第10話 明くる朝、支部長

10.


 翌朝。


 外から聞こえる小鳥のさえずりが、僕の意識を浮上させていく。朝の澄んだ空気が、心地よさとともに僕の肌を撫でる。


 そうして、僕はやがて目を覚ました。


 寝起きでぼやけた頭の僕は窓から入る朝日に照らされ、じんわりとした温もりを感じる。しかし温かいのは太陽だけではなく――


「――アンリ…………おはよう」


「うん、おはよう」


 隣でアンリが笑みを浮かべて僕を眺めていることに少し驚く。そういえば昨日、僕は不安定なアンリをなだめるために同じ床についたのであった。


 ベッドで一緒に寝ているので当然体も触れあっており、その柔らかく温かな感触には困惑してしまう。


 僕は体を起こして落ち着いた様子のアンリを見る。昨夜の取り乱しようが嘘のようだ。今は謎の余裕を感じさせる笑みで、面白そうに僕を見つめ返している。


「どうかした? テイル。今朝はずいぶん私をじろじろ見てるけど」


「……いや。なんでもないよ、アンリ。昨日はよく眠れた?」


「うん、テイルの腕に抱かれてぐっすりね」


「別に抱いて寝てはいないよ」


 悪戯っぽく目を細めるアンリに、僕は視線を逸らして誤魔化す。


 同じベッドで眠るなど、小さなころ以来長らくやってこなかったことだ。女性らしく成長した幼馴染にどこか気まずい思いを抱いてしまう。


 ――でも、そういえば。アンリの中では、僕は彼女の恋人という認識になってるんだったっけ。


 どうしてそうなったのか分からないが頭の痛い話だ。


 僕は魔法で生み出した水で顔を清めながら考える。


 今日の予定は、まずギルドに行って残った手続きを片づける。素材の買取の詳細や討伐実績の扱いをどうするか決める必要があるのだが、ギルド側も一度内部で話を相談する必要があるらしく、昨日は中途半端な状態だったのだ。


 地竜を倒したと主張するのが鉄等級の僕であるということも、いろいろ話をややこしくしていそうである。あまり面倒なことにならなければいいなと思いつつ、ひとまず今日は素材の買取金を受け取れればとは考えている。


 後は、他に必須でやらなければいけないこともないので、機会をうかがってウルとリエッタとここ三ヶ月の話をすることにしよう。アンリの状態について相談したいし、僕の過ちを謝る必要もある。


 少し気が重くなる予定が多いが、しかしどちらも必要なことだ。


 僕は一日の動きをあらかた想定し終えると、まだベッドの上のアンリに視線を向け、コップに魔法で水を入れて手渡してやる。


「アンリ。これ、お水。飲んだら自分の部屋に帰ってね。着替えたら下に降りて朝ごはんにしよう」


「はーい、了解」


 素直に頷いたアンリは一息に水を飲み干し、少し乱れた髪や服を直すと、僕に手を振って素直に部屋を出て行く。


 そうして、寝起きのひと時は僕の心に多少の疲れを残しつつも、なんとか何事もなく過ぎ去っていったのである。




 その後、身支度を整え下に降りた僕は、同じく集合したみんなと一緒に宿の食堂で朝食を取った。久しぶりのまともな朝ごはんは疲れた僕の心を癒し、みんなと会話できる幸せを改めて噛みしめる。


 夜半に部屋を抜け出し朝帰りしたアンリに、ウルとリエッタが何か言いたそうにしていたが、結局踏み込んで言及することもなく朝食の時間を何事もなく終える。


 そうしてお腹を満たした僕たちは、予定通り宿を出てギルドへと向かった。


 昨日の宿への道中と同じく、リエッタは僕と手を繋いで隣を歩く。そしてちらちら僕を見ては、後ろのアンリの顔と見比べていた。


 やはり昨日の夜のアンリが気になるのだろう。しかし、事情を詳しく把握できていないうちは、下手にアンリの前で話をできない。


 僕は表情を曇らせるリエッタの耳元に顔を近づけると、小さな声で手短かに言った。


「詳しいことはまた相談させて。……ちなみに昨日、アンリとは別になにもなかったからね」


 一応誤解がないよう、最後の言葉もつけ足しておく。


 リエッタは僕の言葉、特に最後の一文を聞くと、眉を上げてこくこくと頷いた。後ろのウルに視線を送って、なにやら親指を立てている。表情も先ほどより明るくなったようだ。


 やはり同じパーティの一員としてアンリのことを気にしていたのだろう。アンリはずっと一緒にやってきた仲間なのだから、リエッタたちの懸念も分かるというものだ。


 僕は途端に元気になったリエッタを微笑ましく思いつつ、会話を続けてギルドを目指し歩く。そして、ほどなく目的地へと到着した。


 昨日ぶりの立派な建物を前に、僕たちは入口へと足を進めて扉を開く。


 そうして中に入って奥のカウンターに向かっていると、昨日話した職員の一人が気づいて向こうから駆け寄ってきた。


「おはようございます、テイルさん! 早くからお越しいただいて助かります。奥にお通しするのでついてきてもらえますか?」


 僕は彼の言葉に頷きその後を付いていく。カウンターの横から奥に伸びる廊下に進み、僕たちは昨日も話をするのに使った応接室へと案内された。


 ソファーに座るよう促されたあと、「少々お待ちください」と告げた職員が部屋を出て行く。


「素材の買取金でも取りにいったのかなー?」


「さあ、どうだろ。竜の素材なんて時価みたいなものだろうし、すぐに換金額も決まらないと思うけどなー。オークションに掛けられたりするのかもしれないし」


「ふーん、そっかあ」


 リエッタとアンリの会話を聞きながら、出ていった職員を待つことしばらく。やがて部屋の扉が開いたと思うと、布袋となにかの書類を持った職員が戻って来る。それに、後ろにもう一人別の人物も連れている。


 職員とそのもう一人――短く刈った白髪にひげを生やした初老の男は、テーブルを挟んで僕たちの対面のソファへと腰かける。そして僕たちの疑問の視線を受け、初老の男がふんと鼻を鳴らし口を開いた。


「なんだ、生意気そうでなまっちろいガキどもだな。不躾にガンつけやがって」


「――……すみません。見慣れない方が来られたので、つい」


「ふん。まあいい。そんじゃあ、時間もったいねえから早速話を始めるぞ」


 いかつい顔で柄の悪い言葉を吐きながら男は言った。


「――俺はこのブレン支部の支部長、ギリアンだ。昨日の夜は不在にしてたが、地竜の素材が持ち込まれたと連絡が入って話を聞きに来た。……まあ、高位の竜種を倒したとか言うのがこんな貧相なガキとは思ってなかったがな」


 胡乱気な眼差しを向けてくるギリアンさんは、そう言って偏屈そうに顔をしかめた。


 そして、その冒険者なら誰もが知っている名を聞いた僕たちは、全員が例外なく驚きの表情を浮かべる。


 ――ブレン支部の支部長であるギリアンさんといえば、数十年前に勇者パーティの一員として活動した人物だ。当時脅威だった魔神災害を、女神アリアンロッドの命に従い解決した英雄的冒険者で、確か冒険者等級もほぼ最高位の白金等級だったはず。また凄まじい剛剣の使い手だという話も聞く。


 そんな大物が僕たちの前に出てきた驚きはひとしおだが、しかし一方で、初っ端から僕たちが良い印象を抱かれていないことに冷や汗をかく。なんだか厄介な話になりそうな予感を覚えながら、続く言葉を待った。


 そうして、ギリアンさんが面倒そうに口を開く。


「――で? お前らがどうやって地竜を倒したのか、一応聞いてやる。忙しいから手短に話せよ」


「…………支部長、もう少し言葉を……」


「あん? なんで俺がぺーぺーどもに気を遣わにゃならん。どうせ奇跡的に発見した死骸から素材だけ剥ぎ取ったとかそんなんだろ。俺の時間をいちいち割くほどとは思えん」


「で、ですからそういうことは例え思っても口には出さずにですね……」


 僕は面前で行われるあけすけな会話に思わず呆れてしまった。


 生ける伝説のような彼からすれば、確かに僕たちはひ弱な若手冒険者にしか見えないのかもしれない。


 僕は苦笑いを浮かべながら、アンリに聞かせられる範囲で地竜討伐の経緯を話し始めようとして――しかし、突然横からそれを遮られる。


「――あの! わたしたち……ていうか、テイルくんのこと馬鹿にしないでほしいんですけど……!」


 テーブルに身を乗り出し、ギリアンさんに食ってかかったのはリエッタだ。彼女もギリアンさんの名声は知っているはずだが、しかしそんなことは関係ないとばかりに怒りを露わにする。


「ちょっと、リエッタ」


「とめないでよウルちゃん! このひと、ずっと頑張ってたテイルくんにひどいこと言ったんだよ! テイルくん昨日言ってたもん! ――わたしたちにまた会いたくて、ずっとひとりっきりで戦い続けて、それでやっと地竜を倒したって……!」


 毛を逆立てた猫のように威嚇するリエッタに、僕は胸が温かくなるのを感じる。


 別にギリアンさんの言葉を気にしていたわけではない。ギルド側から見れば、僕のようなうだつの上がらない新人が『竜殺し』などおかしい思っても不思議ではない。


 ただ僕は、リエッタがこの三か月の苦労を理解し、そしてそれを尊重してくれたことを、とてもうれしく思ったのだ。甘えたで子どもっぽい振る舞いも目立つ彼女であるが、まっすぐで思いやりのあるいい子なのである。


 僕は思わずリエッタの頭にぽんと手を置く。


「リエッタ、それくらいで。相手は僕たちが活動してるギルドの偉い人なんだから、もっと礼儀正しくしなくちゃ」


「で、でも……!」


「僕なら大丈夫。でも、代わりに怒ってくれてありがとう。――リエッタのそういうところ、僕は好きだよ」


「……っ!」


 下を向いて黙り込むリエッタ。


 せっかくの厚意ではあるし、個人的にリエッタの行動はうれしく思うが、それでも対面する相手を思えばここはオフィシャルな場だ。ひとまずは逆らうことなく話をするのが良いだろう。


「……テイル、またそういうこと言うし」


「浮気は許さないからね」


 何かウルとアンリからじとーっとした視線を向けられるが気にしない。こういう時の彼女たちは、僕の発言の意図をちゃんと分かっていて言っている節がある。


 二人を無視してギリアンさんたちに向きなおった僕は、一応軽く頭を下げておく。


「すみません、うちのメンバーが。悪気はないんですけど、すごく仲間思いなので……」


「ふん、それぐらい別にいい。若者は失礼で怖いもの知らずなもんだからな」


 ギリアンさんは意外にも無礼を咎めることなく、大したことはないとばかりに流してみせる。


 口は悪いが案外良い人なのかと、僕がそう思った時だった。


 ――目の前のギリアンさんが、その視線を明らかに鋭く尖らせる。


「そんなことより、今の小娘の話を聞く限り、お前――」


 そして、そのナイフのような眼差しが僕を貫いた瞬間だった。


「――――たった一人で地竜を倒したと、そう言っているのか?」


「ッ……!」


 ――唐突に、室内で威圧感が吹き荒れた。


 まるで物理的な圧力さえ伴っていると錯覚するほどの威圧――ギリアンさんの強い意志を乗せた魔力の奔流に、この場のほぼ全員が身をこわばらせる。


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