第13話 四年後

 ⑴


 ――四年後――




 シーヴァはこの街の中心を流れるヨーク河の氷上市に足を運んでいた。


 この国の冬の寒さはとても厳しく、冬の間、湖や河は氷結してしまう。そのため都市部では氷結した河の上で氷上市なるものがしばしば開かれている。

 氷上で楽しそうにボーリングに興じる人々、食い入るように人形芝居を観ている子供達を尻目に、シーヴァは河南岸沿いの市場に向かう。


「おや、シーヴァ。買い物かい??」

 荷車でウイスキー、ウォッカ、ジン、ラム等を販売する、近所の酒屋の主人が声をかけてきた。シーヴァは、コクン、と大きく頷く。

「イアンに一本どうだい??」

 シーヴァは少し困ったように笑ってかぶりを振る。イアンは夏場の暑い時期にビールを飲むくらいで、普段は左程酒を口にしないからだ。

 酒屋の主人もそのことを知っていて声をかけたのだろう。シーヴァの反応に苦笑いを浮かべただけで、それ以上勧めることはなかった。


 酒屋の主人に軽く会釈をすると、シーヴァは引き続き買い物を続けた。氷の冷気が靴底から伝わり、全身に巡る。シーヴァは身を震わせ、首元のマフラーの端を握りしめた。濃い灰色のマフラーは六年前のクリスマスイブにイアンに貰ったものだ。

 どの店の食材が安く、かつ、新鮮なのか。市場を巡りながらシーヴァは思案する。そんな彼女が横を通り過ぎると大半の人が振り返った。


 背中を流れる漆黒の柔らかい髪、切れ長のハシバミ色の瞳、雪のように白く、氷のように透き通ったきめ細かい肌、そして、異邦人を思わせる、やや彫りの深いエキゾチックな顔立ち。現在十六歳になったシーヴァは個性が強いものの、人目を引く美しい少女に成長していた。


「おっ、シーヴァか。いらっしゃい」


 思案の末、シーヴァは野菜売りの店でジャガイモを五個買った後、肉屋に立ち寄った。

 ベーコンと羊肉のどちらにしようか迷っていると肉屋の主人が話しかけてきた。


『これ、いくら??』


 それらを指差しながら、口をゆっくりゆっくり動かして尋ねる。主人はシーヴァが何を言っているのかまでは分からないものの、値段を聞いているのだろうと気付き、啓示する。

 値段を聞いたシーヴァは、うーん、と神妙な顔で首を捻りながら上目遣いで主人を見つめた。主人は一瞬たじろぎ、目を泳がせる。


「しょうがないなぁ……。シーヴァは可愛いから、まけてやるよ!他の客には内緒だぞ??」

 咳払いをしつつも、羊肉とベーコンの値段を下げてくれた主人に、ペコペコと何度も頭を下げては感謝の意を伝える一方。


 (……よし!これで今日は、イアンとマリオンに肉を食べさせてあげられる!!)


 二人が喜ぶ顔を思い浮かべながら、シーヴァはやや浮足立って家路を辿った。





 ⑵


「マリオン、そっちのダボを打ち込んでくれ」

「はい!」

 イアンは枠組みした板の側面に木のダボを打ち込みながら、マリオンに反対側もダボを打つよう指示する。マリオンは言われた通りにダボを打ち込んでいく。

「ダボのはみ出た部分は俺がのこぎりで削るから、表面を鑢で削ってくれ」


 二年前から棺桶造りはマリオンと共同で作業していた。マリオンの方から棺桶造りを手伝わせて欲しいと頼んできたからだ。

 最初は想像以上に不器用なマリオンの手つきにとにかくハラハラしたものだが、今ではイアンの片腕となり非常に助かっている。


「マリオン、仕上げは明日に回して今日はここまでにしよう。葬儀屋が来るのは明日の昼頃だし、朝一番に二人で一気に仕上げれば時間までには余裕で完成する」

 作業部屋の壁時計を確認する。時計の針は午後六時を過ぎていた。

「もう飯の時間だ。早く行かないと、飯が冷める!とシーヴァが怒るしなぁ」


 イアンとマリオンは顔を見合わせて笑い合うと、素早く後片付けをして作業場から離れた。台所ではシーヴァが竈の前で鍋をかきまわしていた。

『二人共、丁度良かったわね。今できたところなの』

 そう言うと、シーヴァはマリオンに皿を人数分持ってくるよう促し、マリオンはササッと食器棚から三人分の木皿を取り出して彼女の元まで持っていく。シーヴァは木皿にスープをつけ分け、マリオンは各々の席へと木皿を運んでいく。


 (こいつら、本当に姉弟みたいだよなぁ……)


 二歳違いの二人が仲良く食事の準備をする様を、目を細めて眺めていたら、『イアン、ボサッとしてないで匙を並べてよ』とシーヴァに注意されてしまった。


「おいおい、仮にも親みたいな俺をこき使うなんて。今時の若い娘は……」

『いいから黙って並べる!』

「へぇへ」

 シーヴァに言われた通り、イアンは木皿と同じ棚の中から三人分の匙を取り出し、テーブルの上に並べていく。準備が整うと三人は着席し、神に祈りを捧げた後に食事を始めた。


「ん??今日のスープ、羊肉が入ってる!」

 マリオンが嬉しそうにスープを口に運ぶ。

『ヨーク河の氷上市で買ってきたのよ。たまには滋養が良いもの食べて欲しくて、ちょっと奮発しちゃった』

「でも、高くなかったか??」

 イアンが心配そうに尋ねる。

『そうでもなかったよ。肉屋のおじさんが値段をまけてくれたから』

「肉屋のおじさんって、ジムのことか??あいつ、ケチだから中々値段まけないって有名だぜ??」


 すると、シーヴァはフフンッとせせら笑いながら答えた。


『簡単よ。ちょっと上目遣いでお願いしたら、あっさりまけてくれたわ』

「…………」

 イアンは呆気に取られて、思わず匙を手から取り落としそうになった。

「シーヴァ……。俺はお前を、そんなしたたかであざとい女に育てた覚えはないぞ……」

「僕もたまにやりますよ。と言っても、僕はおかみさんの時ですけど」


 マリオンまで全く悪びれもせず、ニコニコと爽やかな笑顔を浮かべている。

 シーヴァも美少女だが、マリオンも美少年の部類だ。加えて、本来ならば、彼はイアンやシーヴァのような一般庶民は口を利くことさえ憚られるような存在なのだ。


 マリオンはこの街で一番大きな製糸工場の経営者メリルボーン氏の愛人の子供だった。彼の母エマは、元々ファインズ男爵家のメイドとして働いていたところを屋敷に出入りしていた氏に見初められた。しかし、その時、エマはすでにマリオンを身籠っていた。

 メリルボーン氏は堕胎するようエマに言い渡したが、腹の子マリオンの父親の名を知ると一転、出産すべきと言い出した。


 なぜなら、マリオンの実の父親はダドリー・R・ファインズだったから。


 とは言ったものの、本当にダドリーの子なのか。メリルボーン氏はしばらくの間半信半疑だった。

 マリオンが成長するに従い、日に日にダドリーに似てくる彼を見ている内に嫌でも認めざるを得なくなり、同時にあることを思いつく。

 ダドリーの落とし胤であるマリオンを利用し、男爵家に取り入ってみようーーと。


 マリオンがある程度の年齢になったら事を起こそう、と考えていたメリルボーン氏だったが、マリオンが十歳になる直前にエマが他界。急遽計画実行を早めることにした。

 すでに爵位を引き継いでいたダドリーに「男爵様のお子です」とマリオンを引き合わせ、それまで彼を育てた礼金、あわよくば経営する工場へ融資してもらおうとの魂胆だった。


 ところが、『髪や目の色が同じで容姿が似ている程度では、私の息子だと言う証拠になり得ない。エマなどというメイドがいたことすら覚えていない』と、断固としてダドリーは、マリオンを実子だと認めなかった。

 計画は見事に失敗。メリルボーン氏は用済みのマリオンを人買いに売り払い、あわや男娼として娼館に売られそうになったマリオンは隙を見て脱走。浮浪孤児になりかけていたところにイアンとシーヴァに出会ったのだった。


 自分と同じ道を辿りかけたマリオンに同情したのか。その話を聞いて以来、シーヴァはマリオンを実の弟のように気に掛け、マリオンもシーヴァを姉のように慕い始めた。

 勢いでマリオンを引き取ってしまったものの、警戒心が強く気難しい面をもつシーヴァと上手くやってくれるか。心配していただけに、予想以上に仲良くしている二人にホッとしていた。


 しかし、イアンは現在、それとは違う別の理由で、シーヴァについて人知れず頭を悩ませていた。

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