第32話

「イオちゃん! この子に乗れる気がしないんだけど!?」


 柏原厩舎に戻ってきた麗華はいら立ちを隠しきれない様子でそう言った。

 

「いやー、ひっさしぶりに落馬してるジョッキーを見たよ。最近の落馬なんて初心者プレイヤーくらいでしょ?」


 イオは笑いを何とかこらえながらそう返した。笑いを隠そうとしてもそのニヤニヤした顔じゃ台無しだぞ。


「どうする? 今日はこの辺でやめとくか?」


「明日グレイスの3歳戦が7時からだからね。さすがにそろそろ寝ておかないと睡眠時間が足りないよ」


「了解……みんな明日の予定は特になし?」


 俺がそう言うと、3人はお互いの顔を見合わせた。


「え? みんな何もないの?」


 麗華はバイト先が定休日なのでDHOをやり込むことは知っていたが、愛子とイオも予定がないとは思わなかった。


「ウチも明日は1日オフだよー。そういう純ちゃんは何も無いの?」


「明日は店が定休日だから俺も1日何も予定は無いぞ」


「じゃあみんなでお昼ご飯でも食べに行こうよ!」


 イオは俺たちの予定が空いていることを確認すると、まるで子供のようにはしゃぎ始めた。

 まあ、この前も愛子と行ったし特段断る理由もない。


「1日ゲームしっぱなしってのも気が滅入るかもしれないからな。その辺りは明日詳しく決めようぜ」


 そうして俺たちはDHOをログアウトすることにした。

 導入した繁殖牝馬の種付けを行おうとしたが、一応選んでもらった二人の意見も交えつつ種牡馬を選びたいということで先送りすることにした。





  ◇◇◇




 翌日6時半。寝室には設定してあった携帯電話のアラームがガンガン鳴り響いていた。

 俺は目を瞑ったままアラームを止めた。


 さすがにあの時間までゲームしてたからか、体がなかなか言う事を聞かない。俺は両手でパン、と顔を軽くたたき、布団の誘惑から逃れることに成功した。


 ストックしてあった菓子パンを頬張りながら電気ケトルでお湯を沸かし、目覚めの一杯としてコーヒーをゆっくりと飲み干す。


「さて、行くか」

 

 俺の朝などこんなもんである。どこぞの誰かがやっているようなモーニングルーティンなどあったもんじゃない。


 そうして俺はゴーグル型のVRゲーム機『ゼブライト』を装着してベッドに横たわった。


「アクセス・オン……」


 仮想空間へと俺の意識が引きずり込まれ、無事にDHOにログインすることができた。

 時刻は6時45分。15分前だと言うのにすでに他の3人はログインを済ませていることを確認した。


「やべ、もしかして遅刻……?」


 俺は急いで柏原厩舎へと向かうことにした。

 柏原厩舎に到着後、慌てて引き戸を開けると、2人の視線が一気に俺に集まった。


「もう雅くんったら、遅いよー?」


「悪い悪い。イオはもう競馬場か?」


「うん。早くしないとレースが始まっちゃうから行こうか」


 愛子に急かされる形で、俺はラグーズ競馬場へと移動した。


 初めて訪れるラグーズ競馬場は、一言で表すと水の都と言ったところだろうか。

 エントランスの前には大きな川が流れており、時折NPCが小さな船に乗って通り過ぎていくのが見える。


 競馬場の至る所に大小さまざまな噴水が設けられており、かなり涼しさを感じる施設となっていた。


 朝も早いからか、ゴール前の座席は簡単に確保できた。

 俺たちは大きな水槽が設置してあるロビーを抜け、観客スタンドに向かうことにした。


「GⅡにしては人がずいぶん少ないな」


「さすがに月曜の朝からDHOをやってる人は少ないみたいだね」


 観客スタンドは人で溢れかえることも無く、スムーズに移動できた。下手をすれば、夜の新馬戦よりもプレイヤーの数が少ないかもしれない。


 俺は座席に着くなり、パドックの映像で出走馬を確認した。


「グレイスは1番人気か。まあ2歳短距離路線のお王者だから当然か」


「4戦4勝だからね。3歳戦でも連勝記録を伸ばしてくれたら良いんだけど」


 その後、しばらくしてから出走を合図するファンファーレが鳴り響いた。

 スタート入りはバックストレートなので、肉眼で確認することはできなかった。


「昨日のミーティアのレースに比べたら、安心して観戦できるな」


「うぅ……なんだか耳が痛い話だよ……」


 麗華は昨日のレースを思い出したらしく、その表情に陰りの見える表情を浮かべた。

 別に麗華を責める気など一切なかったので、俺は慌ててフォローしようとした。


「別に悪い事じゃないぞ? 新馬戦の追い込みも迫力があったし、観ていて飽きないレースだろう?


「ミーティアに乗る私は気が気じゃないんだけど!?」


「もう、イオも言ってたでしょう? ミーティアに乗ることが良い練習になるって。うじうじしてたらイオちゃんにお手馬取られちゃうよ?」


 どうにも乗り気じゃない麗華に対して、愛子は意地悪くそう言った。

 さすがに騎乗機会が減るのは嫌だったのか、麗華はそれ以上弱音を吐かなかった。







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