ドキュメントに眠っていた誰かの話

◇PCドキュメント内の下書きに保存されていた文書◇



「初めは間違えたのかと思った、」

「左耳はもらっていきます、」

そんな言葉で始まって、締めくくられたオレンジ色のインクの文章は読みやすいとは言い難かった。


そういえば、首を括ったのは赤色の縄跳びだったか、青色の縄跳びだったか。

そんなことを思いだしたが、現物が残っていないせいで何色かわからずに、誰かの残した手帳を眺めていた。

その縄跳びは二百円程度の伸縮性の高い、安いよくある縄跳びで、引っかかると結構痛いのを覚えていた。

それを階段の手すりの柱か、欄間に縛り付けて暫し眺めてひと月程度、とうとうそれに首をかけてつかの間の窒息感を覚えた所で、意識がすり替わっていると記憶している。


私たちが産まれたと認識したのは22歳の去年の冬で、月食だったか何かだとは覚えているが、月が赤いことばかり印象に残っていて、正確に何日かわからなかった。

唯、自分以外の他所に対する嫌悪感が強く、そばに寄った母親が気持ち悪くて、何も話したくないと考えていた。

暫く遠くへ行きたい。

本当にそれだけの理由で決めた短期バイトは、その実収入が 心許なかった現状を説明して家族に納得してもらった。

誰も『自分』を知らない場所に行きたかったのだ。


22歳で生まれたと認識した、というのは、自分たちという意識がそこに立ったと感じたことを指している。

自分達の物の整頓をしていると、幾つも出てくる日記やスケジュール帳のどれを読んでも同じような表現が書かれていた。

曰く、自分達は空想上の存在で、人工的な人格であり、そして『自分』という名の名残であるというのだ。

様々な手記を辿っても分かり難くいと、データに残る独り言のような掲示板の書き込みやメールの下書きにある文章を読めば、成程と。


第一に、医学的には【解離障害】と言われるもので、その中で近いのは≪解離性同一障害≫。

いわゆる多重人格というものであるらしい。

ただ、明確にそれと診断されるには、断片的な記憶障害が必要であり、それがないならば公に認められることはない。

そして第二に、一番最初に生まれた人格とは、人工精霊。いわゆるタルパと呼ばれるものであり、当の人格とそれを作り上げた本人は、互いにその人格をイマジナリーフレンドと表現していた。

それと同じ手法で増え続けた人格によって、出来上がった曖昧かつ人工的な多重人格が自分たちであったと、残る手記らには書かれていたのだ。



自分たちの肉体の性別と絶対的に必要な記憶は確かに覚えていたけれども、自分たちには明確な名前と境目や認識がなかった。

唯自分たちは二人で、正反対な趣味や性格をしている事は理解していた。

まるで物語の登場人物のように、今まで描かれていない設定を語り出すように当たり前にその情報は残っていたのだ。

自分たちの以前の人格と呼ばれる彼らは、何人も存在していたと同時に自分たちが産まれたときにはきれいさっぱり消え去っていた。

どれだけ探しても名残を確認しても頭に語り掛けたとしても、誰もうんともすんとも言わず、自分たちっきりの意識だけ。


それは恐らくは見知らぬ街に放り出された幼い迷子のような気分だったのだろう。

運がよかったのは、誰かの使用した形跡のあるナビゲーションを手にして、一人きりではなかったことだ。

記憶というナビと、自分と別の自分の存在はきっと心強かった。




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