第12話 調律者リュート


 3年前、俺は聖剣を手に入れた。

 聖剣を手に入れた俺は、剣の記憶を聖剣に発動した。

 聖剣に蓄積された膨大な記憶を読み取った俺は世界の真実に気づいてしまった。

 聖剣は神が作り出したものだった。神はこの世界を神が遊ぶための遊戯盤として作った。聖剣も、聖杖も、魔王も、ただの盤上の駒。人と魔族の聖魔戦争をよりドラスティックにするための舞台装置。全ては茶番だった。


 俺は世界の真実を知って憤り、この真実を人と魔族の両方に伝えて無意義な戦争を永遠に終わらせることを決意した。


 そんな俺の前に調律者リュートは現れた。




 あのときと同じ憎たらしいまでの美貌。ただし感情を感じさせないひたすら怜悧な表情をしているので、感嘆よりも先に恐怖を感じる。事実、人が抱くような感情など持ち合わせてはいないのだろう。なにせ、神なのだから。


 リュートが口を開く。発せられる声は意外にも抑揚があり感情の発露かと錯覚させる響きをしている。だがしかし俺は知っている。これは人に感情があると錯覚させるための演技であり、リュートの本心はゴーレムのように無機質で、ただ一つの命令を遂行するための機構でしかないのだと。

 即ち、リュートが主と呼ぶ上位存在の気にいるようにこの世界を調律すること。

 それだけがリュートの行動原理で、ゆえにそのためならこいつは何でもする。平気で人の心を踏みにじる。俺は身を、いや心を以ってそのことを知っている。俺が、踏みにじられたその張本人なのだから。



「やぁマルス。久しぶりだね。また君に合うことになるとは思わなかったよ」


「調律者、リュート……」


「あ、あああ……」


 ホリィは俺に抱きついたままずっと怯えている。俺の記憶を読んだのだ。こいつの恐ろしさが分かるのだろう。分かって、しまうのだろう。


 

「やれやれ。こんな短期間で二人もイレギュラーが出るなんて、やはりランダム生成システムは一長一短だな。このような不完全なシステムを好むとは、やはり我が主は少々変わっておられる。そこがまた魅力的なのだがな」


「……久しぶりだなリュート。今度は、どんなお仕置きをするんだ。言っとくが俺にもう反抗の意思はない。もうお仕置きは無意味だ。だからやめてくれ。お願いだ。本当にやめてくれ」


「それを決めるのは君ではない。私だ。どうやら私が見たところ。3年の空白の間に随分調子に乗ってしまったようだな。あれだけ痛めつけて心を折ったのに、もう反抗心の芽が出ている。だからこのようなうっかりミスを犯すんだ。また、手折らなければな」


「や、やめ――」


この世全ての苦痛ワールドイズペイン


「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「マルスッ!! いやぁっ!!!」


 この世に存在する苦痛の全てを幻痛としてほんの一瞬だけ個人に体感させる技。それがワールドイズペインだと前に喰らったときリュートが説明していた。薄れゆく意識の中で俺はそんなことをぼんやりと思い出していた。


「あ、あ、マルス……」


「が……は……」


「常人なら確実にショック死か精神崩壊するワールドイズペインを受けて死にもせず正気を保っていられるなんて流石超特殊個体なだけはある。まだ余裕があるようだからもう10回程行っとこう」


「や、やめてください。私が悪いんです。だから、これ以上マルスを虐めるのは――」


「ワールドイズペイン」


「あがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「あ、ああ……」


 ワールドイズ――。


 俺は朦朧とする意識の中、皮から内蔵まで、心から魂まで、余すところなく叩き込まれる濃縮された劇毒を神経にリッターで流し込まれるようなもはや痛みを超えた何かをただただ何度も連続で受け止め続けた。


「ワールドイズペイン」


 もはや何度目かも分からぬ詠唱。その度体に流し込まれる地獄の嶽火。俺は自分がなんで死んでないのか不思議で仕方なかった。死にたくて仕方がなかった。

 もう、なんでもいいから、ころしておわらせてほしいなぁ。


「13回か。以前は心を半殺しにするまで108回もかかったというのに、弱くなったものだ。依然、人としては驚異的な精神力だがな。前回の調律が余程聞いたようだな。良い良い。私は素直な人間が好きだぞ。君ももっと素直になりなさい。だから苦しむのですよ」


「お、おが……ごろ、じ……」


 精神が壊れかけている。でも壊れていない。この悪辣な神は、壊れる寸前の状態にいつも調律してくるのだ。ワールドイズペインの効果にも緩急をつけてくる。こちらが弱っているときには弱く、強がれるときには強く、生かさず殺さずのラインを決して逸れない。だから壊れられない。

 だから、苦しみから逃げられない。


「マルス、マルスぅ……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 俺の手を誰かが握る。ホリィだ。ここにはホリィしか俺の手を握るものはいない。いや、世界中どこを探してもホリィ以外いないだろう。それだけのことを俺はしでかした。

 何もかもが冷たい世界の中で、掌から伝わる温もりだけが、暖かかった……。


「さて、では次は君の番だ」


 リュートが、ホリィに指を向ける。


「ひっ! ゆ、許して……ください……お願いします……」


「? それを決めるのは私だぞ。何故無駄な言葉を吐く。度し難い愚か者だな君は。ワールド」


「やめろォ! プリミティブ……」


「イズペイン」


「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 反射的に、体が動いていた。俺は俺の放てる最大の必殺技プリミティブソードを放とうとしたが、神の口先一つでその試みは失敗した。俺は剣を手落とし再びその場に倒れ伏した。


「マルス!」


「驚いたぞ。まだそんな精神力が残っていたのか。しかし、ふむ。人は時に自分のためではなく他人のためにこそ力を発揮すると見聞したことはあるがこういうことか。これは少しアプローチを変えたほうが良さそうだ。ワールドイズペイン」


「あ――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――」


「あ、あああ――――ホリィ! リュート貴様ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「動くな。そこの女にまたワールドイズペインをぶち込むぞ」


「っ! や、やめてくれ。それだけは、それだけは……ッ!」


 俺は剣を捨て地に這いつくばって頭を下げる。どれだけ効果があるのか分からない。だが、こうするしかない。無力な人が神相手に願いを通すには神に慈悲を乞うしかない。こうするしかない。こうするしかないんだ……。


 だが、俺の媚売りは思った以上の効果を神にもたらした。


「おお……! 素晴らしい反応だ。お前の反抗心のゲージが初めて0になったぞ。なるほど、最初からこうすれば良かったのか。人を改心させるにはまず人質を取る。いい発見をした」


「お願いだ。なんだって言うことを聞く。だからホリィは見逃してください……ッ!」


「ふむ、少し待て。おいそこの女。手加減をしたから起きているはずだろう。いつまで寝ている。起きろ」


「あ゛、はあ゛、はぁ゛。は、はい゛い゛……」


「貴様がもしこの世界の秘密を他人にあかしたら貴様の代わりにこの男を調律する」


「そ、それだか、は、うぐ! は、はぁ、やめて、ください……」


「ホ、ホリィ……」


「ならば未来永劫この秘密を誰にも明かさぬと誓え」


「誓い、ばす……ッ!


「す、素晴らしい。こちらの女の反抗心もゼロになった。わ、私は世界の真理に触れたのかもしれん……!」


「リュ、リュート、様。なら、これ以上ホリィに酷いことはしないんですね」


「私はただ調律しにきただけだ。そして調律はなした。貴様の心配してるようなことはこれ以上しない」


「あ、ありがとうございます……!」


「ああ、それと貴様の剣の記憶と組み合わせることでバランスブレイカーとなった聖剣の力を一部封じたことに関するバランス調整で、聖杖アリアとの連携を強化するために貴様のアリアへの愛情値をマックスにした件と、秘密の隠蔽の強要に付するストレスへの対策としての正義執行時の快楽ドーパミンの放出量をマックスにした件なのだが、後者はそのままで、前者は撤廃することになった。理由は意図と正反対の結果となったからだ。後者は調整が上手く行っているのでそのままとする」


「は、はい。ありがとうございます」


 神に付与されたアリアへの異常な偏愛がなくなるのは有り難い。色々手遅れだけど。だが、今はそんなことよりホリィを安心させたかった。早くこの理不尽の強要から解放されてホリィを――愛しいこの人を休ませてあげたかった。


「あと魔王軍への関与だが、これまでは最低限の接触に留めるようにと命じていたが、君の弱体化が思ったより激しいので解除することにする。聖剣の力は封じたままだが、その魔剣アベルとやらを使って存分に戦うといい。今回の魔王軍幹部との接触は偶然の要素が大きかったのと命令の撤廃が既に決まっていたのでセーフとする。ふむ、今言うべきことはこんなところかな」


 魔王軍との戦闘の解放。これはありがたい。困った人をもっと一杯助けられる。魔物に襲われる人をべナルティに怯えず助けに行ける。


「あまり関与し過ぎては主さまが望むこの世界のバランスを崩すからな。私はそろそろ去るとしよう。マルス、そしてホリィ。君たちは互いが互いの人質になっている。そのことを、忘れるんじゃない」


 言われなくても、忘れようにも忘れられない。


 リュートの体が光に包まれる。そして、パッと光ってパッと消えた。

 あとには俺とホリィだけが残された。



「大丈夫かホリィ。……すまない。俺のせいで巻き込んでしまって」


「う、うぅ」


「や、やっぱり苦しかったよな。ワールドイズペインは。でも、生きててくれてよかったよ。この償いは必ずする。俺にできることなら何でも。結構貯金はあるんだ。人のいないところで一生暮らすくらいの、貯金は。それを渡すから、その、それで隠居をすれば――」


 衝撃。


 俺は地面に倒れる。ホリィに押し倒されて。ホリィは俺の頭を強く抱きしめ自分の胸に掻き抱く。胸が。胸があたっている。俺も正常な性欲を持つ男なのでそういうことをされると、その、やましい気持が湧き上がってくる。罪悪感も。


「ホ、ホリィ。どうしたんだいきな――」


「可哀想……マルス、可哀想……。こんなの、マルスが可哀想過ぎます……っ!」


「――。」


「ごめんねマルス。酷いこと一杯言ったよね。叩いたり杖で殴ったりもした。それに何より、あなたを信じきれなかった。ごめんねマルス。一杯傷ついたよね。ずっと苦しかったよね。一番つらいのはマルスだったのに、あなたを傷つけることばかりしてごめんね。私、あなたが私たちを裏切ったんだと思ってた。でも逆だった。裏切ったのは私の方だった。あなたはずっと一人で戦ってた。あなたの苦しみに気づいてあげられなくてごめんね。つらいとき、あなたの側にいてあげられなくてごめんなさい……っ! マルス……マルス……!」


「あ、あああ……」


 ずっと、気付いて欲しかった。

 ずっと、理解して欲しかった

 ずっと、慰めて欲しかった。

 ずっと、抱き締めて欲しかった。


 こんな風に。


 そう。こんな、風に……!


「う、ああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「マルス。つらかったですよね……」


「ああああああああああ! ホリィ、すまない。すまない。こんな、こんな情けない、姿を晒してっ……! 巻き込んだ君に甘えてっ! すまない、すまない。なのに俺、今、心地よくて仕方ないんだ……君に抱きしめられるのが心地よくて仕方ないんだ! うう、あああああああああ!」


「いいん、ですよ。こんなことでマルスの救いになれるのなら、いくらでも、いつまでも抱きしめます。何だってします。マルスのためなら何だって。それが、私の償いだから……」


「ああ、ホリィ、ホリィ……」


「マルス……よしよし、よしよし」


 頭を撫でられて、抱かれて、胸に顔を埋めて……どこまでも、どこまでも、ホリィの中に沈んでいくようだ。気持ちがよくて、気持ちがよくて、嫌なこと全部忘れて、何だか、眠たくなってきて……。


 …。


 。




「くぅ、くぅ……」


 愛らしい寝息で目を醒ます。


 俺の体に折り重なってホリィが眠っている。いつの間にか二人とも寝てしまっていたらしい。


 パチリ、とホリィの目が開く。俺の身じろぎに反応したのだろう。目をこしこしと擦って眠気を落とすホリィ。視界がクリアになったホリィと一連の仕草をずっと眺めていた俺の目が合う。ニコリ、と可憐な笑顔をホリィはその顔に咲かせた。


「おはようございます。マルス」


「おはよう、ホリィ」


 俺も、ホリィに優しく笑いかけた。


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