第16話

「カンパーイ!」


 俺たちはオレンジジュースを手に取り、エンジェルの勝利を祝った。

 俺たちの他には客はおらず、店は店主一人で切り盛りしているという小さな喫茶店はほぼ貸し切りのような状態だった。


「改めて、勝ててよかったよね」


「ああ、あれこそDHOの醍醐味だな。心が震えるのをヒシヒシと感じたよ。感動したなぁ」


 俺はエンジェルがゴール板を先頭で通過した瞬間を思い出しながらそう言った。

 やはり、最初の生産馬ということもあって思い入れの強いレースになった。


「愛子は最初にGⅠを勝ったときのことを覚えているか?」


「え、私……? まあ、そうだね。良い思い出かな……?」


 俺は黙ってオレンジジュースを飲み続けている愛子に話を振ったが、まさか話を振られると思っていなかったのか、かなり困ったような表情を浮かべながらそう答えた。


「いい加減愛子も慣れなよ……」


「気になったんだが、今まで人と触れ合う機会なんてたくさんあっただろ? どうしてそこまで人と話すのが苦手なんだ?」


 学生生活など、嫌と言ってもたくさんの学生の中に放り込まれるし。


「人が苦手っていうか……あの、男の人が苦手で……」


「あ、そういえば言ってなかったよね。私と愛子は同じ高校だったんだけど、女子高だったのよ。男の先生も少なかったから、尚更男の人と話す機会がなかったって訳」


「なるほどなあ……まあ、俺のことを練習相手だと思って気楽に接してくれ。その性格じゃ将来的にも困るだろうしな」


「あ、ありがとう……ごめんね、気を遣わせちゃって」


 そう言うと愛子はシュンと風船が萎むように落ち込んでしまった。

 まあ、その内慣れてもらうことを期待しておくかな。


 そんなことを話していると、頼んでいた昼食を店主が運んできた。


「お待たせ致しました。ランチセットでございます」

 

「うわぁ……美味しそう……」


 俺たちが頼んだのはホットサンドとサラダにスープ、そして食後にコーヒーがついて1200円というランチタイム限定のセットメニューだった。


 ホットサンドからはチーズがあふれ出し、とてもいい匂いが漂っていた。


「「いただきまーす」」


 そうして俺たちは昼食を楽しんだ。ホットサンドも意外とボリューム満点で、非常に大満足の昼食になった。


 食後のコーヒーを飲んでいた時、俺はふと気になったところを愛子に尋ねることにした。


「そういえば、ここが愛子の行きつけって言ってたけど、どういう経緯で知ったんだ? 知る人ぞ知る名店、って感じがするんだが」


「えっと、昔からお父さんに連れてきてもらってて。それで、高校を卒業してからは一人で……」


「へえ、そうなのか。こんないい店を紹介してくれてありがたいよ。またランチを食べに来たいな」


 俺がそう言うと、愛子はこくりと小さく頷いた。まるで借りてきた猫のように大人しい。


「それじゃあそろそろ帰るか」


「だね。またDHO内で待ち合わせしよっか」


 そうして俺たちは喫茶レモンを後にして、各々の自宅へ戻ることになった。




  ◇◇◇




「おーい、愛子ー? いるかー?」


 俺はDHOにログインしてすぐに柏原厩舎へとやってきていた。ミヤビグレイスの出走レースを確認するためだった。


「あ、雅くん。お疲れ様ー」


「おう。……てか、あっちでもそれくらいのテンションで接してくれても良いんだぞ?」


「ハハハ……あっちだとどうしてもああなっちゃうんだよね。まあ、慣れるように努力はするよ?」


「まあ、ゆっくり頑張ってくれ……ところで、グレイスの出走レースを確認したかったんだけど……」


「ああ、それならおすすめの短距離路線があるんだ」


 そう言うと愛子はミヤビグレイスのボードを操作し、2歳の内の出走予定レースのメモを見せてくれた。



7月 新馬戦

8月 GIII サードニックスカップ

9〜10月 放牧

11月 GⅡプリモアンサ杯

12月 GⅠシンビジウム賞



「2歳のうちに4戦も戦うのか?」


「ミヤビエンジェルは長距離レースが少なかったからね。2歳の短距離路線はレースが豊富なんだ」


「そういうものなのか……最終目標は12月のGⅠか」


 お姉ちゃんを見習ってグレイスにもGⅠを勝って欲しいものだ。


「まずは2時半の新馬戦だね……っと、麗華も来たみたいだね」


「ごめん、お待たせー!」


 遅れてログインしてきた麗華は厩舎の端から手を振りつつ小走りで近づいていた。


「遅いぞ。ところで麗華、お前今日もバイトが入ってるだろ?」


「え、そうだけど……あ、ミヤビグレイスのレースの話?」


「その通り。2時半の新馬戦は麗華も乗れると思うけど、サードニックスカップの出走時刻が4時15分なんだよね……麗華、バイトの準備もあるだろうからそれは厳しいでしょ?」


 愛子がサードニックスカップについて説明すると、麗華は悲しそうな表情を浮かべて膝をついてしまった。


「うぅ……せっかく強い馬に乗せてもらえるチャンスだったのに……」


「バイトがあるのは仕方ないだろ? でも、それじゃ他のジョッキーに乗ってもらうことになるのか?」


 一応元々の話だと麗華が乗る馬を俺が生産する、ということでDHOに誘ってきたのだ。他のジョッキーに自分の担当の馬を乗せるのは悔しいのかもな。


「一応私のフレンドにもジョッキーがいるからその人に頼んでみるよ。ミヤビエンジェルのレースもその人に頼んじゃっていい?」


「さすが一流調教師だな……」


 愛子はそのジョッキーにメッセージを送っていた。すぐに返信があり、今日の夜のレースは乗ってもらえることになったらしい。


「麗華、ミヤビグレイスの新馬戦には乗ってもらうし落ち込んでいる暇は無いんだよ?」


「分かってるけどさ……。もうこうなったら明日のオフはDHO三昧だよ!」


「まったく……雅君、そろそろ競馬場に向かおうか。ミヤビグレイスの新馬戦は……ニハラチェーダ競馬場だよ」






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