第25話
あのちょっとしたトラブルから何日か過ぎ、今は夏休み中だ。
そして俺は今日も、この夢を観ている。
あれから俺はこの夢を観る時、二つの事を意識する様になった。
一つ目は誰の問題か、という事。
二つ目は、その上でこの主人公達が「どうしたいのか」である。
例えば居酒屋の帰りに死んだ女。あれはどう転んでも良くない結果だった気がする。
もちろん「死」以上の悪い結果はなかったと思いたいが、もし言われるがままに酒をぐいぐい飲み干していたならどうなっていたのか。他の奴らは止めたのか。止めたかもしれないし、そうじゃないかもしれない。彼女は「酒が飲めない」と言っていた。飲んでいたら酔っ払っていたと思う。その場合、彼女の介抱は誰がしたのか。あの男だろう。ちゃんと送り届けたのかもしれないが、俺はあの男の本性を観てしまった。悪い結果の方が、想像が容易だ。
そして彼女は何を望んでいたのか。それはもちろん「酒を飲みたくない」だったと思う。俺はそう思ったからその選択をした。しかし、彼女の身代わりに自ら進んで一気飲みをした男が暴走した結果、彼女は転んで地面に頭をぶつけて死亡した。事故だ。
酒を飲みたくなかったであろう彼女は何故か、飲みの席に来ていた。それは彼女の問題だ。そもそもあの場に居合わせなければ避けられた事態である。
そして彼女は俺の選択によって酔い潰れる事態は避けられた。だが、男のせいで命を落とした。それはあの男の問題だ。
あの男があのような行動に出たのは、他の奴らの問題。他人を酔い潰れるまで飲ませておいて放ったらかしにする奴らのせいで生まれた事故なのかもしれない。
責任を完全に逃れようとは思わない。あの時の俺は、その場の感情で衝動的に「飲まない」を選択した。たとえ熟考しても結果は同じだったかもしれないが、ベストを尽くしていなかった。それこそが俺の問題である。
そういった意識をした事でどうなったか。
基本的には変わらない。
ほとんどの夢の分岐はその場の環境が生み出したものだし、俺はベストを尽くしたが、それでも良い結果と悪い結果の両方がある。望んでそうな結果を選んでも、敢えてそうじゃないものを選んでも。
だが、そういう夢だと割り切った。この夢は、この夢に出てくる分岐という名の問題はまさに文字通り、この夢の問題なのである。何故俺がこの様な理不尽な選択を強いられるのかはわからないが、それ自体は俺の問題ではない。
物事にはさまざまな要因があり、それは分解できる。まるで因数分解だ。その因数はそれぞれに与えられたもので、それによる結果は誰のせいでもないと云えるし、全員のせいであるとも云える。その中から、俺が何を望むか、夢の主人公がどうしたいか、それにピックアップして考えれば、必要以上のストレスを抱える事はない。夢の中でしか覚えていないこの夢による罪悪感を、軽減できる。
その上で、最善を選べる様な気がする。
結局は気の持ちようだ。俺がどう捉えるか、主人公にとって何が良いのか。現実とさほど変わらない。
俺はこの夢を前向きに考えていた。陽菜の夢の後よりも、もっと。
嶋田にフラれて良かったのかもしれない。
タツヤくんと話せて、良かったと思う。
そして今日の映像は——。
それはリビングだった。
四つの椅子に囲まれたダイニングテーブルに着くのは、一人の中年男性である。頭頂部が少し禿げ上がり、他は伸びっぱなしの落武者か
味噌汁をすすりながら「少し薄い」、そんな事を言っている。
「一日中家に居るんだから自分で作れば? 私は何? あんたの召使い?」
反転した映像に映ったのは同じく中年の女性だ。男よりも若く見える。
「……」
男が黙る。
「それにあんた、また閉まってたインスタントラーメン食べたでしょ? 自分の体がそんなになってるのに、なんでそういう事するの? また救急車に乗りたいの? 人が気を使ってご飯作ってるのに!」
「だって、腹が減ってたから」
「なんで口答えするの!? 人に世話させておいて!」
男が立ち上がった。
「そんなに言う事ないだろ! お前が俺の世話をするのは義務だ! 好きで俺と結婚したんだろうが!」
「義務!? あんたがこんな役立たずだって知ってたなら結婚なんてしなかったわよ!」
「っ……!」
男が目を見開き、見る見る顔が赤くなる。
のそのそと、よたよたと、女に近づいた。
「何よいきなり近づいてきて! まだ文句あるの!?」
「……てめえ……このアマ」
男が女の肩をガッと掴んだ。
「——!?」
映像が止まる。
『分岐です。彼女はこのまま罵声を続けますか? それとも辞めますか?』
——なるほど、女の方が主役か。難しいな?
この状況が生まれたのは、間違いなく男のせいだろう。この男女は夫婦で、なんらかの理由があって男が女に養われている。「救急車」「世話」という言葉からもそれは明らかだ。会話の内容から男の不摂生が原因の様である。
だが男が「俺を世話するのは義務だ」と言ったのは、恐らく本音ではないだろう。きっと毎日この女に罵声を浴びされ続けた結果、若しくは働かない自分自身に対する怒りからのストレスかもしれない。
しかし、女の罵声の原因はやっぱりこの男だ。毎日働いて毎日食事を用意して毎日男の世話をしなければならない、そのストレス。
彼らはこんな夫婦生活を望んでいたのか。望んでいたハズはない。だがそうか。男と女が一緒になると、こういうリスクもあるのだろう。自分達に何が起こるのかわからないし、お互いにどんな不満を持つかもわからない。
今は分岐の途中だ。
なのに、嶋田を思い出す。あいつは俺と同い年のくせに、自分が相手に持ちそうな不満を想像できたのか。たぶん陽菜から彼氏の事を色々聞かされてそれを羨んだのだろう。
俺も同じだった。気持ちはわかる。あの場ではそんな事を考える余裕はなかったが。
『まもなく時間です。カウント10で自動的に彼女の行動が決まります』
今は分岐に集中しよう。
『10』
彼女は罵声を浴びせたくて浴びせているのか。
『9』
いや違うだろう。では彼はどうか。
『8』
そんなわけはない。罵声を浴びたくないから怒っているし、本当は怒りたくもない。
『7』
女の肩を掴んだ男はこの後どうするか。
掴まれた女が尚も罵声を続けるとどうなるか。
『6』
男に殺されるだろう。この夢はそういう夢だ。前の夢で観た
『5』
いや、歩き方もおぼつかないこの男に、人を殺す事などできるのか。
『4』
いや、夢の中の俺は知っている。人は何かの拍子で簡単に死ぬという事を。
『3』
辞めたらどうなるか。罵声以外の行動は何か。
『2』
謝るか、別の何かをするハズだ。女は身の危険を感じている。きっと男を逆撫でする様な事はしないだろう。
『1』
——決まりだな。
「答えは『罵声を辞める』だ」
映像が、動き出す——。
男が女の首に両手を回した。
男が女の首を絞める。
女が眼から涙を
「……あんた、そんなに私が憎かったの? うう……私の人生ってなんだったんだろう」
男の手が緩む。
「俺は……憎く、ない……こんな事をしたいワケじゃ……」
男は手を離し、膝から崩れ落ちた。
「私たち、別れましょう? 私、毎日怒鳴るの嫌。もう疲れた」
「わか、れる?」
「そう。私、もう、解放されたい……」
「俺は、どうなる?」
「……この間ヘルパーさんに
「施設……」
「だからお願い……別れて?」
「……………………わかった」
映像が、暗くなる。
だが、終わったとは限らない。
この続きか終わりを、俺は油断せず待つ。
暗黒に染まった映像が、徐々にその暗さを薄めた——続きだ。
部屋だ。だが暗い。中に何があるのかわからない。外からの光が当たるカーテンだけが辛うじてわかる。
同時に、カーテンの手前にある、黒い影の正体も。
視界の上から、黒い影がぶら下がっていた。更に徐々に、闇が薄くなる。闇に目が慣れたという演出だろうか。ならば、この光景を見ている奴がいる。
映像が反転した。
暗いがわかる。
さっきの女だ。
ドア近くの床にへたり込んで、黙って上を見上げていた。
首を吊った、自分の旦那を。
後味が悪いタイプの夢だ。どちらかが生きて、どちらかが死ぬパターン、初めて観る。
どちらが死ぬにせよ、この夫婦の結末は「死」だった。どちらを選べば最善だったのだろうか。わからない。
わからないが、この結末は、この二人が夫婦になった瞬間に決まっていた。そう思う事にしよう。
映像は、フェードアウトしていった。
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