自動販売機にて

 ある日の休み時間。


 涼香りょうかは、食堂に設置されている自動販売機に来ていた。


 涼香の目的はレモンの炭酸飲料。クエン酸の力を借りたかったのだ。


 握りしめた百三十円、それが今の涼香の全財産だった。


「あれ? 先輩じゃないですか」


 硬貨を入れようとした涼香は声のした方へ振り向く。


「あら、涼音すずねではないの」

「どうもー」


 涼香の隣にやってきた涼音は、自動販売機と涼香を交互に見る。


「先輩なに買うんですか?」

「これよ」

「えぇ……それ酸っぱいやつですよね?」

「疲れているとそこまで酸っぱく感じないわよ」

「そうなんですかね?」

「そうなのよ」


 そう言うと涼香は硬貨を投入口に入れていく。そしてやはり、案の定最後の十円玉が手から零れ落ちてしまう。音を立て、転がる十円玉が向かう先は当然、自動販売機の下だ。


 涼香には全てがスローモーションに見えた。転がる十円玉がゆっくりと、手の届かない深淵の闇に飲まれていく。


 ――間に合わない。そう思った時。


 転がる十円玉めがけ、天から光の矢が一閃。


 涼香が見上げると、そこには光の矢を背負う涼音の姿があった。


 まあ、よく見るとただの蛍光灯だし、十円玉は涼音が踏んで止めているだけだけど。


「やると思っていましたよ」


 やれやれとため息をつきながら、拾った十円玉を投入口に入れた涼音。


「助かったわ、ありがとう。お礼に私検定準一級をあげるわ」


 涼香は自動販売機のボタンを押す。音を立てて自動販売機がペットボトルを吐き出す。取り出したペットボトルを開けると、炭酸飲料特有の音が空気へ溶けていく。


「それっていいんですか?」


 紅茶を買った涼音が投げやりに答えた。


「ええ、涼音だけよ」


 どこか誇らしげに言った涼香は、ペットボトルに口をつけて一口、レモンの酸っぱさが身体に沁みていく。


 そして涼音にペットボトルを差し出す。


「飲んでみる?」


 酸っぱさを思い出したのか、涼音は一瞬顔を歪ませる。


「まあ、一口だけなら」


 お礼として受け取っておこうかな、と受け取ったペットボトルに口をつけて一口。


「……ちゅっぱい」


 ペットボトルを返した涼音は、その酸っぱさを誤魔化すように紅茶を口に含む。

 

 レモンティーにはならなかった。

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