第3話 伊那 13歳 幾何学の館

「あなたは円周率の波動を使って、幾何学の館を目指していたのよ。でも、あなたの魂が癒しを求めていたから調和の館に着いてしまったの」

 少女はそう言った。

「幾何学の館?」

「そう、幾何学の館。いまから幾何学の館に向かうわ。あなたには面白い館だと思うから。私にとっては面白くないのよ。私は幾何学の記憶を持たずに生まれてきたから。必要なかったしね」


 同じ魂の転生なのに、記憶を持ったり持たなかったりするのはどういう意味だろう。どうやら、魂の容量はあまりにも膨大なので、人間として生まれるにあたりすべてのデータをもっていくわけにはいかないらしい。魂のデータのうちで「今生必要なもの」と「今生必要ではないもの」を分類する作業が、生まれる前に行われる。

 人間の体や心は脆弱なので、詰め込めるものはかなり限られている。今生のテーマにそって、必要な分のデータのダウンロードをして地上に生まれてくる。だから、地上にいる人間の魂は、実は魂の一部でしかない。本体ではなくてチップのようなものだ。

 脳科学の世界でよく言われている「脳は全能力の数パーセントしか使っていない」というのは、魂の世界での能力をかいまみて言われている言葉でもあり、ある意味では真実だ。だからといって、ひとつの人生ですべての能力が使えるようにはならない。不必要な能力には封印がかかっており、基本的には命ある間に解けることはない。もしも封印がはじけ飛ぶようなことがあれば、普通の人間は魂の全データという巨大な容量の衝撃に耐えられない。体の容量を越えたデータが流れ込めば心臓が止まり、心の容量を越えれば発狂する。しばしば、人間界の中ではそうした霊的な事故が起こっている。寿命はある程度まで定められているが、事故も起こっている。そして交通事故と同じで、事故にあいやすい特質を持つ魂と、あいにくい特質を持つ魂がいる。冒険心が強く、行動力が強い魂ほど事故にあいやすい。逆に、穏やかすぎてほとんど動きを持たない魂も事故に巻き込まれやすい。

 少女のそばにいると、少女がすでに理解していることが自然に伊那にも伝わり、理解できてくる。一緒に歩いているだけで、少女のデータのすべてがダウンロードされてくるようだ。


「図書館内で別の館に移動するのはいくつかの道があって、もっとも簡単なのは歩いていくこと。徒歩の道は、館の正面入り口に背を向けてまっすぐ歩いていくだけのことよ。歩いていればいつかは到着する。あなたがひとりでここにきて、ほかの方法が使えなければ歩いていけばいいわ。でも、いまはもっと早く行ける方法でいきましょう」


 少女はオーロラの中央に向かって不思議な呪文のような声を発した。すると、オーロラの上空から、丸い円盤のようなものが現れてオーロラの周囲を覆った。それは透明なエレベーターのようにも、透明なUFOのようにも見えた。少女が伊那の手を引っ張ってその円盤内に入ると、円盤の周囲は透明から半透明、不透明と変わり、いったん金色に輝くとまた、半透明、透明、と戻っていった。透明になってから外を見ると、再び円形公園の中央にいるようだったが、景色は変わっていた。どうやら幾何学の館に着いたらしい。伊那は周囲を確認しようとキョロキョロしたが、すぐに少女に手をつかまれて円盤から下ろされた。


 少女と伊那が円盤から下りると、円盤は透明の外周がさらに透き通っていき、やがて何もなくなった。消えたのだ。


「私が話したのは宇宙語よ」

 少女は言った。

「この宇宙図書館では、宇宙語を話せばすべての通路が開く。中央広場の中心に向かって、行きたい館の名前を言うだけでいいの。あなたは宇宙語を話せないけれど、私は宇宙語を話せる。あなたが自分のエネルギーの中で私とアクセスできれば、あなたの言葉は自然に宇宙語に翻訳してもらえるわ。でも、まだそのレベルには達さないわね」


 今まではスピリットフレンドと二人だった。いまは少女と二人。ここで他の人間と出会ったことはない。地球の図書館では、いろんな人がいろんな本を探していて、自分の探す本のエリアに近づけないときもあるのに。

 そんなことを伊那は考えた。伊那の思考を読んだ少女が答えた。


「この宇宙図書館は、ひとりひとり別の時空間になっているのよ。だから他の人と出会うことはない。でも絶対ではないわ。あなたが調べていることを同時に調べている人がいて、ふたりともがそのテーマに関わる重要人物であった場合、ふたつの時空間は重なることがある。そのときはこの図書館で自分ではない人間と出会う。非常に稀なことだけど、同時に複数人の時空間が重なることもあるのよ。地球の図書館と違うのは、自分の人生とはかかわりのない人に邪魔されて目的の本が探せない、なんてことは起こらないことね。出会うべきふたりが、この図書館で出会うのよ。もしもこの図書館で出会う人がいたら、必ず地上でも出会えるように運命は動いていく。

 だけど、あなたみたいにここに体で来る人ばかりではない。体は地上においたまま、本のデータだけを読み取ることもできるの。あなただってそのうちできるようになるわ。体を地上においている人と、あなたがここで出会ったとしたら、相手には夢としてその記憶は送られる。さぁ、ではこの館を探検してみましょう」


 円盤のあったところは、記憶の館や調和の館と同じように中央噴水があった。実際には水ではなく光なので中央噴光とでもいおうか。光の噴水が上がっていたが、ここ幾何学の館の中央噴水は金色の光でできていた。金色のオーブのような光の玉が、シャボン玉のようにふわふわ揺れながら四方八方に降り注いでいる。よく見ると、噴水の中央には透明な水晶のような丸い大きな球体がふわりと浮かんでいた。伊那がじっとその球体を見つめていると、傷一つない透明な球体の真ん中に、一本の線がすーっと浮かんだ。


「あっ!!」


 伊那はたまらず大声をあげた。


「思い出したみたいね」


 少女は伊那を見つめていった。


「だって、だって、数字が・・・」


 伊那はうまく言葉にできなかった。少女が伊那のかわりに言葉を紡いだ。


「ここは幾何学の館。数字の秘密が記されている。そう、いまのあなたにはこの情報がどうしても必要だった。だから円周率を使ってこの館を目指したのね。そうでないとあなたはもはや数字の神秘から切り離されてしまう。それはあなたにとっては失明と同じくらいにつらいこと。それはわかるの。私にはこのデータはないけれど」


 完全な球体。それこそが「一」の数字の本性だ。完全な球はすべてを含み、うちには何もない。始原の数。すべては球体から始まっている。球体こそが、完全なカタチ。

 球体に閃光が走り、球体を分かつ線が現れる。それが「二」の数字の本性。この閃光は龍だ。なにもない世界から動が生まれる、最初の動が龍だ。龍こそが原始のエネルギー。もっとも古く、もっとも偉大なパワーを持つ。

 やがて龍は自らの尾を追ううちに、自然に陰陽に分かれていく。逃げて、追って、追って、逃げて・・・尾ではない場所を求めると自然にもう一点の位置が生まれていく。「三」の数字が誕生する。

 陰と陽が自らを完全に分離したとき、中央に十字路が刻まれる。「四」の数字が誕生する。

 回転する十字路の中央にまったく新しい異質なエネルギーが誕生する。「音」だ。これは変容のエネルギー。あらゆるものを分離させ、混乱させる「五」のエネルギー。しかし、分離と混乱は成長していく起爆剤となる。

 分離だけではすべては崩壊してしまう。分離をとどめるために龍の力と陰陽の力が、すべてを包括するための優しいゆりかごのエネルギーを放つ。「六」の数字が誕生する。

 調和と平和は閉じたエネルギー。そこに奇跡と神秘のエネルギーが別次元からやってくる。新しいエネルギーにふれ、ふたつの世界の扉が開く。「七」の数字が誕生する。


 そう、数字の本体は幾何学模様なのだ。球体に描かれた幾何学模様。普段使っているアラビア数字は、わかりやすく簡略された記号でしかなく、数字の神秘を伝えてはいない。むしろ、数字の神秘に触れるためには、アラビア数字というものは邪魔になる。漢数字のほうがほんの少しだけ幾何学模様に近いが、漢数字であっても数字の神秘には遠い。アラビア数字というものは、人々が簡単に数字の神秘に触れることのないように誰かがかけた封印なのかもしれない。だけど本当に封印なのだろうか。決して神秘にたどり着かないようにするための呪いではないのか。


 幾何学の館の中央噴水に浮かぶ水晶球には、数字の神秘が繰り返し惜しげもなく表示されている。そうだ、私が数字の世界で遊ぶときは、この幾何学模様と遊んでいたのだ。毎日毎日、アラビア数字を見ているうちに、あやうく幾何学模様のことを忘れるところだった。もしもこのまま幾何学模様を思い出さなかったら、やがて数字の神秘の世界からは切り離されていっただろう。

 伊那は飽きもせず、水晶球が数字の本性を再現する様子を見つめていた。一、二、三、と最初の数字はゆっくりと表現されているが、少しずつスピードは上がっていく。ところどころ心に残る美しい幾何学があるが、それは素数であることに伊那は気づいた。そう、円周率も美しいが、素数も美しい。十三・・・そう、素数である十三が示すものは、秘密の解放だ。


 どれくらいそうして、水晶球が表現する数字の幾何学に没頭していたのだろう。伊那は少女に手を触れられてはっと我に返った。少女はにっこり笑って伊那を見た。


「この図書館では、地上と同じ時間は流れていないのだけど、それでも無限の時間の中にいるわけではないのよ。次に行かないといけない。その前に簡単に館を案内するわ」


 この館に収められている本は、かなり難解な本ばかりだった。地上では数学の中に幾何学があったが、ここでは逆で、幾何学の中に数学がある。数学を生んだのは幾何学、というとらえかただった。数学の他には遺伝子工学、宇宙科学、エネルギー化学など聞いたことのある分野の他に、時の科学、運命の科学、偶然の科学、など面白そうなタイトルもあった。

 ここには本だけではなく、たくさんの発明品が収蔵されている。伊那はエジソンの発明部屋を思い浮かべたが、エジソンの発明よりはるかに大きな規模で、いろいろなものが収蔵されていた。発明者の名前と発明した年齢、その発明によって地球や人類がうけた恩恵が記されている。どうやらここに収蔵されるかどうかは、地球への貢献度がどれくらいあったかによるらしい。伊那が聞いたことのあるアリストテレスやガリレオのコーナーもあった。どうみても美術品にしか見えない美しい絵やオブジェも多く展示されていた。

 幾何学の館は研究のために訪れる館だ。訪問者のほとんどは地上世界では学者・研究者であり、新しい発明のためにこの館を訪れるため、初めから目的の本はその人のために印がついている。館の中は暗めの光なのだが、その中で目的の本だけが金色にまばゆく光っており、見間違えることはない。どの通路をたどってみても、目的の本が左にあれば左から金色の光が差し、右側にあれば右から金色の光が差す。そんな風に光が差す方向に従って歩いていけば目的の本にたどり着ける仕組みになっている。伊那の場合は、本が目的だったわけでなく、中央噴水の水晶が表示する数字の幾何学が目的だったため、本を閲覧することはできない。ただし、展示品は本の閲覧とは関係なく、訪れる人すべてに公開されている。

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