第48話 海陽が見せてくれるパン○

 成生が海陽みはるの消えた方向へ走っていると、こいぬの姿が見えた。


「元口くん。どうしたの?」

「十勝さん! 海陽さん見なかった?」

 成生は足を止め、息を整えながらこいぬに訊いた。


「海陽? 不機嫌そうだったから訊いたら『帰る!』って言ってたし、着がえに行ったんじゃない? 体操服のまま帰らないでしょ」

「そっか」

 そこは冷静なんだな。


「今なら、海陽の着替えを覗けるチャンスだよ」

 とんでもないゲス顔で、とんでもないことを言い出すこいぬ。

「そんなことしたら、海陽さんがもっと怒るよ! 二度と仲直り出来なくなる」

「なに? 元口くんが海陽を怒らせたの?」

「うん。まぁ……俺が原因だと思う。だから謝りたい」

「ふぅーん。仲直りしたいんだ」

 と、こいぬはニヤリ。


「だったら早く行かなきゃ。さ、行った行った」

 こいぬに思いっきりお尻を叩かれた。その勢いで数歩前に進んでしまう。

「分かった。行ってくるよ!」

「で、あとで海陽のパンツの色教えてね。絶対だよ。かわいいの履いてるから」

「だからのぞかないって!」

「大丈夫。元口くんになら見せてくれるから」

「そう? うーん……行ってくる」


 成生は校舎へ向かって走り出した。

 とは言ったものの、海陽の着替えを覗くつもりはない。

 でも、あんなこと言われたら……ちょっと気になってくるじゃあないか。




 そして校舎まで走ってきた成生。昇降口に海陽の姿が見えて、足を止めた。

 壁にもたれかかる海陽はまだ体操服姿で、明らかに不機嫌そうな顔をしている。


「なに? ナリオくん」

 顔は不機嫌だが、声は怒っていない。しかし、いつものような元気が無い。


「いや、海陽さんを追っかけてたら十勝さんが着がえに行ったって言うから……」

「のぞきに来たの? えっちぃ……。そんなことされたら、他の子に迷惑かかっちゃうし……」

「ちちち、違う。その……謝ろうと思って」

「なにを?」

「え?」


 そう訊かれて、成生は思った。

 そもそも、海陽が何に怒っているのかが分からないまま、ここまでやってきた。

 何に対して謝ればいいんだろう。


 ――そう言えば怒る前、海陽は問題を解決するために色々試行錯誤してみたり、案を提案してくれていた。

 それを成生は全力で行きたいだの、負けちゃうだの、全て否定していた。

 そりゃあ、どうすればいいって怒るよな。


 成生は深く頭を下げた。リリアがいつも頭を下げる時のように深く、深く。いや、それ以上深く下げたかもしれない。


「ごめん! 海陽さん。俺、海陽さんの意見を無下にしてた。せっかく、色々と提案してくれてたのに」

「…………『ムゲ』ってなに?」

「え? そっから?」

 成生は思わず頭を上げてしまった。


 無下

 台無しに、冷たく、ほったらかしに扱うこと。


「……そうなんだ」

「うん。で、さっき思った。俺も向上しなきゃダメだって。海陽さんがウチに来てテスト勉強してたみたいに、俺も走りを向上させないとダメだって。そうすれば、俺の理想も、海陽さんの理想も実現出来る。だから……」


 成生は再び頭を深く下げた。


「俺に走り方を教えて下さい!! 俺に上達する泳ぎ方を教えてくれた海陽さんなら、出来ると思う! なので、戻ってきて下さい! 俺には……海陽さんが必要です!!」


 海陽は黙ったままだった。

 頭を下げている成生には、海陽がどう反応しているのか、全く分からない。

 グラウンド側から聞こえてくる体育祭の練習をしている生徒たちの声だけが、耳に入ってくる。

 気にはなるけど、顔を上げていいものだろうか。

 そんなことを考えていると、


「いやぁ……戻ってきてって言うなら? 別にいいけど? わたしが必要なら?」

 なぜか海陽は口をもごもごさせた感じで言ってきた。


 チラッと顔を上げると、目線を斜め上にして心あらずな様子。

 なに? どんな感情? なんでそうなった?


 とにかく結果はどうであれ、海陽さんは戻ってきてくれる。そう言ってくれた。

「ありがとう、海陽さん!」

 成生は両手で海陽の右手をしっかり握り、お礼を言う。その手は、なんだか温かい感じがした。




 そしてリリアのところへ戻る途中。

「なんかね。ナリオくんって弟といるみたいな感じがするんだよね。わたし、家だと弟とケンカしたりすることもあるんだけど」

「弟……」

 それはいい意味と取っていいのか、悪い意味と取っていいのか。


「だから、なんだか面倒見たくなっちゃうんだよね」

 海陽には、それ以外の理由もあるのだが。


「でもさぁ、弟みたいな人に勉強教えられるって、どうなの?」

「うっさいなぁ!」

 腰をはたかれた。はたかれて痛いけど、いつもの海陽らしくて嬉しい。

 ヘンな趣味に目覚めたわけじゃない。


「いいんだよ! それは今、気にしなくても。それにしてもさぁ、ナリオくんって優しすぎるよね」

「なにが?」

「二人三脚系って、上の人が下に合わせるか、上の人がリードして下の人を引っ張るのが普通なんだよ。それなのに、この短期間で自分が下だから引き上げて少しでも追いつこうだなんてさぁ」

「思い返してみたけど、海陽さんは俺をリードして少しでも速く走ろうとしてる。リリアは逆。俺に合わせようとしてくれていた。だから左脚と右脚で感覚がバラバラだった。だから思ったんだ。速くなるには海陽さんのリードについていけるようにするのが一番いいんだって。そうすれば、外側のリリアも速くなれるかもってね」

「やっぱ優しいよ。そういうところがす――」


 海陽口は「す」の字のまま止まってしまった。

 この次の一文字。ここで出すタイミングじゃあ無い。危うく言いかけた。


「す?」

「すぅー…………すてきっ!」

「そう。嬉しいや」

 間に余分な一文字が入ったが、今はここで止めておく。

 体育祭のあとに「て」を抜いた言葉を言いたい。手を抜かず、最高の結果を出して!


「そのためにバシバシ指導するから、カクゴしておいてよね!」

「なんのため?」

「勝つためのっ!」

「分かった。全力を尽くすよ。やっぱり勝ちたいもんね」

「その心意気だよ!」


「あっ!」

 成生は短い声を上げた。思い出したことが有る。


「どうしたの?」

「十勝さんにあとで教えてって言われてたことがあるんだ。絶対って言ってたから、訊くのならいいかな、と思って。これじゃ見れないし」

「なにを?」

「海陽さんのパンツの色」

「ばかぁ!!」

「ぐふぉっ!!」

 成生の腹部に海陽の拳がめり込む。


 海陽はかわいいパンツじゃなくて、かわいくないパンチを見せてくれた。

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