レポート.23「助けて、マリちゃん」
「逃げろ、逃げろ、逃げろー!!」
ハタコの手を取り、必死で本の廊下を進むフロア。
『どうして逃げるんですか、お迎えなのに』
周囲の本棚を壊してやってくるのは、無数の鎌と手足の生えた身長二メートルは軽く超えるほどの口元しか見えない巨大な影。
『こちらに来てくださいよ』
「フロアさん、ここは私を置いて逃げてください。私なんか足手まとい――」
そう言って、ゲホゲホと咳をするハタコに「んなことできるか!」とフロアは角を曲がる。
「ハタコさんは素直すぎです。なんで、あんな訳のわからない奴なんかに従おうとするんですか。向こうでもそんな感じだったんですか?」
それに「――そうです」と、蚊の鳴くような声でつぶやくハタコ。
「だって、そうしないと。生きていけないと言われていたから」
途端に目の前の本棚が吹っ飛び、巨大な鎌が飛び出してきた。
*
(――兄さん。【神様】というものがが何かとは、考えたことある?)
パチッ…
向かい合わせ、タブレットを使い【神様】とボードゲームをするトーチ。
(僕はさ、【神様】って人の思いや思想の集合体だと思っているんだよ)
トーチの弟。ユーリは、かつてパソコンを前にしてそう語った。
(僕らの家系でも時々神を見たという人がいたそうだし――兄さんはそれを感じ取って視覚化できる人なのだろうと僕は思っている)
そう言いながら、自身が作った仮想空間の教会へと目をやるユーリ。
(…僕は、そんな兄さんが正直
ユーリはそう話し、目を輝かせる。
(兄さんの話す姿とまったく一緒、そして僕らは兄さんと同じくボードゲームでしばらく遊んだ…負けちゃったけど、楽しい時間だったよ)
顔をほころばせ、ユーリは屈託なく笑う。
(――でも、同時に分かった。何で他の人には見えなかったのか。見えてはいけなかったのか…ねえ、兄さん)
そうして、ユーリは死相の見える顔でこう続けた。
(僕が死ぬ前に魂を分離して、教会の中に入れてくれないかな?兄さんには負担をかけるけれど、父さんが教えた中で一番術が得意だったのは兄さんだったから)
「――【神様】とは期待するような恵みを授けてくれるような存在ではない…」
パチン、パチン、パチン。
ひっくり返されるトーチの数枚の駒。
「…あの後、ユーリは【魔力解放戦線】から、人々を守るため作った自身の教会で防御の魔法陣を仕込んでいる最中に亡くなった」
(エルフのあいだでは故人が出た場合、このタバコを使って自身の魔力を散らす風習がある。自然へと還る魂に敬意を評し、己の一部も自然に還す――父君から破門はされたが、魔力対策室に入れたそうだな。祝いとして受け取りたまえ)
フローの言葉を思い出しつつ、タバコに火をつけ一服吸うトーチ。
パチン、パチン、パチン。
ひっくり返される駒が止まり、ようやくトーチは顔を上げる。
「エルフから俺が今まで見てきたものが何なのか教えられ、ようやく気がついた――どうりで誰も見たがらないものさ」
そう言うとトーチは向かいの影から目を離し、自身の駒へと指を置く。
「なあ、そうだよな…【災い】」
*
「うおっ、ちょおー!!」
すんでのところでフロアは頭を下げ、ぎりぎりをかすめた鎌は本棚を
「――あ、避けちゃった」
顔を上げるハタコに「良いんですよ、避けなきゃ!」とフロアは分岐した道を見つけ、そちらの方へと走っていく。
「もう、辞めましょうよ。私を置いてくれて良いんですから」
「また、そんなこと――!」と言い換えるフロアに「…私のいた社会では我慢することが前提でしたから」とハタコは続ける。
「仕事を長く続けていくために上司の言う通りに従って、具合が悪くても、本心では辛いと思っても。お金のために、母親を養っていくためにも、我慢をして、妥協していかねばならないんですから」
壊れた本から舞い散る無数の紙。
それらを避けて、フロアは必死に前へと進む。
「…わかってはいるんです。今の状況がもう限界なことぐらい。だから無意識の内に顔に出る。それが露骨に見えて周りから疎まれ、行き場がなくなり、放り出される。でも、もう何をしても気持ちが誤魔化せなくて、苦しくて――」
「――だったら。誤魔化す必要。無いんじゃないんですか?」
「え?」
「人に合わせるのが難しいのなら、心のまま生きていけば良いじゃないですか」
そう答えるフロアに「でも、その気持ちで生活できるほど、私たちの社会は甘くない!」とハタコは泣きそうな声を上げる。
「分かっているんです。これはワガママなんだと。周りが言うように自分の立場がわかっていない。もっと謙虚で、人の言うことに従う人間こそ正しいのに、それができない私は欠陥品で――」
何かが擦れるような音。
同時に前方の本棚が分かれ、鋭利な歯車がフロアたちへと向かってくる。
「お願いです、このまま放ってください――私は生きてはいけない人間なんです」
「くっそ…己は社会の歯車でなくてはならないってか?」
目の前に迫る、薄く、鋭い歯車たち。
それは今まさにフロアたちの喉元を捕らえようとし――
「まったく…気持ちが
その歯車を上から踏みつけたのはエルフのフロー。
「我々の祖先が星から
ガランと音を立てて床に落ちる歯車に「え…星から出てきた?エルフが?」と、混乱するハタコ――それにフローは振り向くと「ああ、この子娘こそが、【場】の中心だ」とつぶやき、天井へと目を向ける。
「――というわけだ。牢から出たのだ、しばらく暴れろ」
彼の言葉に応えるかのように天井のガラスをぶち破り、何者かが侵入する。
「相手がいれば、どこへでも――武闘家美少女マリちゃん参上!」
「武闘家あ?」と驚くフロア。
宙空にいるのは図書館という場に明らかにそぐわないチャイナ服を着た少女。
途端に棚の全方向から大量の歯車と鎌が飛び出し「ヌルい、ヌルいわあ!」と美少女マリちゃんは全ての障害物を蹴り飛ばす。
「エルフの手錠を一日二百万発打ちつけたときよりもヤワい!この程度で足止めできると思うなかれ――!」
「…あのー、つかぬことお伺いするんですけど」
気がつけば、フローの元にハタコはおずおずと顔を出す。
「あの様子から察するに、もしや彼女。脱獄した【魔人】なんですか?」
「いかにも」と、フロー。
「天上天下流の武闘家。勇者に同行して複数の【魔王】を武力で制圧し。齢七十にして食い逃げした男を街ごと破壊した【魔人】で――現在も投獄中の身だ」
「ただのヤベエ奴じゃん」とフロア。
「【魔人】は魔法による耐性が低いために、我々エルフが特注した重しをつけることとなっている。だが、管理していたギルド側の発注ミスがあり、こうして、たった五十年で外に出てきてしまったと言うわけだ」
「むしろ、五十年も保っていた方が驚きだよ」とフロア。
ついで、本棚から頭をもたげた巨大な影が左右に割れると、そこから大量の鎖に繋がれた鎌やら歯車がマリちゃんに向かって飛びかかる。
「――ふむ、そろそろか」と、かわすマリちゃんを見届け上を指差すフロー。
「ハタコ…だったか。上を見てみると良い」
それにハタコは上を向き「あ!」と声を上げる。
壊れた天井の先に広がるのは満点の星空。
朝であろうはずの外が広い星空へと変わっている。
「この【場】はお前が作り出したもの。そして【場】は心象風景を映し出す。部屋の大量の本は知識や経験、外は深層の中の願望。何か思い至るものはないか?」
「そうだ、私。昔から、ずっと空に憧れて――」
途端にハタコの目からポロリと涙が落ちる。
「私。子供の頃から、どこか遠くに。それこそ宇宙に行きたかった」
瞬間、放たれた武器のあいだを縫うように、マリちゃんが影のど真ん中に拳での
「でも、協調性がないお前には宇宙飛行士の資格なんかないと。到底無理だと、周りから言われ続けて。どれほど焦がれ、知識をたくわえようとも、目標は遠くなるばかりで…ついには、生きていくことさえ辛くなって――」
「なるほど、
ハタコの隣で、同じく空を見上げるフロー。
「先ほども話したが、エルフの始祖は宇宙から。木星のまわりを回る星から来たと言い伝えがある」
「木星の――まさか、エウロパ?」
ハタコの声に「ほう、そちらの世界ではそのような名がついているんだな」と、どことなく嬉しげな顔をするフロー。
「我々エルフは長き年月を過ごしたことで空へ戻る方法を忘れた。この地の民でさえも、星は行くものではなく占いとして読むものとしか認識していない」
「星占い、ホロスコープ…こんなに魔力で動いている世界なのに?」
疑問の声を上げるハタコに「――だが、希望があれば道は開ける」とフロー。
「そも、そちらとこちらと次元は違えど、はるか昔よりほぼ同じ生の道筋を辿っている。ゆえに小娘であるお前でも【場】が作れたのだ――だからこそ、進みたいと望めば、自ずと道が開くはずだ」
「道…」
つぶやくハタコにフローは彼女を見る。
「【場】を作れる【魔法使い】はどの魔力を扱う者よりも強い性質を持つ。己が生きるために貪欲であればあるほど、宙の中に己の生きる【場】を作り出すことができるからだ。そこを起点とすれば、いずれ
「アナタの故郷――エウロパへ?」
瞬間、周りの景色が弾け飛び――気がつけばフロア達は宿舎の外へ。
ドアの目の前へと呆然と立ち尽くしていた。
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