

何か言い返そうと必死に言葉を紡ごうとするが、出てくるのは途切れ途切れの息だけだ。

「諦めなよ。僕だって人を傷付けるのは嫌いなんだ。君も傷付けられるのは嫌だろう?それでいいじゃないか」

「嘘、つけ……」


「嘘?どうして嘘だと思うのかな?君、悪魔が全員暴力的だと思い込んでるだろ。それは偏見だよ。僕のような完全な悪魔に出会ったことがないからそういうことが言えるんだ。本当に傷ついちゃうなぁ」

雪穂はもう既に御堂の話を聞いてなどいなかった。策を練る。どうにかしてあの男に近づき、一太刀でも浴びせる方法はないか。そのためには、まず御堂の話に耳を傾けるのはやめよう。

聞くだけ無駄だ。あれは虫の羽音か何かだ。だが、相手はもう既に油断している。なぜなら、相手は私を弱いと思っている。

せめて伊織と夜空がこっちに来てくれるまで時間を稼ごう。経験なら向こうの方が上だ。それに3人で協力すれば、隙くらいは出来るかもしれない。


「(……ここだ!)」

油断しきった男の腕に、儀式具による一太刀が浴びせられた。

「おいおい……」

「これだけ油断しきってたら、隙の一つや二つくらい生まれんでしょ!!」

「酷いじゃないか……さっきも言ったけど、僕は戦う意思なんてないんだよ?」

一見、ほとんど効いていないように見える。だが、儀式具はそもそも悪魔を祓うために特化したもの。それが効かないはずはない。

「その…ベラベラ喋るのを……やめろっ!!!」

一度隙が出来てしまえば、あとは相手は防御態勢に移行する。その状態になるということは、つまり相手はなかなか反撃が出来ないということになる。


今の雪穂に出来ることは、単独で御堂と名乗るこの男を倒すことではない。

伊織、夜空が合流するまでの時間稼ぎだ。実際、攻撃はほとんど防がれているが、それでも全く問題はなかった。

それよりも大事なのは、相手にペースを握らせないこと。この一つのみ。

何か相手が喚き散らしているように見えるが、雪穂にはそれすら全く届いていなかった。


「……雪穂!」

「雪穂さん!!」

聞きなれた声が雪穂の耳に届く。二人が合流してきたのだ。

「……よし!!」

あとはこの2人と上手く連携を取れば、勝てる……そう確信した途端、雪穂の身体が"宙に浮く"。


受け身すら取れないような自由落下。このまま地面にぶつかってしまえばどうなるのか、雪穂の脳内に想像は難くなかった。

「おいおい…雪穂お前……なんでそんなとんでもねえやつと戦ってるんだよ……」

固いアスファルトに落下していく直前目に映ったのは。


御堂とよく似た、羽虫のような姿をした怪物の姿だった。

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