第3話 ロイヤルミルクBAR


「へいらっしゃ――マルスさん……」


「へへ、正義の味方がやってきたぜ。なんか奢れよ」


「い、いやーうちも商売なものでただでという訳には……」


 王城を中心に円形に広がる城下町。そこに俺の行きつけの店【ロイヤルミルクBAR】はある。

 カランカランと小気味いい鈴の音を鳴らして入店すればダンディなマスターのニヒルな笑みと渋い声がお出迎え。それに対して俺がナイスなジョークを飛ばすとマスターもノリよく返してくれる。常連だからこそできるやり取り。俺はこの店が大好きだった。


「冗談だよ。ロイヤルホストミルクティーと貴族の午後のステーキ特盛を頼む。あと食後のデザートに季節の果物全部盛り贅沢アイス。いつものようにデザートはステーキを食い終わってから持ってきてくれ」


「は、はい。かしこまりました。スタッフ一同腕を振るってマルスさまに料理を提供させて頂きます」


 厨房に入ってなにやら細かい指示を飛ばすダンディなマスター。少しの後、厨房から出てきたマスターが俺の机に「お待たせしました」とロイヤルホストミルクティーを置く。ミルクティーを啜る。芳醇な香りとまろやかな甘みが口の中一杯に広がる。喉越しもさわやか。まさに究極の一杯だ。俺はこのロイヤルホストミルクティーを飲むためにこの店に足繁く通っている。俺がそうするだけの価値がある。


 カランカラン。


 客の来店知らせる鈴がなり、3人の野卑な男が入店する。いかにも揉め事を起こしそうな気配がビンビンだ。俺の聖剣の邪悪センサーもビンビンだ。


 だが、まだ何かことを起こした訳ではない。正義を執行するのはまだ早い。俺は彼らを泳がせることにした。


「お待たせいたしました。貴族の午後のステーキでございます」


 そうこうしている内にステーキが届いた完了形。湯気と混ざって立ち昇る美味しそうな匂いが俺の鼻腔を刺激する。いつ嗅いでもたまらない匂い。女性の陰茎とは比べ物にならないかぐわしさ。どちらが食欲を誘うかとなると甲乙つけがたいがアリアの陰茎だろうな。アリアの陰茎は匂いも素晴らしいに決まってる。俺はステーキの匂いを嗅ぎながらアリアの陰茎の匂いを想像する。口の端から涎が零れた。アリアの陰茎の匂いを俺に具体的に想像させるとはなんて凄いステーキだろう。今からこれを食べれるかと思うとワクワクが止まらないぜ。


「おお、もう来たのか。この店は来る度にステーキを焼く速度が速くなるな。向上心を忘れていない証だ。素晴らしい」


「それはもう、急ぎましたから」


「では早速一口頂こう。まずはこの聖剣で切り分けてっと」


「うわ……」


「なんだ」


「マルスさまにしか出来ない切り分け方だと思い感心していました」


「そうだろう。俺は凄いからな」


「本当凄いですよ」


「ふふ、ミディアムに焼かれた肉の断面から零れる肉汁がたまらないぜ。どれ、ご賞味といくか」


 おれは聖剣で切り分けたステーキを一切れフォークで刺して口に運ぶ。ステーキを歯で噛んだ瞬間、ジューシーな美味みと香ばしい香りが口の中に広がる。俺は叫ばずにいられなかった。


「美味い!」


「マルスさまのお褒めに預かり光栄でございます」


「俺はこの店に来る度に思う、あんたは天才だと。勿論、今日もな」


「お褒めに預かり光栄でございます」


「この世界の片隅であなたに出会えた運命に感謝を……」


「光栄でございます」


 さらにステーキを一切れ口に運び舌鼓を打つ。口の中に天国が広がった。





 俺が食後のデザートの季節のフルーツ全部盛り贅沢アイスに舌鼓を打っているときに事件は起こった。


「オイオイオイなんだこの虫はよォ! ステーキの中にゴッキブリちゃんが入ってるじゃねぇかよォ! まさかこの店は……チャンゴッキを客に食わせるゲテモノ料理店だったのかよォッ!? うわー、店のチョイス間違えちゃったよォ……」


「オイオイマジかよ。俺ちゃんもうステーキ腹の中、ゲーッ、ゲーッ!」


「オイラ友達に広めるでやんす。この店は料理にゴッキブリを混ぜて提供するゲテモノ料理店だって。キシシッ! オイラもオイラの友達も顔が広いから情報が広まるのはあっという間でやんす。 街中にこの店の噂を流してやるでやんす」


 先程入店した邪悪センサーが反応した3人の男たちが料理に虫が混入していたと騒ぎ始めたのだ。もちろん言い掛かりだ。マスターがそんなミスを犯すわけがないし、男たちが袖の下から虫をステーキに落とすシーンを俺は見逃さなかった。


 論調から推測するに男たちは料理への虫の混入を理由にマスターを脅す腹積もりだろう。


 今すぐ男どもを半殺しにして店の外に叩き出してやってもいいが、どうせならもっと俺さまが格好よく映えるタイミングでトラブルに介入するべきだ。


 俺は冷静にそう判断して、いつでも立ち上がれるように体の重心を調整しながら、その時が訪れるのを待つことにする。

 まぁ、マスターは冷静で思慮深くて頭が良さそうな人間だから俺が出る幕もなく事態を収束させてしまうかもしれないけれど。


 今回の俺の役目は後詰めの保健よ。俺はどんな役回りでも十全にこなせるオールラウンダーな人材。ゆえに損な役割を社会に担わされることも多い。そんな俺の哀愁漂う背中に惚れたって確かアリアは言ってくれたっけなぁ。いつ言われたのか何故か全く覚えてないけどあのときは嬉しかったなぁ……。


 おっといけない。美しい過去を振り返ってばかりいたらダメ人間になってしまう。ちゃんと今を見ないと。3人のチンピラとマスターの諍いを見ないと。


「お、お待ちくださいお客様! そんなことされては困ります! せっかくここまで店を大きくしたのに、そのような悪評がたっては客が来なくなってしまいます!」


「そう言われてもよォ、俺らはゴッキブリを食わされた被害者なんだよォ? こんなもの食わされて金を取られたとなれざ、誰かに愚痴って不満を共有したくなるのは心理学的に考えて至極全うな心の反応だよォ? 」


「勿論お金は取りません。誠心誠意謝罪もいたします。こちらの不手際により不快な思いをさせてしまい申し訳ありません!」


「俺ちゃんもうゴキブリ食っちまたんだぞ! 寄生虫に寄生されたり感染症に感染したらどう責任取るんだよ!」


「勿論、こちらで医療費の負担もさせて頂きます。重ね重ね申し訳ありません」


「へぇ? 医療費負担してくれるのォ? 確かに言質取ったよォ?」


「っ!? それはどういう……」


「おっと、バッジ落としちゃったでやんす」


 やんすやんすうるさい鼠みてぇな出っ歯の小男がわざとらしくバッジを落とす。マスターはそのバッジを見てわなわなと震えた。


「鬼陰会のバッジ……」


 鬼陰会。翔龍組と並ぶこの街の2大ヤクザの片割れだ。細かいことは知らん。以上、終了。


 よォよォと癇に触る甲高い声で哭く、グラサンをかけていることしか外見に特徴がない若い男がニヤニヤと笑う。


「そうだよォ? 俺たち鬼陰会だよォ? マジヤバ、だよォ?」


「キシシ、泣く子も殺す鬼陰会といえばこの街に知らないものはいない大ヤクザ。こんな木っ端店、鬼の一息で吹き飛ぶでやんす」


「あー、俺ちゃん心の傷負っちゃったよ。長期的に精神病院に通院してたくさん薬も処方してもらわなきゃいけないなこりゃ。仕事も今までのようには出来なくなるだろうし生活費足りなくなるだろうなぁ……あ! こんなところに俺ちゃんの医療費全額負担すると明言してくれた親切な場末の店の店主が! 俺ちゃん九死に一生あんたマジレスキューゴッドだわぁ……」


「……はい。医療費全額負担させて頂きます」


「あ、俺も精神病院通うから医療費負担よろしく頼むよォ」


「オイラのガラスハートもバッキンバッキンのシャリンシャリンに割れて再生医療必要不可欠でヤンス。オラ、オイラにも治療費よこすでヤンス。お前が言ったことでヤンス。男なら吐いた唾飲み込むなでヤンス。仁義通すでヤンスオラ」


「そ、それは流石にきついです……」


「俺ちゃんらも出来れば大事にはしたくないんだよ。だけど、店主さんが大事にしたいっていうんなら話は別だよなぁ……」


 暗に、金を払わないと鬼陰会の本部に話を通すと脅しているのだろう。人の力を借りて人を脅す、全てが人任せ、なんて幼稚で卑怯な連中だろう。男ならば己の拳一つで脅せ。俺みたいにな。


「ぐ、ぐぐぅぅぅ……わ、分かりました。すぐに、治療費を用立てます。いか程用意すればよろしいでしょうか」


「もちろんBIGに1億ゴールドォ! ……と言いたいところだがよォ、この店にそんな大金があるとは最初から期待してないのよォ。だからとりまこの場は有り金全部で赦してやるよォッ!!」


 有り金全部。それへ死刑勧告にも等しい言葉。とうとうマスターは口許を押さえて嗚咽を漏らした。


「うう、ぐふぅ! どうして毎日生活のために血尿と汗と涙を流して必死に働いている私がこんな目に……家族のために、生活のために、ただ生きるために! 毎日自分の命を痛みをこらえながら食材のようにすりおろし続けているのにぃぃぃぃぃ!」


「マスター……」


 知らなかった。客の前では涼しい顔と苦笑しか見せたことがないマスターがこんなにも苦しみを抱えながら毎日働いていたなんて。労働者である限り永遠に苦しみから逃れられないこの世の地獄の真理の一端を図らずとも垣間見てしまった。マスターのようなダンディな人間は涼しい思いで働いていると思っていた、だがそうではなかったらしい。

 やはりこの世は地獄だ。戦乱なきこの城下町にさえ涙と苦しみが生まれる。魔王がいようといなかろうと、やはりこの世界は地獄であり続けるに違いない。救いようのない世界だ。


 しかし、格好よく仲裁にはいれるタイミングを図っていたらすっかり外してしまったな。もう少し早く立ち上がるぺきだった。もういい、これ以上待つのは愚かだ。さっさとチンピラどもをしばいてこのくだらない諍いを終わらせよう。


「おいてめえら、ちょっと表出ろ」


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