第10話 大狼襲来

 化け物。


 3メートルはあろうかという狼を見た僕は、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。

 サファイアのような蒼い瞳に、鈍く光る黒い毛。子供くらいなら一口で食べられそうな大きな口からは、鋭い牙が見え隠れしている。


『ウオオオオオオオオオオオオオオオ!』


 狼は僕達に向かって、咆哮した。鼓膜が破れるかと思うような音量、皮膚が痛いと思うほどのプレッシャーだった。

 なんでこんなのが村の中に!? 村の周りは柵があるはずなのにと思ったが、ここまで大きい狼だと、話は別だ。柵は一跳びで超えられたのだろう。


「な、なんだ?」


「うわ! なんだ、この化け物は!?」


 騒ぎに気付いた村人達が外に出てきた。

 皆、驚愕し、誰一人動こうとしなかった。いや、動けなかった。

 狼はそれを見て、フッと一つ息を吐くと


『この村を明け渡せ。さもなくば全員殺す』


 と唸るような低い声で言った。


 喋った……。

 

 これだけ大きな狼だ。普通の狼ではないのは分かっていた為、それほど驚きは無かった。

 誰も返事をしないのに対し、狼は苛立った表情で


『聞こえなかったか? この村を明け渡せ。さもなくば全員殺……』


「ち、ちょっと待ってくれ」


 オルマルさんが手をあげた。


『お前が村長か?』


「あぁ、村長のオルマルだ。少し話をさせて欲しい」


 オルマルさんは怯むことなく、狼の前に出て行った。狼の巨大な目が彼をギョロリととらえた。


「目的は食糧か? 残念ながら、この村の備蓄はほとんどない」


 食糧が目的だとオルマルさんが予想したのは、狼がやせ細っていたからだろう。

 体は大きいものの、うっすらとあばら骨が浮いており、毛艶も悪い。数日は何も食べていないのは明確だった。


『嘘を言うな! オレは見ていたんだ! 昨日も今日も、お前達はうまそうな飯をたらふく食べていた!』


「それは……」


 オルマルさんは咄嗟に口を抑えた。

 何故だ? 僕が食べ物を生み出していると言えばいいじゃないか。

 ふとそう思ったが、すぐに何故黙っているのか理解した。

 そうか。僕が食料を生み出せる事を知ったら、この狼に連れ去られる恐れがある。

 僕を庇おうとしているのだ。


「嘘だと思うなら見ればいい。食糧庫はあの屋敷だ」


『ふん。どうせ、別の場所に隠しているのだろう。いいから村を出ていけ。そうすれば命だけは助けてやる』


 狼は聞く耳を持たない。オルマルさんは唇を噛むと


「シノノメさん。アティナとメティスを連れて逃げてくれ」


 そう僕の耳元でささやくと、後ろ手でぐっぱぐっぱとハンドシグナルを送った。

 それを見た村人達が急いで家の中に戻っていく。恐らく村人だけに通じるサインなのだろう。

 ただ、表情からして、「逃げろ」というものではないのは僕でも分かった。

 彼らは戦うつもりなのだ。


「戦うのは駄目です。僕が食べ物を出すところを見せて、交渉します」


「駄目だ。アンタはこの村の希望なんだ。得体のしれない奴に渡すわけにはいかない」


 それにとオルマルさんは続けた。


「アンタはもうこの村の恩人なんだ。恩人を売るような真似をする奴は、出来んよ」


 オルマルさんは腰の短刀を抜くと、


「お前達! 戦闘準備だ! なんとしても村を守るぞ!」


 大声でそう叫んだ。


「弓だ! 弓持ってこい!」


「子供だけは外に逃がせ! 戦える者は全員武器を持て!」


 村人達の行動は早かった。老人は子供達を集めて避難。

 若い者達は男女関係なく、武器を構える。

 過去にもこんなことがあったのかもしれない。盗賊などが攻めてきた時は、こうやって戦い、村を守ってきたのだろう。

 しかし、今回の相手は人間ではない。化け物だ。


『そうか……。それが答えか』


 ギリッと歯ぎしりの音がしたかと思うと、狼の眼光が鋭くなる。そして、その巨体で村人達に突進をかました。


「ぐぁ!?」


 一瞬で、大勢の男達が宙に舞った。まるでダンプカーだ。


「このっ!」


 弓を持った村人が矢を放つも、狼には当たらない。流れるような動きですべて見切っていた。

 あの巨体でなんという身軽さだ。


 戦力が違い過ぎる。素人の僕でもそれは瞬時に理解できた。


「アティナ!」


 僕はアティナの手を引くと、家へと走り出した。


「シノノメさんだけで逃げてください! 私も戦います!」


「僕も逃げる気は無いよ! だけど、真正面から戦っちゃ駄目だ!」


 とはいえ、どうする?

 何か食べ物を作って、交渉を……いや、もう戦いは始まってしまった。話し合いが通じる状態ではない。


「2人とも、この騒ぎは何ですか!?」


 家に戻ると、騒ぎを聞きつけたメティスが地下室から出てきたところだった。


「メティス! 知識を貸してくれ」


 僕は簡潔に、メティスに現状を話した。メティスは少し考えこむと


「魔物のようですが……。ただ、喋る狼型の魔物なんて聞いたことがありません」


 メティスでも知らないのか。彼女なら、何か弱点でも知っているかと思ったのだが。


「…………」


 何か違和感がある。ふとそう感じた。

 あの狼の言動。

 メティスも知らない、人語を喋る狼型の魔物。 

 

「あの。こんな時に何なんですけど……」


 アティナが手をあげた。



「あの狼、空腹なのに、何故、人を食べようとしないんでしょう?」



「!」


 それだ! 違和感の正体は!

 狼の主食は肉のはず。なら、人間を喰えばいいじゃないか。

 なのになぜ食べようとしない。なぜ食糧庫にこだわる?

 人の肉がまずいから? いや、そんな事言っていられないはずだ。それだけ、奴はやせ細っていた。


 他の理由は一つしか考えられない。それは



 俺達を食べる事に抵抗があるのだ。



「ねぇ、魔物に化けるような魔法ってのはある?」


「はい。それならあります。かなりの高位の魔法使いでないと難しいですが」


「おそらくそれだ。僕の予想だと、あいつは狼じゃない。狼に化けた人間だ」


「なら、私に任せてください。ディスペル《魔法解除》を使えば、彼を人間に戻せるかもしれません」


 メティスが懐から杖を出し、ぐっと小さな手を握りしめた。


「だけど、姉さん。ディスペル《魔法解除》の詠唱はかなり時間がかかるんじゃ……。動き回る相手にそんな余裕は……」


「……少しの間だけ、奴の動きを封じればいいんだね?」


 取り寄せリュックを持ち出した僕に、2人は顔をあげた。


「僕に案がある。耳を貸して」

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