第47話 天ヶ崎舞羽と朝ヶ谷ゆう


 東京都心のなんだか高そうなホテルであった。夜に見る英語は目が滑る。とにかく壮観で豪奢なホテルであった。僕は、濡れた綿毛のように縮こまって部屋へ向かう後を付いて行く。舞羽と蝶はやたらと目を輝かせてキョロキョロ辺りを見回している。


「舞羽が言う事を聞かないし、話を聞けば蝶も一枚噛んでるらしいじゃない? 2人が迷惑をかけたみたいなものだから」と言って天ヶ崎母は笑っていた。


「それにね、あなたのお母さんからもお願いされてたのよ。たぶん着替えも持たずに東京へ行くだろうからお世話してあげてって。だから気にしなくていいのよ」


「はぁ……何から何まですいません」


「そうだよ、ゆうは気にしなくていーの! 一緒に東京を楽しもうよ!」


「お前はもうちょっと両親に感謝した方が良いと思うぞ」


 赤い絨毯じゅうたんと金色に縁取りされた黒い壁の廊下を歩く。手に携えたコンビニ袋の中には男性用下着と少々のお菓子が入っていた。ここへ来る前に買っておいたものだ。


 たしかに僕は宿泊の事を何も考えていなかった。舞羽に会いたいという思いだけが先行して他の事をすっかり忘れていた。それは気骨ある男としてあってはならない失態である。自分の事は自分ですべし。よく胸に刻み込んでおかねばならない。


「……君を招待したつもりはないんだがなぁ」


「お父さん!」


「あなた?」


「…………………楽しむといい」


 天ヶ崎父は釈然としないような顔をしていたが、女性3人に圧をかけられて何も言えないようだった。これが父親。哀れである。


「おっと、僕はこの部屋か」


 406と書かれた部屋の前で僕は立ち止まる。さすがに同室は許してもらえず、僕は一人部屋であった。カードキーを挿す。ウィイイン、カチャ、という機械的な音をたててロックが外れた。


「それでは、おやすみなさい」と軽いお辞儀をして僕はドアを開ける。しかし、その手を舞羽が掴み、また閉じてしまった。


「ゆう、なんで?」


「なんでって事は無いだろう。これは本当なら家族水入らずの旅行なんだから部外者の僕が別室なのは当然だ」


「やだ、ダメ」


「ダメじゃない」


「だーめー! だって前もお部屋ちがったもん! 私は一緒のお部屋がいいのー!」


 舞羽はリスのように頬を膨らませて断固戦う姿勢を見せる。おそらくみどり荘に旅行に行った時の事を言っているのだろう。たしかにあのときも別室ではあったが……


 ところで、舞羽の家族は駄々っ子と化した彼女に手が付けられないようだった。僕は慣れているけれども、そういえば舞羽は僕のいないところでは優等生だった。普段の静かなイメージとはあまりにもかけ離れた姿に驚くのは当然であろうと思われる。


 という事は、ここは扱いに慣れた僕が舞羽を言いくるめるしか無いという事になるだろう。


 藤宮の事を話すのは今日で無くても良いだろうと僕は思った。くたくたである。いったい今日だけで何キロ走ったのか分からないけれど、まともに話してする体力なんて残っていない。とても疲れている。とにかく寝たい。


 僕は人差し指を立てて言った。


「新しい恋っていうのは、つまり、こういう時に一人時間を取る事ができるかどうかってことじゃないのか?」


「……あぅ、それはそうかもしれないけど、でも、でもぉ……」


「だったら、その練習だ。明日も一日一緒なんだから、今は我慢しなきゃだろ」


 舞羽が言いよどむ。いまが攻め時だとばかりに僕は目線を合わせて言いくるめにかかる。しかし、


「……………………藤宮氷菓」


「えっ?」


「後で部屋に行ってもいいよね?」


 そう言って舞羽はミステリアスな笑顔をした。なるほど、会話の駆け引きは上手くなっている。


「………後でな。だけど、寝るときは部屋に戻れよ」


「うん!」


 僕はドキドキしながらドアを閉じた。


 なぜ、藤宮の事を知っているのだ?


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