第17話 素敵なステーキ


 朝食はホライゾンの食堂で一番高いステーキ。4人がけのテーブルに二人で向かい合うように腰掛けて注文を待つ俺とホリィの前にようやく注文の品が届く。


 運んできたのはダンクさん。アンヌの父親だ。厳しい髭面でいつも不機嫌そうな顔をしているが、見た目に反して良い人だ。まぁ旅館経営してるからな。悪人であるはずがないだろう。


 テーブルに皿が2つ置かれる。ジュワァァァ……と湯気が立ち昇るステーキは否が応にも食欲を誘う美味そうな見た目をしている。スペリオールホライゾンステーキ。俺の一押しの品だ。ちらりとホリィの方を見ると子供みたいに目を輝かせていた。そういえばシスターって基本精進料理しか食べちゃいけないんだっけ。精進料理に慣れた胃にこの暴力的な旨さはさぞ響くことだろう。


 ダンクさんがニコリとホリィに笑いかける。初めての客だからか、俺に対する態度と全然違う。そういえば俺も初めて来店したときはダンクさんがこんな風に笑いかけてくれたっけ。多分、馴染みの客には段々と素で接するようになるのだろう。いつものぶっきらぼうな態度もそれを思えば信頼の証か。なんだか、照れるぜ。


「待たせたな。当店自慢のスペリオールホライゾンステーキだ。よく味わって食いな嬢ちゃん」


「わわ、凄くおっきくて、熱い。白いソースが肉の上にかかってて、いい匂い……」


「サンキューダンクさん。いつもながらいい腕前だな。惚れ惚れするよ」


「あ? マルス、てめぇには話しかけてねぇよ。この天然たらし野郎が。次勝手に反応したら店追い出すぞ」


「ダンクさんはシャイな男でな。俺が褒めるといつも照れ隠しに悪態をつくんだ。全く、可愛いやつだよ」


「やめろ。お前に可愛いとか言われると鳥肌が立つ。マジでやめろ気色悪いんだよ」


「ほらな。シャイだろ」


「……あはは、そうですね」


 ホリィは苦い顔をして笑っていた。まぁ表面的な態度だけ見ればただただ俺を嫌悪してるように見えるが、そうじゃないんだなぁ……。


「ダンクさん。飯食うからもう行っていいぞ。自分の仕事に専念しな」


「っ! 言われなくても貴様の顔なんぞこれ以上見たくないわ! ふんっ!」


 ダンクさんは厨房に戻っていた。店員側から会話を打ち切るのは少し気まずいだろうから、こちらから気を使った形だ。ダンクさんもその意を汲み取って憎まれ口を叩きながらも厨房に戻ってくれた。根はいい人なんだよなぁ。


「えっと、マルス。やっぱこれ普通に嫌われてるだけなんじゃ……」


「浅いよ。ホリィ」


「……そうですか」


「大事なのは相手の心の機微を敏感に察することだ。ダンクさんはこの場を去って厨房に戻りたそうだったから俺から導線を引いてやったんだよ。ダンクさんも内心ありがたいと思ってるよ」


「な、なるほど。長い付き合いならではの水面下のやり取りがあったのですか。確かに私が浅かったみたいです」


「単なる身内読みだけどな。さて、そんなことより、冷める前にスペリオールホライゾンステーキを食べてしまおう。一度、ホリィとこの店でこのステーキを食べたいとずっと思ってたんだよ」夢が叶った


「……そんな風に、思ってもらえてたんだ。ふふ、じゃあ食べましょうか」


 ホリィはナイフとフォークでステーキを切り分けて上品な所作で口に運んだ。


「! お、美味しい……。中央区の三ツ星レストランにも全然負けてません。むしろ勝ってる」


「そうなんだよ。貧乏人ばかりが住む西区の外れにある場末の店の超高額メニューだから食べたことのある人の絶対量が少なくて話題にすらあがらないが、知る人ぞ知る名料理だよ。普通のメニューも値段の割に味が良いし、西区で外食するなら圧倒的にホライゾンがお勧めだ」


「でも、これだけの腕があるのにもっとビッグになれるのに、言い方が悪いですがどうしてこんな辺鄙なところで店を構えているんですか」


「……ホリィ。西区では人の過去を詮索するのは暗黙の了解でタブーになっている。西区には脛に傷を持つ人間が多い。人に聞かれたくない、話せない過去を多くの人間が抱えているんだ。ちゃんと先に話しておくべきだったな。悪い」


「あ……危うく、失礼な質問をしてしまうところでした。忠告してくれてありがとうございます」


 礼を言って、再びホリィは食事を再開する。俺もそろそろ食べようかなと思ったその時、俺の隣に誰かが座る。誰だろうと思ってみると、アンヌだった。


「どうしたんだアンヌ。お前も朝食か?」


「え、えっとね。先払いで一年分の宿の利用費を払って、いつも超高額メニューを頼んでくれるお兄ちゃんのために、少しだけ、特別サービスをしてあげるね」


「アンヌの特別サービスか。楽しみだな。肩でも揉んでくれるのか?」


「ううん。じゃあフォークとナイフを借りるね」


「あぁ」


 俺のステーキをフォークとナイフを用いて流麗な所作で切り分けるアンヌ。流石宿屋の娘なだけはある動きだ。そして切り分けたステーキをフォークで刺して、俺の口元へと運ぶ。


「はい、あ、あーん」


 なるほど、これが特別サービスか。ままごとじみているがアンヌの年齢を考えればおかしな発想ではないか。正直食い辛いだけなのだが、アンヌの心遣いがそれ以上に嬉しい。俺はアンヌに促されるままステーキにかぶり付く。


 むにゅん。


 あ。


「ど、どうですか。美味しいですか?」


「え? あ、ああ。美味しいよ」


 アンヌの童顔に似合わぬ巨大なおっぱいが俺の腕を包み込んでいる。わざとではないのだろう。アンヌのおっぱいは本当に異常な程大きいから、密着してあーんすればそりゃ当たるだろう。よくない。これは非常によくない。アンヌにとって非常によくない行為だ。だから俺は、なるべくアンヌが傷つけないように、胸が当たってる旨とアンヌの無防備を注意する。


「アンヌ。胸が当たってる。無自覚でも男にそんなことをしちゃいけない。アンヌは物凄く可愛いから、またあの時みたいに男に襲われてしまうかもしれない。いつもいつも俺が運よく通りがかれる訳じゃないからさ、アンヌには自分で自分を守る努力をもっとして欲しいんだ。まずだ、絶対に他の男にこんなサービスをするなよ。約束しろ。無自覚だろうと、相手には関係ない。あまりにも無防備過ぎるぞ。余程信頼できる相手じゃない限り身体的接触は絶対避けろ。いいな?」


 少しきつい言い方になったかもしれない。だが、アンヌのためだ。これはなぁなぁで済ませる訳にはいかない問題だ。厳しくても注意しなければ。


「……ぐすっ。私、お兄ちゃん以外にこんなこと、絶対しないもん」


「え」


 なんか、つい先日も同じようなことを言われたような……。


「お兄ちゃん以外の男の人なんてもう絶対に信用しないもん。身体的接触を避けろなんて言われなくても、あれ以来指先一本だってお兄ちゃん以外の男の人に触れてないもん。お兄ちゃんだから、触るんだもん」


「それは、どういう……」


「鈍感……」


「!?」


 ホリィ、なぜため息をつきながら呆れた目で俺を見ているんだ。そして何故さっきからしきりに厨房の方を見てるんだ。そっちには俺と同じくアンヌを心配して血の涙を流すダンクさんしかいないぞ。


「安心して。私、お兄ちゃん以外には、毛穴一つさえ許すつもりないから。お兄ちゃんから渡された光るナイフもずっと肌身離さず持ってるから」


「……少し子供扱いし過ぎたかもしれないな。ごめんな、アンヌ。俺が気を使いすぎたよ」


「ううん。いいの。お兄ちゃんになら、何言われても、何されても、許すよ」


「そうか……なら、正直他人にあーんされるのは食いづらいから、普通に自分で食べさせてもらってもいいかな? それと密着されると腕が動かしづらいから少し離れてくれ」


「が、がーん……。お、お兄ちゃんの鈍感っ! ばかっ!」


「えっ」


 なんでも許すっていったじゃん。


「受付戻る……お母さんと変わらなきゃだし……」


 傷ついたっぽい雰囲気でとぼとぼと受付へと戻るアンヌ。なんでも許すっていったのに、何故怒る。女心は不思議だなぁ。


「この天然たらし」


 そしてホリィ、なぜダンクさんと同じことを言うんだ。俺は天然でもたらしでもないよ。ホリィが一番よく知ってるはずだろ。


「そういえばあなたは昔っから、本当によくモテました。最初の頃は焼きもちばっか焼いてたものです。もう、慣れましたけど」


「俺は格好いいから他人からの人当たりがいいだけさ。モテてる訳じゃない。花を見て綺麗だと騒ぐ人が大勢いただけさ」


「あー……確かにその傾向もありましたね」


「そうだ。本当に俺を好きな奴なんて大していないだろうよ。俺は、孤児だったし、生まれも育ちも粗野だから、人に好かれるような人間じゃないんだよ」


「私はマルスのことが好きですよ」


「ありがたいと思ってるよ。本当に」


 ホリィに笑いかけながら、俺は今度は自分の手でステーキを口に運ぶ。今日のステーキは一段と美味く感じた。



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