第5話 何もないことはすべてである

「どうして、誰の目にも空は青く、雲は白いの?うーん、上手く言えないけど、私が言いたいのは、みんな別々の宇宙に住んでいるのに、空や雲が同じように見えるのだろうということだけど?」

「これから少し話が細かくなるがよいか?」とクウは言った。

「うん」ミカは小さくうなずいた。

「それは、言葉があるからだ。私たちは、見上げたときに天をドームのように覆う青いものを『空』と名付け、その『空』の中に浮かぶ白い綿のようなものを『雲』と名付けている。このようにして名付けたものが言葉なのだ。

 たとえ、違う世界に住んでいるとしても、言葉が通じる限りにおいては、誰の目にも『空』は青く、『雲』は白い」

「それじゃ、言葉が通じない外国の人はどうなの」

「似た言葉があれば、それで同じように見ることになるが、少し感じ方が違うかもしれない。たとえば、リンゴを思い浮かべてみるとよい。『リンゴ』と聞くとどういうことをイメージする?」

「赤くて、丸い、甘酸っぱい味のする果物?」

「まあ、そんなところだろう。ところで、『リンゴ』は英語で何という?」

「『Apple』だけど?」

「その『Apple』の意味は『リンゴ』とは微妙に違うかもしれない。もしかしたら、『Apple』は『リンゴ』よりももっと小ぶりで堅く、酸味が強い果物を意味しているのかもしれない。そうなると、『Apple』と『リンゴ』は似て非なるものと言える。『Apple』は『リンゴもどき』であるとでも言おうか」

「それじゃ、『リンゴ』を初めて見る人にはどう見えるんだろう?例えば、宇宙人とか?」

「そうだな、これが植物であるとも、食べ物であるとも理解できないかもしれないな。もしかしたら、赤くも見えていないかもしれない。彼らにとっては、地球の地表に足を侵食した『樹』という生命体の体から出てきた、種子を含んだ丸い卵のようなもの、というふうに見るかもしれないな。そして、彼らなりの名前を付けるであろう」

「要するに」とクウは続けた。「言葉はそれぞれ異なる意味のシステムなのだ。しかし、重要なのは意味の違いではない。目に見える世界を言葉で切り分けているということだ」

「世界を言葉で切り分ける?」とミカは首をかしげるように言った。

「一切言葉がない世界を想像してみるといい。そこでは目の前に何が見えると思う」

「うーん、想像したこともないからよくわからないけど、何が何だかわけがわからない世界じゃないかな?」

「ある哲学者は、すべての言葉を取り払ったときに、街路樹のマロニエの根にさえ得体のしれない恐ろしさを感じた、と言ったというが、まさにそのような恐ろしい世界だろうな。すべてがヌメヌメとして境目のない世界。混沌とした世界と言ってもいいだろう。そんな得体のしれない世界に言葉で縦横無尽に境目を付けるのが『世界を言葉で切り分ける』ということだ。『言葉で世界を創っている』と言ってもよいだろう」

「ふうん、私たちが目に見えるものを言葉で切り分けているのは分かったよ。でも、それが本当のところは何なのか分からないのかな?例えば、さっきの『リンゴ』に見えたものの正体は、実は…でした、みたいな」

「私たちが言葉というものに捉われているかぎりでは無理だろう。実は言葉はモノの本質の周りを網のように取り囲んでいるだけだ。言葉の網の向こう側に行くことはできない」

「それはどういうこと?」

「ミカよ、さっき、『リンゴ』のイメージとして、お前は『赤くて、丸い、甘酸っぱい味のする果物』と言ったな。それでは聞くが、『丸い』とはどういうことか?」

「角がないことかな」

「角がないとはどういうことか?」

「うーん、尖った部分がない、とか、辺と辺とが交わった点がないということかな」

「それでは、尖っているとはどういうことか?」

「半島みたいに突き出していることよ」

「それでは、半島とは何か?」

「海にまったく囲まれてしまった島とは違って、陸続きとなっている部分がある場所だよ。…ねぇ、これって何?この連想ゲームみたいな話」

「たとえ話はこの辺にしておこう。私が言いたかったことは、要するに、このやり方で『リンゴ』の正体とは何か分かろうとしても、周りをグルグルとさまようだけで、決してその正体にたどり着くことができないということだ」

「モノの本質は言葉にならないところにあるということ」

「そのとおりだ」

「その言葉にならないところに行く方法はないの?」

「普通に暮らしている者たちにはまず無理だが、たどり着く方法がなくはない」

「それはどういう方法?」

「言葉によってモノを説明することを、一切止めてみることだ。そして、モノをありのままに見てみることだ」

「それってどういうこと?」

「それは一種の思考トレーニングだ。お前たち人間がありがたがって読むお経ではこう言っているではないか?『現れるものでもなく、消滅するものでもない。事実でもなく、虚偽でもない。存在するものでもなく、存在しないものでもない。このあり方でもなく、あのあり方でもない。このようにブッダは認識世界のあらゆるモノをありのままに見ている』と。このようにして見ていると、直観的に感じることができるものがある」

「それは何?」

「すべての根源、ありとあらゆるものを生まれるところだ。それと同時に何もない世界でもある。キリスト教ではそれを『永遠のいのち』と呼び、仏教ではそれを『空』や『無』と呼ぶ。」

「それってどういうところ?」

「そこにはすべてがあると同時に何もない」

「すべてがあると同時に何もない?」

「ミカ、ところで、サティア・サイババという人物を知っているか?」

「ううん、知らない」といって、ミカはスマートフォンを手元に取り、その人物について検索してみた」

「わぁ、何、このアフロのおじさん。ミュージシャン?」と驚きながらミカは言った。

「ミュージシャンではない」とクウは言った。「十数年前まで生きていたインドの聖者だ。彼は何もないところから物質を作り出すことができた。ペテン師のように言う者もいるが、実際にはそのような人物ではない。ところで、彼は“何もない世界”について、『Nothing is Everything』という言葉を遺している」

「『何もないことはすべてである』という意味?」

「そうだ。それが仏教のいう『空』というものだ。『何もない』といってもまったくの空っぽ、すなわち虚無ということではない。『空』では『何もない』ということと『すべてがある』いうことは表裏一体だ。『空』とはあらゆるものがいまだカタチにならない世界。すべてのものがカタチになる前の波動エネルギーとして満ち溢れている世界、いのちの根源と言ってもよい。私たちが目に見ているものはすべてそのエネルギーの結晶体なのだ」

「すべてのモノは私たちが見ることによってモノになるということ?」

「そうだ。私たちの認識がすべてのモノを創り出している。そういう意味では私たちはすべて創造主であると言ってよいだろう」

「…なんか、すごいね」

 ミカはあっけに取られて、しばらく何も言えなくなった。



※著者注:本章の一部は、『中公文庫 大乗仏典5 法華経Ⅱ』109頁を参考とした。

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