第36話 ひょっこり

 貸切となったラボの地下に有るプールで、それぞれ分かれて水泳の練習が始まった。



 照日・こいぬ組。

 スレンダーな二人組だ。仲の良さそうな姉妹にも見える。


「一歩ずつステップアップして泳げるようにしてあげるから、がんばろうね」

「はい、こいお姉さん」

「ふふっ。元気ね」


 まず、こいぬは照日を潜らせて水に慣れさせる。

 次にプールに立って、手の動きや息継ぎの練習。

 そしてに壁に手をついてばた足の練習。

 最後に壁を蹴って進み、水に浮く感覚に慣れる練習。


 これらの練習プランは、ラジオのリスナー仲間に相談して決めたらしい。これは小さな子に水泳を教える時に取る手法だとか。

 それぞれの動きを練習したので、あとは仕上げだ。


「それじゃ、この三つを組み合わせて泳いでみようか」

「はぁーい」


 プールサイドからこいぬが見守る中、プールの壁を蹴って水中を進む照日。

 小さなボディが浮き上がると、手と足を動かして進み始める。時折、息継ぎを入れながら。

 決してきれいなフォームとは言えないが、確かに照日はクロールで泳いでいた。



「いてっ!」


 指をぶつけた照日が立ち上がると、そこはプールの反対側。泳ぐのに夢中になっていたら、いつの間にか25m泳ぎ切っていたのだ。


「ごめんごめん。プールの底のラインで残り距離が分かるって教えるの忘れてた」

「?」

 すぐそばにいたこいぬに言われて、照日は首をかしげる。

 照日が反対側をスタートした時、こいぬはプールから上がっていたはず。なのに、照日がゴールすると、すぐそばにいたのだ。


「こいお姉さん、ワープした?」

「あとから照日ちゃんに追い付いただけ」

「こいお姉さん、泳ぐの速いの?」

「泳ぎに関しては海陽みはるの方が速いかな?」

「だけど十分速いよね。るー、もっと速く泳ぎたい。こいお姉ちゃん、速く泳げる方法教えて!」

「いいよ。それじゃあ、もうちょっと練習しよっか」

「うん」

 照日は元気良く返事して、大きくうなずく。

 こいぬ先生の猛特訓が始まった。




 一方、リリア・ゆう組。

 マイペースな二人組である。二人の間には、ほんわかとした空気が漂っていた。


「えっとねぇ……」

 有は持ってきていた小さなバッグから、一冊の本を取り出した。

 タイトルは『あの人に注目されるかも!? 華麗に泳いでウハウハになれる100の方法! ~入門編~』と書いてあった。


「これねぇ、タイトルはアレなんだけどぉ、水泳の入門書としてはよく出来てるのよ」

「ウハウハ、とは?」

「うーん……ウハウハ?」

「なるほど。分かりました」

 本当に分かっているのだろうか。


「東尾ちゃんは記憶力が凄いでしょぉ? だから、本とかあった方が早いんじゃないかと思ってぇ。事前に知っているのと知っていないのでは、全然違うからぁ」

「その本を貸してください」

「はぁい」


 リリアは有から本を受け取ると、最初から最後までペラペラペラーっと素早くめくっていった。


 そして最後のページまで進んで本を閉じると、

「内容は記録しました」

 と告げた。


「速読? こんな早かったぁ?」

「この記録が有れば、なんでも泳げそうです」

「そう? それじゃあ、やってみよっかぁ」



 二人はプールに入る。

 リリアにとっては、初めてのプールである。開発担当のリノを信じているので、浸水や沈んでしまうという恐怖感は無い。温度が違うちょっと大きなお風呂だと思うと、いつものような気持ちになれた。


「どの泳ぎ方なら行けそう? 私も全部の泳ぎ方ができるわけじゃないんだけどぉ」

「そうですね……」

 リリアはメモリーに記憶された泳ぎ方を検索する。

 そして、一番よさそうな泳ぎ方を見付けた。


「行きます」

 壁を蹴って進み出したリリアは、両手を大きく前に回してバシャバシャと泳ぎ始めた。

「待ってぇ! 東尾ちゃぁん!」

 有は大声を出してリリアを制した。


「どうかしましたか?」

 泳ぐのをやめたリリアは、何事も無かったかのように振り返って有に尋ねる。


「今の……なに?」

「えっと……『バタフライ』と記録されています。元々は平泳ぎを速く泳ぐ為の泳法として開発されて――」

「バタフライは分かるんだけどぉ、それは初心者向けじゃないのよ」

「そうですか。一番かっこよさそうなので選びましたが、残念です」

「かといって平泳ぎも特殊な泳法だからぁ、私が一番得意な背泳ぎでやる?」

「それも華麗だと思いましたが、前が見えないので壁にぶつかりそうで……」

「東尾ちゃん、上を見てぇ」

「上?」


 プールの上には、横切るように黄色と青色の三角旗が張られていた。


「それね、残りが5mって印なの。反対側にもあるでしょ?」

 リリアがプールの反対側を見ると、確かに同じ様な三角旗が張ってある。


「これ、気分が上がる飾りでは無かったのですね」

「そうなのぉ。それじゃあ、練習始めよっか」

「はい。お願いします、有さん先生」

「はぁい」

 改めて、二人は背泳ぎの練習を始めた。




 最後に成生・海陽組。

 こちらはとりあえず泳げるので、もっと速く泳ぐ練習の組である。


 試しにと海陽に少し泳いでもらったが、きれいなフォームで確かに速い。いつもはちょっとアホっぽ――天真爛漫な海陽が、少しかっこよく見えた。


 そして成生が泳ぐと、

「今の、なんだかカッコ悪い……」

 と呆れ顔で言われた。フォームが悪いんだそうだ。それが遅い原因でもあるらしい。


「だけど、わたしに任せてっ! 今よりもカッコよくしてみせるから。あ、でも今よりカッコよくなったら、他の子も……」

「ん?」

「な、なんでもない!」

 最後の方が声の小さくて聞き取りづらかったが、本人がなんでもないと言うなら、気にしなくていいか。


「速く泳ぐには、手の動きがだいじなんだよ」

「どんな風に?」

「ヒュワッ! スイッ! ギュワ! って感じ」

「は?」

「ヒュワッ! スイッ! ギュワ! って感じだよ。分かんないかなぁ」

「いや、俺は長嶋さんじゃないから」


 海陽は身振り手振りで教えてくれるが、その擬音が気になって頭に入ってこない。さすがの長嶋茂雄でも、これは分からないかもしれない。


「しようがないなぁ。それじゃあ……」

 海陽は成生の腕をつかみ、動かして教え始めた。こっちの方が分かりやすい。


 が、

「手はこんな感じ……いや、こうかな? ふだん特に考えず泳いでるから、教えようとするとむずかしいね」

「そうだね……」

 成生がちょっと上の空になっているのは、海陽が教える時に肌が触れることが有るから。


 密着する肌と肌――。


 照日とお風呂に入る時に触れる時は有るが、今横にいるのは本物の生身の女の子だ。同じクラスの、かわいい女の子である。そう思うだけで、急に恥ずかしさが増してくる。

 海陽は教えるのに夢中で、多分気付いていないのだろう。

 手取り足取り教えてもらっても、全然頭に入ってこない。


「それで――ナリオくん、どうしたの? 身体がすごく固くなってるんだけど。動かしづらいよ」

「ごめん。さっきから海陽さんの身体が当たってて……その……緊張しちゃって」


 誤魔化しても、どうしようもない。成生は正直に話した。


「そんなことぉ? わたしは弟たちで慣れてるから大丈夫大丈夫」

 そう言って、海陽は指導を続けようとする。


「俺が慣れてないんだよ」

「触れないと教えれないんだから、がまんがまん。もっと速く泳ぎたいんでしょ?」

「んん……」


 海陽の手取り足取りの指導が続く。なんだかさっきより密着度が増したような気がする。気のせいかな?

 本物の女の子の身体って、こういうものなのか。柔肌って、こういうのを言うんだろうか。

 嬉しいけど……やっぱり恥ずかしいな。海陽は気にしていないようだが。



 気を紛らわせるためにふと、別のレーンはどうなってるんだろうと見てみた。

 照日がこいぬとクロールの練習をしている向こう側のレーン、水面にぽっかり浮かんだひょうたん島が、プールをスイスイ進んでいた。

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