プロローグ 3 魔障

ゆっくりと雪穂は目を覚ました。

目の前には見知らぬ天井、あたりを見回すと、そこは教会の礼拝堂のような場所だった。

「……っ、ここどこ!?」

勿論彼女はそんな場所など知るはずがなく、知らない場所に寝かされていることに気づく。慌てて飛び起き……ようとするが、全身の節々が痛くて上手く動けない。

先刻までに、何があったかを思い出そうとする。

記憶があいまいで、上手く思い出せない。風子といつものように談笑して、そこからは駅に向かって……その先だ。その先の記憶が曖昧になっているのだ。

どういうわけだか、記憶に靄がかかっているように思い出せなくなっているのである。

「それにしても……」

やけにきれいな場所だな、と思った。2階分はあるであろう高い天井に、その天井に貼られたステンドグラス。子供の頃にそういえば映画でこんな風景を見た気がするが、実物を見るのは初めてだ。


雪穂が痛む身体を引きずりながら部屋の中を見回していると、そこに一人の人間が入ってきた。

「……目を覚ましたのか」

昨日、悪魔とやらと戦っていた青年だ。雪穂が昨日見た時には気づかなかったが、その瞳は青色をしており、よく見てみればやや鋭さを感じさせる風貌をしていた。

手には小さなロールパンとコンソメスープの乗ったトレーを持っており、非現実的な見た目とはややミスマッチにも見えた。

「あっ、はい……そうですけど……」

雪穂は少し困惑しながら、青年に対して答える。

「では、これは食べられそうか?」

「いけそうですけど、でもいいの?こんなの食べちゃって」

流石に見ず知らずの人間に堂々と食事をいただこうと考えられるほど、雪穂も無神経ではなかった。実際は、そこまでしてもらえることに違和感を抱き、その違和感が疑念へと変わりつつあるのも、理由なのだが。


「構わない。僕たちの理念は基本的に奉仕だからな」

「奉仕…奉仕ってあの、えっと。ボランティア的な意味での奉仕?」

「ああ。ただそれでは生活が出来ないのでな、報酬は貰っている」

結局、どういう仕事なのかどうかすら、雪穂はまだ理解できていなかったのだが、どことなくここがどのような場所なのか理解できてきた。

「なんか大変そうだよね、昨日もあれだけヤバいのと戦ってたし」

「大変か。そうかもしれない。でも僕にはこれしか出来ることがない」

青年はどこか遠くを見つめるように、少しだけ顔を逸らした。


「これしかない、っていうのもな~~。あんたあたしより年上でしょ?それって寂しくない?」

与えられたパンを口に含みながら、雪穂は青年と話をし始める。どういうわけなのか、雪穂の中に彼のことを知りたい、そんな興味のような感情が、いつの間にか湧き始めていたのだった。

「それ以前に君の年齢を知らないんだが。いや、君は高校生か。制服を着ている以上」

「うん、そうですけど」

「僕は今年で23歳になる。君よりはおそらく6、7歳ほど年上になるだろう」

「へ、へぇ……」

「君は僕の年齢が知りたいんじゃなかったのか?」

「いや、名前より先に年齢聞くやつなんか普通いる?主題そこじゃないんだけど?寂しくないのかって話」


「寂しくない。か。他の道など考えたことはなかったな」

「……そっか」

「それで、僕の身の上話なんて聞いて君はどうするつもりだったんだ?」

「い、いや。ただの雑談ですけど!?というかいちいち調子狂うな!?」

油断すると、つい青年のペースに呑まれてしまいそうだ。何より、雪穂はだんだん彼の顔が真正面から直視できなくなってきたのだ。あの時の街灯しかなかった真っ暗な夜道とは違う。はっきりと灯りのついたおそらく朝の風景。

雪穂はどうしたらいいのかと、そもそもすぐにここを出ていいのかと。そういえば学校はどうすれば、家には連絡した方が?などと色んな考えが頭の中をぐるぐると回る。

全ては、青年から目を逸らすため……だったのだが、雪穂本人はこのことに、全く自覚がなかった。


雪穂がああでもない、こうでもないと思考を張り巡らせていると、再び部屋のドアが開け放たれる音がした。

「ミコト~~~、昨日のやつは目覚ましたのかよ?」

入ってきたのは右目の眼帯をつけた中学生くらいのスカートをはいた女の子だ。……いや、雪穂はその少女に少しだけ違和感を覚えた。その違和感の正体までは、自覚できなかった。

「今目を覚ましたところだ。食事は出来るくらいには回復しているみたいだから、あとは経過を観察するくらいでいいだろう」

「なるほどな。それにしても面倒なことになっちまったな~~。これでもし悪魔に取り憑かれてるなんて話になったら、俺たちはお前殺さなきゃいけないかもしれないんだぞ」


「待って、殺さなきゃいけないって何!?」

雪穂にとって、彼女のその一言は見過ごせないものだった。初対面の相手である少女に、雪穂は食ってかかる。

「待て待て、最悪のケースだよそれは。お前、今身体のどこかに傷みたいなのあるだろ?」

そう言われて、雪穂は昨日傷が出来た頬のあたりを触ってみる。傷はまだ治っておらず、触るとまだズキズキと痛むことに気づく。

「その傷は魔障って言ってな、自然には治らない。しかも厄介なことに、その傷をきっかけとしてお前の魂を喰らう悪魔が身体の中に入ってくることがある」

「えと…まだ理解出来てないんだけど、つまりその傷はどうやったら治るの?」

「魔障は浄化すりゃすぐ治る。でも、既に悪魔が憑いてるなら浄化じゃ治らない。下等な悪魔なら儀式具で倒せば終わりだがな……そうじゃないなら、もう察せるだろ?」


雪穂は少女の説明を聞き、ようやく状況を理解する。しかし、大抵は何とかなると聞いて、いったんは胸を撫でおろすこととなった。

「そういえば気になったんだけどさ」

「なんだよ」

「複雑な事情とかあるなら聞いちゃいけないことかもしれないんだけどさ、君もしかして男の子?」

「別に隠してないしそこまで気遣われる方が不愉快だっつの。…そうだよ」

女子にしてはややしっかりとした骨格だし、何より声が明らかに低い。違和感の正体はこれだった。

何故スカートをはいているのかまでは…わざわざ聞かないことにした。初対面だ、そこまで突っ込んだことを聞くべきじゃないだろう。


「俺は桐野伊織、こっちのさっきから黙ってるやつは雨宮尊。お前は?」

「八坂雪穂。…そういや、これまで名前聞かれなかった」

どういうわけか年齢まで聞いているというのに、この雨宮尊という青年は名前すら名乗らなかった。

名乗りたくない理由でもあったのかと思ったが、これまでの彼の言動を見るに、おそらく名乗るタイミングを逃していただけだ。…と雪穂は考えた。

「いい名前じゃねえか。お前もさ、俺たちの名前、最期に聞いた名前にならないように祈っとけよ」


雪穂は伊織の声が、最後に少しだけ震えているような気がした。

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