第2話 趣味はヤフコメ

 ばあちゃんにお礼を言って、怪談動画を見始めていたヤミ子とは特に言葉も交わさず、帰路につく。

 途中までは伊吹と同じ道のりだ。


 月明りと、古ぼけて点滅しがちな街灯だけが頼りの田舎道を、タッパーを持ったチビデブとチビガリが並んで歩いていく。

 絶望的に絵にならない光景だ。確かにこいつらの姫扱いされたら死にたくもなるな。


「一太。ふと思ったんですけど」

「ん?」

「あ、『一太、太ったんですけど』なんて言ってないですからね。ふと思ったって言ったんです」

「うん。そうとしか聞こえてないけど。伊吹って陰キャのくせに無駄に滑舌良いし。人を腐す意図があるときは特に」


 太ってんのは生まれたときからだし。いや、最近またちょっとだけ太ったかな? ほんの三キロくらい。


「煮物とか、まぁ諸々。ばあちゃんに料理、教えてもらいません? 今のうちに」

「あー……まぁ、そうなぁ……」


 伊吹の意図しているところはわかる。というか僕も同じようなことを考えてこなかったわけじゃない。でもその度に結論を先延ばしにしてきた。


 正直、僕はあまり直視したくないから。


 逃げと棚上げを重ねてきた人生だ。

 重い問題と正面から向き合いたくない。性格の悪いジョークとして消化しといたつもりでいたい。


 反面、伊吹は片づけなきゃいけない問題をジョークだけでは済まさない。先のことを考えられる。

 そういう点で、こいつは僕よりも精神的に大人だ。

 そこらへんが、頼りがいがあると同時にちょっとムカついたりもする。


「あんま乗り気じゃない感じっすか、一太は」

「んー? いやぁ、いいんじゃね、君が覚えるのは。ばあちゃんも喜ぶよ。僕はほら、忙しいからさ」

「え、何がですか」

「ほら、書き物とかあるから」

「ヤフコメや5ちゃんへの書き込みを書き物って呼んでる人初めて見ました」

「サッカーファンになりすまして野球をディスったり、野球ファンになりすましてサッカーをディスったりするのって結構大変なんだよ。興味もないのにどっちの情報も仕入れなきゃいけないし。知恵袋やツイッターも含めたら二桁のアカウントを同時に操っているからね、僕は」

「あれって一太がやってたんですね……長年の謎が解けました。納得です。一太並みに暇じゃないととてもできないですもんね」


 そりゃそうだ。スポーツを頑張ってきた人間がスポーツを叩けるわけがない。

 何も頑張ってこなかったこの僕が、頑張ってる奴や輝いてる奴を叩かなかったら、いったい誰が奴らを叩いてやれるっていうんだ!


「ま、オレにどうこう言う資格もないですけどね。嫌いな奴を呪って生き延びてきた、同じ穴のムジナです、オレらは。だからせめて、その汚い穴くらい快適な汚さに保っておいた方がいいんじゃないですか? 他に生きていける場所なんてないでしょう?」

「あ、その持って回った言い方きしょい。どこのラノベ読んだの? ガガガ? てかムジナって何? 魚?」

「オレ、一太ほどオタクじゃないんでレーベルごとの特色とか知らないっす。ムジナはたぶん虫。で、ホントに習わないんですか、ばあちゃんに。モタモタしてる時間とかないかもですよ」

「まぁ、君に任せるよ。伊吹の方が器用じゃん、だって」

「でもオレの方が先に死にます」

「お前……っ」


 何事でもないかのように放たれた言葉。

 つい、足を止めてしまう。が、伊吹は涼しい顔で僕の顔を見ながら、


「いやいやいや伊吹さん、君ね、僕がシリアスな感じで足止めたんだから君も止まれよ。なに普通に同じペースで歩き続けてんだよ」


 仕方なく小走りで伊吹の隣に追いつく。


「つーか、何。死ぬの、君。そんなに悪くなかっただろ、ここ数年」

「はい? 別に悪くないですけど? 何ですか、死んでほしいんですか?」

「ああ? なに言ってんだこいつ死ね」

「死にますって、一太より先には。常識的に考えて、持病ある人間のが寿命短いでしょう」


 んだよ、そういうことかよ。何か意味深に言いやがって。絶対ガガガ作品読んでるだろ、こいつ。


「そんなん言ったら僕なんて肥満だよ。基礎疾患くらいでマウント取れると思うなよ。デブは万病の元なんだ。しかも持病と違って同情を買えない! どうだ、僕の勝ちだろう! 僕が先に死ぬんだ!」

「だったら、なおさらオレら二人とも覚えといた方がいいんじゃないですか、ばあちゃんの料理。どっちも早死にしそうなんだから。下手したらばあちゃんより先だったりして」

「やめとけ、金魚が悲しむぞ」


 つーか、金魚ってもしかしてアレか。小五のとき、僕とヤミ子でこいつを病室から勝手に連れ出して夏祭りに繰り出したときのアレか。あいつらまだ生きてたんか。


 死ぬほど大人に怒鳴られて、めっちゃ後悔したな、あんとき。ヤミ子はギャン泣きするし、そんな僕らを見て伊吹は爆笑するし。


 同罪なのに一人だけ怒られないとかやっぱ病人はズルいわ。そんでやっぱ祭りってクソだわ。世界中の祭りが永遠に雨天中止になればいいのに。


 そんなことを考えていたら、伊吹は僕に声をかけることもなく、分かれ道を曲がっていってしまった。ここまでが、僕らが並んで歩ける場所だった。

 まぁ、声掛けも目配せもなく勝手に別れていくのはいつものことだけど。


「……ちっ、めんどくさいな、あいつ」


 思わず舌打ちしてしまう。


 何なんだあいつ。人の悪口はストレートに言うくせに、自分のことは難解な感じで言いやがって。

 ラノベしか読まない僕に読み解けるわけないだろ。僕はもうガガガ作品は文字が多いからアニメでしか見ないって決めた男だぞ。


「おい、そこの豚。今、舌打ちしたよな?」

「え」


 突然、後ろから肩を掴まれる。

 振り返ると、大学生くらいのいかつい男二人組が、しかめっ面で僕を見下ろしていた。


 え? あ、マジ? 絡まれた?

 いやー、久しぶりだなぁ、こういうの。登下校とヤミ子んち以外で外出することなんてないからなぁ。


 くぅ~~、最悪だわマジで。何が豚だよ。お前らも結構腹出てるじゃないか。まぁ僕と違って身長もあるけどさ。


「舌打ちしただろって言ってんだよ!!」

「――――」


 あ、ダメだ。普通に怖い。なに強がって余裕ぶっこいてんだ、僕は。震え止まんねーよ。


 どうしよう、助け呼ぶ? 今叫べば、伊吹にも聞こえるのでは?

 いや、あいつ巻き込んでどうすんだよ。ここを切り抜けられたとて、こういう輩は後々にまで因縁つけてくる可能性もあるんだ。関わらせたくない。


「なぁ、何も言えねぇのか、豚。そっちから絡んできたんだろ?」


 胸ぐらを掴まれ引き寄せられる。

 くそっ、こいつ酒飲んでやがるな。僕らがかつて会ってきた、殺したい大人と同じ臭いがする。


「い、いや、舌打ちは、違くて……だって、あなた僕の後ろから……」

「あぁ!? 言い訳してんじゃねーよ!!」


 何だそれ。初めから言い分なんて聞く気ないんじゃないか。


 泣きそうになる僕と激昂する男に向かって、もう一人の男がニヤニヤしながら口を開く。


「まぁまぁ、喧嘩はよくねーって。ここは平和的に解決しようや。どう? 先に突っかかってきたお兄さんの方から、何か和平案はねーの?」


 あーあ、それが目的かよ。

 でもさ、


「……お金、ないです……900円くらいしか……」

「あぁ!? 舐めてんのか、この豚!」

「お兄さんさぁ、そんなに甘くないって、世の中。財布の中見せてよ。ホントにお金ないんだとしても、身分証とか見たい気分だなって」

「勘弁してください……そ、そうだ、ほら、文化祭だったんで、町の方出れば、僕なんかより金持ってる高校生が今日はたくさん出歩いてますので……」

「だから絡んできたのはテメェだろうが! つーか何だよ、大事そうに持ってるそれはよ!」

「文化祭? ん? もしかしてじゃあ、その箱ん中って、売り上げ金とかそういうの? ちょっと見せてよ、お兄さん」

「え、これは、そういうんじゃ、」

「いいから渡せや、豚!!」

「…………っ!」


 強引に引っ張られたせいで、僕の腕からタッパーが滑り出て。男の手も離れ、地面へと落ちていく。

 勢いで蓋が外れ、中身の煮物がアスファルトへと飛び散っていった。


「ばあちゃんの……っ」

「あ?」

「なんだこれ? ちくわ? 大根?」


 虚をつかれたようにポカンとして、胸ぐらから手を離す男。

 その隙に僕も地面に跪き、必死で煮物を掻き集める。


 くそっ、暗い。煮物も茶色いからよく見えねーよ。


「は? マジかよ、こいつ……」

「もしかして、この汚い残飯みたいなの拾ってんの……?」


 一瞬の間があり、そして、「プっ」と噴き出す音があり、男二人の下品な高笑いが続く。


 うるせぇ。どうでもいい。こんなの相手にしてる場合じゃない。

 もう、限られてるかもしれないんだ、この味を口にできる回数は。

 こんなことで無駄にしていいわけがない。


「ぎゃはははははっ! キモすぎる、いや豚すぎるわ、このガキ!」

「いやぁ、気持ち悪いわぁ、お兄さん。ちょっと動画撮らせてね。絶対バズらせてみせるからさ」

「いや邪魔だから。はい、財布。これやるからさっさと立ち去ってくれ」


 ポケットから財布(マジックテープ)を取り出し、男に目も向けずに放り投げる。

 実際これしか手持ちがないことも理解しただろう。今すぐ帰れ。


「おい……この豚……マジで舐めてんだな?」


 降ってくる声のトーンが変わる。

 それでも僕は手を止めない。まだタコが一つも見つかっていない。


「や、やめとけ、シンちゃん、この兄ちゃん何かマジでヤバい奴だわ」

「るせぇ! こんだけ舐められてシメねぇわけにいかねぇだろが! 死ね!」

「やめろって! おい、逃げろ、兄ちゃん!」


 さすがに騒がしいので上を見上げると、どうやら男の足が降ってくるようだった。


 いや、ふざけんな。逃げるったって、この一瞬で煮物全部回収できないだろ。僕が避けたら、汚い足に、味の染みた人参や里芋が踏みつぶされちゃうじゃん。

 仕方ない、覆いかぶさって、僕の背中で守るか。


 ……ん?

 いやでもそれ、めっちゃ痛くね? 結構ケガしね?

 ふざけんな。僕は自分が痛いのがこの世で一番嫌いなんだ。


 でもダメだ、もう間に合わん。

 くそぉ、僕としたことが完全に選択をミスった。煮物なんかよりポテチの方が絶対おいしいのに。あの財布の中の900円あったら二日分のポテチが買えたじゃないか。


 ちくしょう、最悪だわマジで……。


 …………それにしても、なかなか衝撃が降ってこない。


 あれ? これってあれだよね? スローモーションになるやつだよね?

 実際は一瞬の出来事だけどその間に思考がフル回転してるやつなわけだよね。

 それにしたって、これ、長くない? え、もしかして走馬燈的な領域にまで突入しちゃってる?

 でも思い出とか別に巡り上がってこないんだが。あ、この世に思い出なんかないからか。

 いやいやいや、僕にだってヤミ子と伊吹との輝かしい思い出が……あ、ない。

 僕らって畳に寝転んで誰かの悪口言ってるか、ヤミ子のネット怪談話を聞き流すくらいのことしかしてこなかったんだった。


 灰色の記憶に目まいがしながらも、いい加減顔を上げて状況を確認してみると……え?


「な、わかっただろ? こいつ、俺のクラスメイトだから。てか胸ぐら掴んだだけでも暴行罪って成立するらしいぜ?」


 背の高い、ガッチリとした体格のイケメンが、僕と不良どもの間に立ちはだかっていた。

 どうやらこの人が、男の踏み付けを妨害して、助けてくれていたようだ。気付かんかった。


 宿題ほとんど残ってるのに三人だけで徹夜百物語とか敢行して散った小六の八月末日を僕が後悔している間に、イケメンさんは不良を完全に言い負かしていたらしい。


 彼らは顔を引きつらせながら、


「くそっ、ガキが調子こきやがって」

「だからやめとけって言ったろ、シンちゃん」


 と、捨て台詞を吐いて、そそくさと逃げ去ってしまった。


「あ、ありがとうございます」


 よくわからんが、めちゃくちゃ助かった。


「ん? ああ、うん。てかお前、何してんだ、こんなとこで。まだうちのクラス、打ち上げやってるっぽいぞ?」

「え? ……あっ」


 改めて見てみれば、思いっきり知ってる顔がそこにはあった。


 彫りが深く、ワイルドでありながら整った顔立ちに、ツーブロックの短髪がよく似合っている。

 長い手足には岩のような筋肉をまとっていて。

 骨格からして僕らのような人間とは別種の存在だと伝わってくる。


 僕のクラスの、いや校内一のトップカーストグループのリーダー的存在、鈴木すずき正真しょうまがそこには立っていた。

 ジャージ姿だというのに、ヤミ子とは違い、何か洗練された雰囲気だ。

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